2.彼女との交際

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2.彼女との交際

2.彼女との交際  美子との出会いは、横山の結婚式だった。  奥さんの友人の一人で、結婚式では緊張から美子の存在に気づく余裕はなかった。  きらびやかに着飾った女性たちを見る余裕もなかった。  彼女に気づいたのは、二次会の狭い居酒屋だった。  横山と奥さんの友人たちが対面で囲むように座り、女性たちの若々しい笑顔に圧倒された。  二次会の主催者は横山の同僚で、自己紹介が始まると、緊張した笑顔が女性たちの顔に広がった。  人付き合いが苦手な僕の自己紹介はボロボロだったが、他の若者たちの反応も芳しくなかった。  司会者の男性がスマートで巧妙な会話を繰り広げ、女性たちは彼に引き込まれた。  彼は男でもうらやむ存在だった。  隣は同期の友人で、あまり話したことがなかった。  それでも、黙っているわけにもいかず話しかけた。  しかし、同期の友人は目の前の女性たちに夢中で、僕との会話は度々中断された。  横山と奥さんが早朝の便で新婚旅行に行くというので、早々に帰ることになり、僕は取り残された。  宴が終わると、数組のカップルが誕生していた。  美子は他の女性のように自分から男性たちにアプローチすることはなかった。  二次会が終わり、僕と美子と数人の男女が改札に急いだ。  勇気を振り絞り、改札を過ぎてからホームへ駆け上がろうとしている美子に声をかけた。 「楽しかったですね。お疲れさまでした」  彼女は階段で立ち止まり、振り向くと、お辞儀をしてホームに消えていった。その微笑みが忘れられなかった。  後日、横山に相談すると、美子と再会できるように奥さんが連絡してくれた。  休日、都心のターミナル駅の近くの喫茶店での待ち合わせ。  その日の出来事は鮮明に記憶している。  彼女の印象は、結婚式とはまるで異なっていた。  ブラウンカラーのコートに身を包み、ジーンズを履いて現れた彼女。  喫茶店に足を踏み入れるなり、彼女はコートを脱いだ。  その瞬間、ハイネックの白いセーターから、胸元の優美な曲線が現れた。  結婚式で彼女は控えめな印象だった。  しかし、二人きりで会うと、彼女の存在は眩しかった。  再び対面し、言葉がつまる。  すでに自己紹介は終えていたので、彼女の希望を尋ねることにした。  彼女は見たい映画があると告げた。  映画と聞いて一安心した。  映画は感動を共有し、終わった後に感想を語り合えるだろうと考えた。  デパートの中にある映画館へ向かった。  上映までの待ち時間は20分ほどで、幸運にも長い行列には並ばずにすんだ。  コーラとポップコーンを手に、指定席に彼女を案内する。  上映が始まると、暗い空間はまるで二人だけのようだった。  映画を観ながら、彼女の横顔を見つめた。  彼女の手に触れたいという衝動を抑えた。  秀でた額、整った鼻筋、口元から顎にかけてのラインが美しいと感じた。  映画は洋画だったが、その内容はあまり記憶に残っていない。  字幕だったこともあるが、心は彼女に奪われていたからだ。  美子とのデートはいつも映画や公園で過ごすことが多く、夕方になると一緒に食事を楽しむのが習慣となっていた。  しかし、そんな日常の中で少し刺激が欲しくなり、今回は海岸に行くことにした。  僕はレンタカーを借り、美子を乗せて海岸線を走った。  心地よい風が吹き抜け、美子の横顔は夕日に照らされてさらに美しく映えていた。  映画や水族館といった定番のデートスポットから一転して、海岸の新たな冒険は新鮮でワクワクさせてくれた。  運転は得意ではなかったが、海岸線の砂浜を車で走りたいという思いが湧いた。  映画で見たシーンが頭に浮かび、美子もきっと喜んでくれるだろうと期待した。  最初は順調に進んでいたが、突然車は立ち往生してしまった。  