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あくびを噛み殺しながら俺はひたすら彼女だけを待つ。さすがに五時台は人がいない。早く来すぎただろうか。
段々と白んでくる空を見上げる。
朝はまだまだ寒い。けれど空気に花の香りなのか甘い香りが混じっている。春が近いのだ。
俺にも遅めだけれど春が来ますように。彼女と会えますように。
立っていると疲れてきたのでベンチに座った。冷たいベンチは俺の体温を奪っていく。俺は、マフラーに顎を埋めて、足のつま先を前後ろに動かし、寒さを紛らわせて待った。
時間と共にぽつぽつと人が来だした。
その中に彼女の姿を見つけた。
以前の電車より一時間ちょっと前の時間だった。
これじゃ会えないわけだ。
彼女は俺に気がつかない。時間が違うだけで、彼女は以前と同じ場所まで歩いていくと、そこで電車を待ち始めた。寒いのだろう。指に息を吹きかけ、さすっている。
俺は彼女が来たことに心底安堵した。
さて、これからだ。
俺は立ち上がって、彼女にそっと近づいていく。
彼女はまだ気づかない。まさか俺がこんな時間に張っているとは思っていないのだろう。
そんな彼女の肩を、俺は遠慮がちに叩いた。彼女が驚いたように俺を振り返る。俺を映した彼女の瞳が大きく見開かれた。
「か、笠原君?!」
「どうも」
俺はにっこり笑ってみせた。自分でも嫌味だったかなと思うくらい。
「あ……う……」
彼女は口をぱくぱくさせた後、その場から逃げようとした。その腕を軽く俺は掴んだ。
意外と往生際が悪いんだな。
「こらこら、どこに行くんだ? 言い逃げはずるいんじゃないの?」
俺の言葉に彼女は観念したように力を抜いた。そして、俺のほうに向き直ったものの、困ったように視線をうろうろさせる。
「あの……私……ごめんなさい」
そこまで言って、彼女は次の言葉を探せないようだった。
「何が? 電車を変えたこと?」
彼女は気まずそうに黙ったまま頷いた。
「時間を変えるって、君にとってはかなりリスキーだっただろう? そんなに俺に会いたくなかった?」
「それは……! ほんとはっ! 会いたかった、です。でも……」
彼女は俺を見上げて力いっぱい否定した。
俺はそんな彼女の必死な顔を可愛いなと思いつつ、
「うん?」
と先を促す。
「私、本当は渡すつもりなかったんです。同じ時間に同じ場所にいる。それで満足なはずだったんです」
彼女の顔が朱に染まっていく。耳まで赤くなった彼女に、俺も自分の顔が熱を持っていくのが分かった。
やばい。なんか、可愛いやら照れるやら。
「マフラーも、手作りチョコも、自己満足にしようって。でも、駅で笠原君を見たら、やっぱり渡したくなって。でもっ! でも、その後どんな顔して会えばいいか分からなくて! 自分でも予定外過ぎて! 怖くなって! 笠原君はモテるし、私なんか釣り合わないのも分かっているのに!」
彼女は痛々しいほど懸命に言って、ぽろりとまたダイヤのような涙を溢した。そして、
「ごめんなさい! こんな、泣くなんて狡いですよね! 見ないで!」
と言って、両腕で顔を隠すようにして後ろを向こうとした。
俺は持っていた鞄も包み紙も放り出して、その手を壊れものを扱うように取ってどけた。そして、震える親指で彼女の涙を拭った。彼女の涙は温かくて、触れてしまった頬は熱くて。俺は心臓が壊れるんじゃないかと思った。
彼女は惚けたように俺の顔を見上げている。
「大丈夫、だから。別に、狡いなんて思わないから」
彼女の瞳から、また感情が雫となって煌めいた。
本当にやばい。
めちゃくちゃ可愛い。
俺、泣き顔フェチなのか?
そうじゃない。彼女の気持ちが、なんか苦しいほど伝わってきて、愛おしい。俺のこと、本当好きなんだな。なんか嬉しすぎる。
俺は。
「え?」
彼女の困惑した声が俺の首あたりからした。
理性が飛んでいた。
「俺は君以外に好かれても意味ないから。……あったけー。待ってる間、寒くて、不安で。会えなかったらどうしようって。会えてよかった……!」
俺は彼女のうなじに顔を埋めるようにして、気持ちを吐露した。彼女は黙って、そして、身体を固くしていた。
まずい。やばい。俺、何してんだ。
「ご、ごめん!!」
彼女の緊張に気づいて、俺はがばっと身体を離した。なのに、彼女の頭の感触と体温が薄れていくのを寂しく思う俺は、なんて奴だ。
「いや、あの、その。ごめん。俺」
何を言ってもセクハラの言いわけにしかならない。色々言いたいことあったのに。
「その、俺、君が好きだから!」
俺の口からはその一言しか出なかった。
彼女は一瞬、ぽかんとして。そして。こんな笑顔するんだと思うほど、顔をくしゃくしゃにして笑った。その目からまた涙が溢れた。
彼女の嬉し涙は何よりも尊かった。
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