第1章

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 それから少しの間、小さいころに貰ったクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントの話で盛り上がり、気がつけば夜ご飯を食べ終えてから二時間が経過していた。  コップのウーロン茶が無くなったところで、トイレに行きたくなった。同じマンションなのだからこのまま帰ればいいのだが、何となくまだここにいたくて、呉内さんに一言伝えてトイレを借りた。  男の一人暮らしとは思えないほど清潔感のあるトイレを出て、リビングに戻ろうとしてドアを間違えた。てっきりリビングのドアだと思って開けたのだが、どうやら寝室だったようだ。  廊下の明かりが室内に差し込み、部屋の壁側にあるそれベッドを薄暗く照らしていた。それはどう見ても二人が並んで眠れるほどのサイズだった。あらかじめ誰かと寝るために置かれているような、間違っても一人暮らしの人間が使うようなサイズではない。 家具は帰国してから買ったと言っていたから、わざわざこのサイズのベッドを選んだということになる。彼女はいないなんて言っていたのは嘘だったのだろうか。そりゃ、会って間もない大学生に何でもかんでも話す必要はないし、嘘をつかれたとしても俺に咎める権利はない。  ……いや、だから別に呉内さんに彼女がいてもいなくてもどっちでもいい話だ。俺には何の関係もない。そんなふうには見えないが、もしかしたら彼女じゃなくてセフレと過ごすためのベッドかもしれない。 「どうしたの? 理人くん」 突然後ろから声を掛けられて、心臓が飛び出るかと思った。恐る恐る振り返ると呉内さんが後ろに立っていた。 「あ……すみません。リビングのドアと間違えて。俺の部屋は寝室ないんで、ちょっとびっくりして」 「謝らなくてもいいよ。俺も一人暮らしだし、寝室ある部屋かない部屋かで迷ったんだけど、この部屋から見える星空がすごく綺麗でさ」 呉内さんはそう言って寝室に入ると、ドアの反対側の壁にある窓に行きカーテンを開けた。つられて俺も寝室に入る。ベッド以外には小さな棚とおしゃれなスタンドライトがあるだけで、リビング同様ほとんど物がなかった。  本当に片付いてるな。室内を見回しながら、窓から外を見ている呉内さんの後ろに行く。俺も同じように外の景色を見ようとした瞬間、いきなり両肩を強く掴まれそのまま視界がひっくり返った。 背中に痛みはなく、むしろふかふかとした感触があった。視界には天井ではなく呉内さんの顔がある。押し倒されたと理解するのには時間がかかった。 俺に馬乗りになった状態で、呉内さんは満面の笑みを浮かべていた。両手の手首をベッドに押さえつけられ、両足の間に呉内さんの片足があり、動くに動けない状態だった。 「それより昨日は大丈夫だった? すごく酔ってたみたいだけど」  さっきと変わらない調子で話す呉内さんが、何を考えているのかさっぱりわからなかった。ただ「酔っていた」という言葉から、この人が昨日俺が酒を飲んでいたことを知っているのだと理解した瞬間、背筋に冷や汗が流れた。 「……え?」 「だめだよ、あんなにお酒飲んじゃ」 「あ……の、どうしてそれを?」 「昨日、君を連れて帰ったのは俺だよ」  呉内さんが何でもないことであるかのような口調で言うので、俺はうまく返事ができなかった。 「……呉内さんが?」 「そう。歩けないくらい酔っ払ってたみたいだからね」 「あ、それは、その……ありがとうございます……」 記憶をなくすほど飲んでいた俺をマンションまで連れて帰ってくれたのか。他人に迷惑をかけてしまったのなら、これから酒は控えるべきだろう。しかしそれとこの状況はまったく関係がないような気がする。  俺は何で今ここで押し倒されているんだ? そんな疑問がぐるぐると頭の中を回る。 「本当はね、昨日、君をこの家に連れて帰ろうと思ったんだ」 「えっと……それはどういう?」 言葉の意味がわからず呉内さんの目をじっと見ていると、その大きな目がゆっくりと近いてきたので反射的に目を閉じた。 「まさかこんな時間に一人で男の家に来て、そのまま帰れるとは思ってないよね?」 耳元でそう囁かれた瞬間、体が硬直して動かなくなった。体からすうっと温度が消えていき、手足にまったく力が入らない。知っている声と顔なのに、急に目の前の男が誰かわからなくなる。 「何、言って……」 「俺、理人くんのことが好きなんだ。もちろん恋愛対象として」 「は……?」  言葉の上澄みだけを聞きとっているような感覚だった。いや、俺自身がその奥にあるものから目を逸らしたかった。 「はじめて会ったときからずっと、君のことが好きなんだ」 「だ、から……何言って……」 声が震えていた。本当はわかっている。呉内さんの言葉の意味が。わかっているけどわかりたくない。何かの冗談としか思えない。だって俺は男で呉内さんも男だ。それも会って間もない、まだ相手のことをよく知らない、その程度の関係だ。恋愛に発展するはずがない。 「そのままの意味だよ」 次の瞬間、首に何かが触れた。全身に鳥肌が立つと同時に反射的に呉内さんを押し上げようとしたが、見た目より力が強くビクともしない。 「やぁ……めぇっ……!」  抵抗できない状況と自分がされている行為で頭がパニックになり、底知れない恐怖からうっすらと目に涙がにじむ。叫んでいるつもりなのに声がうまく出ていない。  ついさっきまで一緒に食事をして、そのあとも楽しく話していた呉内さんの姿を思い出し、助けを求める。優しくてかっこよくて、それでいて紳士的な最近知り合った男は、俺の脳内でぐちゃぐちゃに歪んで消えていく。 「さわっ……んな……!」 「安心して。心を伴わない行為は俺もしたくないから」 呉内さんはそう言うと、上体を起こして俺の頭を優しく撫でて、ベッドから降りた。 「君が俺を好きじゃないことはわかってる。でも諦めたくないからね。俺は君に振り向いてもらえるように頑張るよ」 呉内さんはさっきと変わらずにこにこと笑みを浮かべている。体が自由になったと理解した瞬間、俺は混乱する頭を抱えて寝室を飛び出し、そのまま逃げるように呉内さんの部屋から出て行った。
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