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「うっえー汚え!お前ほんときもい。臭えんだよ近寄るな」
雅也がようやく顔を上げると、傍にいたフードの男は鼻をつまみながら大きく離れた。気持ち悪いのはよく分かっている。だが、吐き気が止まらない。
「ごめん、狭山くん・・・・・・ほんとに、ごめん」
「黙れよ雅也。マジでさ、お前なんなの?自分でやったんだろ、何吐いてんだよ気持ちわりい。おっさんのくせに」
弱々しい謝罪さえも一刀両断され、ますます雅也は縮こまる。狭山はすっぽりかぶったフードをさらに両手で抑え、空気に触れる顔の面積を減らそうとするかのようにフードをすぼめた。
限界まで額にしわを刻んで、じりじりと後退りしていく。
「つーかさ、そういうもん持ってる時点でお前は、そこらの社畜とは違うんだよ。自分の金でそれ買ったときから、覚悟してたか?ぜってえしてねえだろ。そんな使えねえおっさんなんてウチの組織にはいらねえ。足手まといだ」
最後の一言を吐き捨てると同時に、狭山は背を向けて走り出す。あっという間に細い横道の1つに入り、姿を消してしまった。狭山が指し示した刃の赤いナイフが雅也の足元に落ちている。
ついに見捨てられた。出会った当初から邪魔者扱いされてきていたが、それでも下の名前で呼んでくれるだけ、仲間と思ってくれていると勝手に考えていた。勘違いも甚だしい。
喉の奥にガスが溜まっているような感覚が、ずっと続いていた。呼吸が苦しい。まばたきを繰り返さないと涙がこぼれてしまう。その一方で、喉元のガスはどんどん膨らんでいく。
大人になって久しい。泣くことは我慢しなければならない年齢を既に迎えている。
ここの地域で幅を利かせる指定暴力団、白河組に入るための唯一のツテが、狭山だった。とは言っても、彼も下っ端の下っ端だ。その彼にさえ見限られた。人を1人殺めただけで、何者にもなれなかったのだ。白河組の一員になれればまだ良かったのだが。
しかし、誰に認めてもらったとしても怖いものは怖い。結局、死体の前で自分は吐くだろう。人間としての最後の倫理感を捨てきれない。そうせねば白河組に入るなど到底できないというのに。
死体はまだ転がっていた。動かさなければ永遠にここに存在し続ける。移動させて、どうにか自分がやったという証拠を消さなくてはいけない。そんな知識も方法も知らないし、人脈もないが、やらなければいけないのだ。
吐瀉物のすえた匂いが、鼻をつく。不快感に胸がむかつくのをこらえて雅也はしゃがみ込み、死体に手を伸ばした。
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