第2章

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   待機時間に呉内さんと話すことはほとんどなかった。おかげで俺はどんなアピールをするのか知らないままだ。まあ、どうせ大したことはしないだろう。カップルに見えるかどうかなんて人によるし、短い時間でできることなんて限られているのだから、適当にポージングをして終わるだろう。    あれこれ考えている間もコンテストは順調に進み、俺の疲労感もピークを迎えるころ、ようやく出場時間になった。 「皆様、ここまでたくさんのカップルを見てきましたが、ついに、ついに最後のペアです!」  落ち着きはじめていた歓声が再び盛り上がりを見せる。 「それではいきましょう! トリを飾るのはこの二人だ!!」 司会者も疲れはじめているのか無理やりテンションを上げているように見える。 裏方のスタッフにゴーサインを出され、俺と呉内さんはようやく幕から出てステージに立った。その瞬間、突然会場が静まり返った。さきほどまで歓声やら笑い声やらで盛り上がっていたのに、誰一人として声を出さずに俺たち二人を見ている。同じ学科のやつも見ているはずなのに、誰も声を上げない。  ……おい、大丈夫か、これ。 やはりキツかったか。参加者の女装男子は、小柄で可愛いタイプの顔つきで、一見すると本当に女の子に見えるような男か、あるいははじめから笑わせにいくつもりの、やたらと体格の良いスポーツマンのような男のどちらかだった。 だが俺の場合そのどちらでもないため、笑わせにいこうとして失敗した感じがあるのかもしれない。いくら自分からエントリーしたわけではないとはいえ、客からしたらそんなことは関係ない。 さっさと終わらせて帰りたい。そう思いながらステージを歩いていると、呉内さんの歩くペースがやけに早いことに気がついた。早く終わらせたい気持ちはわかるが、これでは到底カップルには見えない。  不本意の参加とはいえ、白桃屋のロールケーキがかかっているんだ。優勝しないことにはやってられない。慌てて小走りにあとを追いかけると、呉内さんはその場で立ち止まってこちらを振り向り、笑顔で手を差し伸べてきた。  触れたくなかったが、ここでスルーするわけにはいかず、俺も立ち止まって手を乗せると、壊れものに触るかのように優しく握りしめられた。押し倒されたときのような力強さがなくて驚いた。  そのまま手を繋いでステージの先端まで歩く。今だに会場内は静まり返っている。  このあとどうするつもりなのか。というか、こんな静まり返った状況では何をしても間違いなく滑る。いくらなんでもここからの大逆転劇はこれっぽっちも思いつかない。  もしかするとこのまま手を繋いだだけで終わりかもしれないと思ったが、ステージの最先端で呉内さんは俺の手を離した。  このあとの展開がわからず、助けを求るように隣にいる呉内さんに視線を向けると、俺の顔を包むように頬に両手を添え、上から覗き込むようにゆっくりと顔を近づけてきた。 「……こっち見て。三秒だけ我慢して」 「え?」  観客には聞こえない声量でそう言われ、恐る恐る顔を上げる。この至近距離で伏せられた長いまつ毛。視線の先は考えなくてもわかる。改めて近くで見ると本当に顔が整っていて、思わず息を呑む。  心臓がうるさい。つま先から顔まで全身に熱を帯び、うまく力を入れることができない。鼻先同士が当たりそうになった瞬間、反射的に目を閉じで数を数えた。一、二、三秒きっかり。目を開けると呉内さんの顔が離れていく。その瞬間、会場内に歓声が響き渡った。  おそらく頬に手を添えられているせいで、客席から見れば俺と呉内さんがキスしているように見えたのだろう。しかし実際は触れそうな距離というだけでキスはしていない。それなのにこちらを見る呉内さんはあまりにも眩しくて、心臓が破裂しそうなほどうるさく鳴り続けている。  あのときのような怖さはどこにもない。何を考えているかわからない笑顔でもない。俺を見るのは優しくて暖かい目だった。きっと客席からではわからないだろうが、今の俺は間違いなく顔が赤い。それくらい体が熱かった。  呉内さんはすぐにいつもの笑みを浮かべると俺の手をもう一度握り、客席に背を向けて歩き始めた。その間もずっと黄色い悲鳴が絶え間なく会場内に響いていた。 幕の裏に戻るとあっさりと手を離され、同時に疲労感から俺は待機用のベンチに座り込んだ。 「お疲れ様。優勝できるといいね」  呉内さんはそう言って、参加者に用意されている水の入ったペットボトルを渡してくれた。これで優勝出来なかったらいっそのこと退学したい。 頬には手を添えられたときの感触がじんわりとまだ残っている。それを誤魔化すようにもらった水を一気に飲み干した。  全参加者の出番が終了し、二十分ほどで結果発表の時間となった。呉内さんとともにステージに並ぶ。三位、二位、そして優勝の順に発表されるらしい。 「皆様、大変お待たせいたしました! 結果発表のお時間です!」  司会者より発表された三位と二位に俺たちの名前はなかった。残るは一位。ここまでして優勝できなかったら、一生思い出したくない黒歴史になりそうだ。白桃屋のロールケーキも食られないし、真剣に退学を考えるべきかもしれない。 「それでは第一位の発表です。光条大学学園祭、第十五回女装コンテスト。映えある第一位は……見事このコンテストのトリを飾った八月一日理人、呉内朱鳥ペアです!」  名前を呼ばれた瞬間大歓声が上がり、ステージの下からカラフルな紙吹雪が舞った。盛大な拍手と歓声が湧き起こる中、司会者に優勝者としてコメントを求められたが、終わったという安心感が大きくて大したことは言えなかった。  最後に俺は賞金と景品のロールケーキの引き換え券をもらい、女装コンテストは幕を閉じた。 「優勝できてよかったね」 「呉内さんのおかげですよ。俺はアピールとか何も思いつきませんでしたし」  疲労と喜びで頭がふわふわとしている。今すぐにでもウィッグを外して化粧を落として着替えたいが、まだ学祭は続くためそういうわけにはいかない。そもそも俺はこのコンテストのために女装していたわけではないので、まだしばらくはこのままだ。  あとの時間は宣伝のために構内を歩くよりも、店の近くでゆっくりと客引きをしよう。そう思っていたのに、二人でコンテスト会場を出た瞬間、数えきれないほどの人に囲まれた。    何が何だか理解できずにいると、その場にいる全員が一斉に話しはじめた。声が重なり合ってうまく聞き取れなかったが、どうやら女装コンテストの観客であるらしかった。それも全員女の子だ。  普段なら喜ばしいことだが、今日ばっかりは疲労によりそれどころではない。むしろ至近距離で大声を出されて頭がパンクしそうだ。 「呉内さんってこの大学の方ですか!?」 「あの、よかったら連絡先教えてください!」 「呉内さん、ぜひうちの学科のお店来てください!」  女の子たちが一気にその名前を出した瞬間、このままではいけないと思い、反射的に隣にいた呉内さんの腕を掴んで、比較的人の少ない方に向かって走り出した。 「理人くん!?」  後ろから呉内さんの声と女の子の悲鳴に近い声がするが、構っている余裕はない。あのままあそこにいれば、間違いなく呉内さんに迷惑がかかる。  とにかく誰も来ない場所に逃げないと。その一心で俺は周囲の目も気にせず、呉内さんの手を引いて構内を走り回った。
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