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9.日記
9.日記
改札をくぐり、ロータリーを見回すと、昔彼女と訪れたコーヒー店がマックに変わっていた。
少女が現れるのを期待してコーヒーを飲むことにした。
待つこと30分、やがて少女が笑顔で姿を現し、手を振りながら店内に入ってきた。
美子が現れたと錯覚し、彼女を待つ時間がいかに豊かな時間だったかと思い知った。
少女はカウンターでコーヒーを注文し、コーヒーカップを受け取ると、僕のテーブルにやってきた。
「さっきはどうも」僕は立ち上がりお辞儀をした。
妙な気分だった。亡くなった美子は頭の中に住み着いている。
その彼女が高校生になって表れたような不思議な感覚。
「おまたせしました」少女はほほ笑んだ。
「何でしょう。渡したい物って」僕は座った。
少し不安で、期待も入り混じった感覚。
「美子叔母さんの日記です。もし高橋さんが独身で、再会できたら高橋さんに渡したいと、生前、母に言っていたのです」
少女はそう説明すると、バッグから日記を取り出した。
僕は、日記を見てどう反応していいか迷った。
「ありがとう。わざわざ、届けてくれて。読むのは帰りの電車に乗ってからにしたいのだけど」
「そうですよね。私も、母も読んでないですよ。おばさんの高橋さんへのラブレターだったりして」
少女は笑ったが、反応に困った。
少女の家はもともと母親の家で、駅から徒歩で10分ほどの距離だという。
お姉さんは旦那さんの転勤で地方に住んでいたが、旦那さんが病死して10年前に戻ってきて、一緒に暮らしていたらしい。
「おとうさん、亡くなったのですか。大変でしたね。お父さんいないと寂しいでしょ」
「もう慣れました。それに母と美子おばさんがいたから。でも叔母さんが亡くなって今寂しいです」
少女が気丈に話したので、父の話を聞くのを控えようと思った。
美子はどんな思いで姉を受け入れ、同じ家に住んでいたのだろうか。
もしかしたら肩身の狭い思いをしていたのではないかと思い、一瞬僕の表情が曇った。
少女は僕の気持ちを感じたようで、「母は父が亡くなって、よけい躾がうるさいの。だから美子おばさんは私と仲が良かったんですよ。二人でよく出かけました」
「二人はどこに遊びに行ったんですか?」
僕が訊ねると、美月は笑顔で答えた。
「一緒に映画も観に行って、帰りに美味しいケーキ屋さんを見つけて、そこでたくさんケーキを食べたんですよ!」
「それは楽しかったですね。どんな映画だったんですか?」
美月の映画のあらすじを聞きながら、美子の微笑む顔を思い浮かべた。
「映画は感動的なストーリーでしたよ。おばさんと一緒に観て、とても楽しい時間を過ごせました」
「それは楽しい思い出になりましたね」
僕は続けて尋ねた。
「美子さん、独身だったけど、幸せだったんだろうか?」
美月は微笑みながら僕の真顔を見つめて言った。
「友達や家族との時間を大切にしていましたよ。お母さんと三人でよく夕食を作ったんです。おばさんとても楽しそうでした」
僕はほっとした表情でうなずいた。
三人で食事する景色を想像し、僕は、美子の独身生活が充実していることを理解し安心した。
「青木さんは貴方たちがいたから孤独ではなかったんですね」
「高橋さん。line交換しましょうよ」少女は唐突に言った。
驚かされるのは二度目だった。
「え、lineを。なぜ?」
「お父さんいないでしょ、いろいろ相談できる人が欲しいんです。美子おばさん、高橋さんは誠実な人だと言っていたし」
「でも、最初にお母さんに了解取った方がいいと思います」
「ちゃんと、母の了解は得ています。本当は母も来ると言ったんですよ。でもやめてと私が言ったの」
「わかりました。でも難しい相談は向いていないですよ」
僕たちはlineを交換した。
少女は5分ほど話した後、帰っていった。
初春の竜巻のような少女だった。
僕の冷え込んだ心に暖かなさわやかな風を吹き込みに来たようだった。
駅に戻り、上りの電車に乗り込むと、シートに座り日記を開いた。
〇月〇日
貴方が転勤するので一緒についてきてほしいと言われた時は、貴方と一度も将来の事を話したこともなかったので心が乱れました。
でもあなたが、私を大切に思っていてくれたことはうれしかった。
貴方についていくことはできなかったのは辛かった。
父は中学の時に亡くなり、母が一人で私と姉を育ててくれました。
姉は遠くに嫁いでおり、母を置いていけないのです。
貴方が遠距離恋愛でも、帰ってきて母と3人で暮らそうと言ってくれた時は嬉しかった。
〇月〇日
貴方は転勤するなり電話してきて、賑やかな寮での様子を教えてくれましたね。
新参者だからしばらく目立たないようにするとも。
電話は1台しかなく、奪い合いなんだよと。話していると、仲間が近づいてきて、聞き耳を立てたり、冷やかしたりするのだとも。貴方の姿を想像すると、おかしかった。
でもあなたは真面目で口下手だから、うまくやっていてるか心配です。
貴方は、とても傷つきやすいので心配です。
〇月〇日
貴方は砂時計を買ったと言いました。時間を計るためだそうです。その几帳面な性格に笑ってしまった。あなたは、砂時計を見つめながら私に電話していたのかしら。
〇月〇日
貴方は北海道の雪まつりが最高だと言いました。
シーズンオフなので別の観光地を探すと言ってくれました。
母の負担を考えてプランを考えると言ってくれて嬉しかった。
私は母を案じてくれる貴方が好きです。
〇月〇日
新しいプロジェクトを任され、興奮していたね。
5分がたって、「ごめん、今日は美子のこと聞いてあげなかった。自分の話ばかりでごめん。1時間したらまた電話する」と言ってくれた。
おっちょこちょいなところがあるけど、私をちゃんと見てくれていることがうれしかった。
〇月〇日
徐々に貴方からの電話が減ってきました。
仕事が忙しいのでしょうね。
帰りが遅いのだろうと思っています。
なれない土地で頑張りすぎて倒れたりしないでと心配しています。
貴方の寮に電話したいけれど、お友達に冷やかされると思うと躊躇してしまいます。
貴方は傷つきやすいから、寮生活に波風を立ててはいけないと、我慢しています。寂しい。電話待っています。
それからしばらく、日記は書かれていなかった。次の日記は1か月後だった。
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