第2章

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「すみません、ちょっとトイレ行ってきます」  嫌悪感をうまく隠せそうになくて、席を立ち急いでトイレに駆け込んだ。幸い中には誰も入っていなかったので、鍵を閉めて手洗い場で口元を何度もすすいだ。  自分でもおかしいとは思う。あんな美人に触れられて不快に思うなんて。今までならこういうとき、たとえ嬉しくなくても嫌悪感を抱くことはなかった。  混乱する頭を落ち着けようと深呼吸する。相手は年上の女性だ。俺が呉内さんに紹介してもらおうと思っていたような、きれいで品のある大人の女性。こんなチャンス次いつ来るかわからない。だったら今日のうちに仲良くなっておくべきだ。そう思うのになぜかノリ気になれない。 「いや、そんなに無理する必要ないか……」  たぶん俺が苦手なタイプってだけだ。  ……いや、そもそも俺の苦手なタイプってどういうのだ? 逆に好きなタイプは? これまで付き合った相手はどんなタイプだった?  こうして改めて考えてみるとよくわからない。そういえば自分の好みについて深く考えたことなんて一度もなかった。何となく合いそうとか面倒くさくなさそうとか、そんな理由で彼女にする人を選んでいた気がする。  由莉奈さんは苦手なのか? 美人で優しそうなのに? まだ会ったばかりで相手のことをよく知らないのに?   いや、こんな疲れ切った状態で考えるだけ無駄だ。戻ろう。どうせ俺がいない間に近野が勝手に席を移動しているだろう。俺も由莉奈さんから離れた場所に座れば、色々と考える必要もなくなる。俺は近くにいる人と話していればそれでいい。  トイレから出て座敷に戻ると、呉内さんと由莉奈さんの姿がなかった。教授は酒が弱いのかすでに眠そうにしているし、近野は由莉奈さんがいないからか、屋台運営メンバーの女の子と話している。一人黙々と料理を食べている深月の隣に座る。 「理人、おかえり」 「おう。って、呉内さんは?」 「知り合いから電話かかってきたとかで、外に行ったよ」 「そっか」  俺も気を取り直して運ばれてきた料理を食べようとしたときだった。 「彼女からだと思うぞ」  太った男のか細い声が、このときばかりはよく聞こえた。  ……え、彼女?  「えー! 呉内さんってやっぱり彼女いるんですか!?」 「嘘! ショック~。でもあれだけイケメンだったら仕方ないか」 「せっかくだから連絡先聞こうと思ってたのにー」  女の子たちの落胆の声がやけに遠くで聞こえる。隣で深月が俺の名前を呼ぶ声がするが反応できない。太った男が酒を飲みながら続ける。 「やっぱあいつはモテるな。うちの大学の元ナンバーワンは健在ってわけだ」 「もしかして呉内さんって美男子コンテストに出たんですか?」 「出てたよ。三森教授が勝手に決めたから」 「呉内のときのサポーターが由莉奈だったんだよ。ちなみに由莉奈は美女コン優勝者。同じペアはコンテストに出られないから、由莉奈の美女コンのときは、別のやつがサポーターについたけど」  痩せ細った男も話に入る。 「あの二人はどこからどう見ても理想のカップルだよな」 「お似合いすぎてな。準優勝との点差がすごかったらしいし」 「呉内と由莉奈が付き合ってるって噂は在学当時からあったな。俺らもそうだと思ってたくらい。でも何も聞いてなくて、てっきり卒業式のときに実は恋人同士でしたって発表されると思ってたのに、結局何もなかったんだよな」  二人の話に大袈裟に落胆する者もいれば、あの二人なら少女漫画みたいで憧れると言う者もいた。  たしかに俺が呉内さんの隣に並んでも年の離れた兄弟にしか見えないが、由莉奈さんなら恋人同士に見える。それこそ少女漫画に出てくるような、誰もが羨ましがる美男美女のカップルに。 