レンタカーは砂浜に車輪を取られ、どうにも動かなくなった。  どうすればここから抜け出せるか考え込んでいた。  そんな中、美子は通りがかる恋人たちに声をかけ、何組かのカップルに協力してもらい、僕は恥ずかしい思いをしながらも、なんとか砂浜から脱出することができた。  美子は一言も責めず、むしろ笑顔で「これも思い出だね」と言ってくれた。  そのおかげで、デートの終わりは、暗い雰囲気は一切なく、むしろ一緒に乗り越えた小さな冒険が心に残る思い出となった。  いつものように映画を楽しんだ後、夕食を共にし、美子を送ることを考えていた。レストランの窓からは夜の日比谷公園が広がっていた。 「今夜は夜の公園を散策しないか?」  と、僕は美子に誘いかけた。  美子も微笑みながら頷き、二人は足早に日比谷公園へと向かった。  椅子に座り、夜空の星座について語り始めた。 「こんなロマンチックな雰囲気、素晴らしいわね」  と美子が微笑んが。  周囲には他のカップルも点在し、静寂と平和な雰囲気が漂っていた。  星座の話が途切れ、周囲の雰囲気に触発されて、僕は美子の腰に手を回し、優しく抱きしめた。  しかし、美子は優雅に手を下ろすように促し、僕は彼女の体を離して、再び顔を突き出してキスを試みた。  初めてのキスの瞬間は、今でも心に残るものだった。  半年後、上司に呼び出され、地方転勤の内示を受けた。  内示を断る覚悟はなかった。  時代のせいか、それができる者などいなかったような気がする。  これまでデートを重ね、お互いの相性を確かめ、価値観を話し合い、そして将来を一緒に歩むことを想像していた。  しかし、現実にはその計画が崩れ去った瞬間だった。  彼女に何と言おうかと悩んだ。  未来に対する希望と、別れることで失うかもしれない幸せな瞬間との間で心が揺れ動いた。  遠距離恋愛は彼女との関係を続けることは難しくなるだろうと感じた。  だが、彼女なしの未来がどれほど寂しいものになるのかも想像できた。  デートを通じた思い出、共有した笑顔、そしてお互いにとって特別な存在となった瞬間。  それらを手放すことはできないと思った。  でも告白すれば失うかもしれない。  心の中で揺れる思いに押し潰されそうになった。  僕は美子電話した。  最後の対話は、美子の自宅に近い最寄り駅にある喫茶店で行われた。  美子は先に到着して着席し、僕がやってくるのを待っていた。 「どうしたの? 急に会いたいって」  美子は驚きの表情で尋ねた。  僕はコーヒーを注文し、深呼吸してから言った。 「今まで真剣な話をしてこなかったけど、結婚して一緒に北海道に行ってくれないか?」 「ごめんなさい」 「そうか、やっぱり。結婚まで考えていなかったんだよね?」  僕は、気にしないでという態度を装いながらも真剣な顔つきで頷いた。 「違うの。あなたのことは好きよ」と美子が言った。 「じゃあ、ご両親や仕事のこと?」  お互いの家族について話すことがこれまでなかった。  美子は静かに語り始めた。 「貴方に話していなかったけれど、父は中学生の時に亡くなり、母一人で育ててもらったの。姉は結婚していて、近くに住んでいないので年老いた母を置いていけない」 「すまない。何も知らなくて。もっと君の事情を聞かなければいけなかった。自分の話ばかりして。でも、別れたくないんだ。遠距離になるけど、交際は続けたい。いいでしょ?」 「いいの? それで」 「上司が2、3年したら戻れると言ってくれたんだ。結婚前提にもっと将来の事を話したい」 「ありがとう」  美子は僕をホームまで見送ってくれた。  彼女が笑顔で手を振って見送ってくれた姿を、僕は忘れられない。  その時は、最後の別れとは思ってもみなかった。
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