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6.彼女の面影
6.彼女の面影
30年が経ち、女性との交際はあったものの、結婚には至らなかった。
その一因は彼女の面影を忘れることができなかったことだった。
実らなかった恋ははっきりと拒絶されなかったため、思い出は美化されて記憶の奥深くに住み着いた。
新たな恋を見つける際に、それが大きな壁のように立ちはだかり、成就しなかった。
現実は、自身の人見知りもあり、相性のいい女性にめぐり合うことが難しかったのだと思う。
定年まで半年を切り、人生を振り返ると両親は他界し、人付き合いや世間との調和に苦労した。
転勤するたびに人間関係の再構築や転勤先のルールを学ぶことに専念していた20代から30代。
40代に入り、石橋を叩いて渡っても、目隠しをして渡っても結果に大差がないことを悟った。
神経質な性格が貴重な時間を浪費させたのだ。
苦い思い出は心に灰汁のように積み重なり、時折悪夢として蘇るようになった。
眠りが浅くなり、悪夢の内容を覚えていることが増えた。
朝の目覚めは昨日の出来事のように、特に職場での叱責が胸を痛めさせた。
だが、彼女との時だけは別人になれたことを思い返した。
共に過ごす辛苦があれば、違う人生が待っていたかもしれないと思うこともある。
彼女への思いが強まり、自分らしく生きたのは彼女との半年だったのではないかと思うようになった。
誰でもみじめな人生だったと認めたくはない。短くとも輝いた何かがあったと信じたいのだ。
彼女が亡くなった知らせを受け、必死に思い出を手繰ろうとした。
喫茶店での出来事や真冬の公園での星見も、心に残る思い出だった。
映画館での感激やデートの遅刻での笑顔も、時折夢の中に浮かんでは消えていく。
写真はなく、全ては頭の中にある。
ホームで微笑む彼女の記憶は忘れられない。
彼女は苦い記憶ばかりでなく、短かったが輝く青春時代があったことを思い出させてくれた。
彼女は希望を持って前に進もうともがいていた姿を思い出させてくれた。
だが、彼女の死は大切な記憶を奪おうとしている。
悲しい事実が、楽しかった懐かしい思い出を黒く染めようとしている。
それに抗いながら、彼女との思い出は青春を彩った宝物だと心の中で言い続けた。
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