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「その制服、緑が丘女学院のだよな? はい。これ飲みなよ」
俺は緑茶のペットボトルを自販機で買って、彼女に手渡しながら訊いた。
「ありがとうございます。はい。緑が丘です」
彼女は丁寧にお辞儀をしながらペットボトルを受け取り、答えた。
緑が丘は学力レベルの高い女子高だったはずだ。
「俺は西高」
自分にも買った緑茶を喉に流し込みながら俺が言うと、
「あの、本当にすみません。ありがとうございました。学校遅れちゃったら申し訳ないです。私は大丈夫なので、次の電車に乗ってください」
と彼女は恐縮した様子で何度も頭を下げた。
「別に少しぐらい構わないよ。それより、大丈夫なんかじゃないだろ?」
彼女は俺の言葉に顔を左右に振って無理して笑ったけれど、その笑顔はなんだか余計に痛々しかった。
「痴漢なんてされたことないからわかんないけど、怖かったよな。それなのに怒鳴って悪かった」
「いえ。私もこんなこと、初めて、で……。声を出そうとしたんですけど、出なくて……」
思い出したのか、彼女の黒目に涙の膜が張る。溢れそうなのを堪えている彼女の目は、見ているこっちの心臓をきゅっと掴むような美しさがあり、俺はどうしていいかわからなくなってしまった。
「その……ドアの付近は狙われやすいと聞くから、気を付けたほうがいいと思う」
口に出して、こんなことしか言えない自分が情けなく感じた。彼女を安心させるようなことを言えたらよかったのに。
紗代に容姿が似ている俺は、自慢じゃないが女子にモテた。振ると泣くような女子もいたけれど、こんなに心揺さぶられることなんてなかった。
俺が所在なげに視線をうろうろさせていると、
「もう、本当に大丈夫です。学校に行きましょう。本当にありがとうございました」
彼女は手にした緑茶を一口飲んでそう言った。
通勤通学ラッシュ時間と少しずれた車内はいくぶんか空いていた。
俺は空いていた席に彼女を座らせてその前に立った。彼女は姿勢よく席に座って、下を見つめていた。大切なもののようにペットボトルをしっかり握りしめて。
会話のないまま西高の最寄り駅に着いて、俺は、
「じゃあ、気をつけて」
とだけ最後に言った。彼女は頷いて少しだけ微笑んだ。
駅のホームに降りて、俺は一度彼女のほうを振り返った。
どこにでもいそうな女子高生だ。
次にもし見かけたとき、俺は彼女のことがわかるだろうか。わからないかもしれない。
俺は歩き出しながら、そんなことはどうでもいいことか、と思い直した。名前も知らない女子のことだ。お互いすぐに忘れて日常に戻るだけだ。
それでも彼女の涙にきらめく丸い瞳と、その頬を伝って落ちていった雫は俺の脳裏にちらつき、胸になんとも言えない痛みをもたらした。
女の涙は信用ならない。
はたしてそれは本当なのだろうか。
『女はね、ずるくて打算的なんだよ。目的のためなら泣けるんだから。おにぃ騙されちゃだめだよ』
誰より信用ならない妹にちょくちょく言われ、少ない経験と照らし合わせてその通りだと思ってきた。
でも彼女の涙は不謹慎だけれど綺麗だと感じた。
計算や嘘なんて全く入ってない純粋な雫。
そりゃそうだ。痴漢にあって怖かったのだから打算的なわけがない。
ではほかの女子だってそうでなかったと言い切れるのだろうか。
じわじわと罪悪感を覚えて、それを振り払うように俺は学校への足を速めた。
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