「ま、今は彼女いるみたいだし」 「あいつの場合、いない方が不自然だけどな」 「でも、呉内と付き合う女は全員束縛激しくなるから、長続きしないんだよな」 「そうそう。大学のとき、あいつと飲み会行くと絶対電話かかってくるんだよ」  呉内さんと付き合う女性を想像してみる。きっとその人もすごくきれいで、でも呉内さんがモテるから心配になるんだろう。  彼女がいるなんて話は聞いてないが、いないとは断言できない。言い寄ってくる女性はたくさんいるだろうし、何よりあの日寝室にあった一人で使うには大きすぎるベッドがその証拠であるような気がしてならない。  だとしたらあの告白は何だったんだ? やっぱり俺のことからかって遊んでるのか? それとも男と女は別とか?  話を聞いているうちに、何となく胸の奥のほうで重く鬱々とした何かがぐるぐると回っているような感覚に襲われた。 「アメリカにいたって言ってたから、今回の彼女は海外美女だったりしてな」 「えー、そうか。俺はようやく由莉奈と付き合ったんだと思ったけど」 「あー、それもありえるな」  女の子たちも相手が由莉奈さんなら納得だと頷き合っている。 「何がありえるって?」  全員が話に夢中になっていて、呉内さんが戻って来ていることに、声をかけられるまで気がつかなかった。 「あ、お帰り。悪いな、今お前の話してたわ」  太った男の言葉を全く気にした様子もなく、呉内さんはごく自然に俺の隣に座った。その直後、由莉奈さんが戻ってきて「席替えしたんだ」なんて言いながら、呉内さんの向いに座った。  さっきより化粧が濃くなっている。きっとトイレで化粧直しをしたのだろう。それに気づいた女の子たちが由莉奈さんに化粧品についての質問をする。由莉奈さんは小さなポーチからリップやマスカラを取り出して楽しそうに話している。 「理人くん、顔色悪いけど大丈夫?」 「あ……はい。大丈夫です」 「嘘。理人、さっきからずっとぼうっとしてるし、本当は体調悪いんでしょ」  深月が真剣な顔をつきでこちらを見るので、笑って誤魔化そうとしたがたぶんうまく笑えなかった。 「理人くん、ちょっと早いけど帰ろうか。俺が送って行くし」  呉内さんは他の人には聞こえないように小声で話す。 「え、でも悪いですよ、そんな……」 「いいよ。体調悪い子を一人で帰らせるわけにはいかないし。それに同じマンションだしね」  深月にも早く帰って休んだ方がいいと言われたので、流されるように頷いてしまった。 「あ、でも深月……」 「ん? 俺なら大丈夫。タイミング見て京兄に迎えに来てもらうから」 「……悪いな」  俺が了承すると呉内さんはすぐに立ち上がって、財布から二万円を取り出してテーブルに置いた。 「近野くん、ごめん。俺と理人くん先に帰るね」  俺も立ちあがろうとテーブルに置いていたスマホを手に取った瞬間、強い視線を感じた。反射的に顔を上げると由莉奈さんと目が合った。明らかに怒っている。それも俺を蔑むような冷たい怒りに満ちた目だった。  優しい雰囲気のイメージからは想像もできないような目つきだったが、それは本当に一瞬のことで由莉奈さんはすぐに笑顔になった。 「えー、朱鳥もう帰るの?」 「俺、明日も仕事あるし、理人くん体調悪いみたいだから一緒に帰るよ」    近野の周りの女たちも残念そうにしているが、彼女がいるとわかったからか、引き止めたり無理矢理連絡先を聞こうとするやつはいなかった。 「またね、理人」 「おう、京斗さんによろしく」  寝ている三森教授を除いて、深月や近野たちと挨拶を交わし、呉内さんと共に居酒屋を出ることにした。座敷で靴を履いている間も後ろからの視線が怖くて、俺はその場から逃げるように店を出た。
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