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この時間だと近所のスーパーはどこも閉まっているので、コンビニに行って残りもののお弁当かおにぎり、あるいはインスタントラーメンを買うしかない。
勉強も運動もできるし、学生生活で苦労したことはほとんどないが、唯一家庭科の授業だけは苦手だった。その中でも調理実習は仮病を使って休みたいほど嫌いだった。なぜなら俺は壊滅的に料理のセンスがない。
大学には家庭科という科目はないので問題ないが、中学生や高校生のころは、とにかく実習グループのメンバーに助けられながら何とか乗り越えていた。
一人暮らしをしてからも料理が出来ないことに変わりはなく、カルラのまかないかコンビニ弁当、インスタント麺を食べて何とか過ごしている。
以前、テレビで家事炊事が得意なモテ男特集というの番組を見たとき、何とかしてつくってみようと思ったが、台所が大惨事になっただけで結局何も食べることが出来なかった。それ以来、自炊は完全に諦めている。
こういうとき、恋人がいれば何かつくってもらえるのに、残念ながら今はいないので仕方ない。将来は絶対に料理の上手な子と結婚すると決めている。できればお菓子づくりも得意だとありがたい。
近所のコンビニに入り、最近ハマっている油そばと冷凍唐揚げを購入し、ついでにデザートととしてロールケーキも購入した。
マンションに着くころには夜の十一時を過ぎていて、エントランスや廊下で同じマンションの住人と会わないのはいつものことだった。
だが、今日だけは違った。
いつものように静かなマンションのエントランスを抜けてエレベーターの前まで行くと、スーツを着た男が立っているのが見えた。遠くから見てもわかるほどスタイルがよく、同性だとわかっていても目についた。
この時間にほかの住人に会うのは珍しいが、同じマンションに住んでいるのだから何も不思議なことではない。
知らない人と同じエレベーターに乗るは少し気まずいが、バイト終わりに自室のある三階まで階段で行く気力はない。仕方なくそのままエレベーターの前まで歩いていくと、俺の足音に気がついた男がこちらを見て、そしてきれいに笑ってみせた。
「理人くん、だよね?」
「……呉内さん?」
エレベーターの前に立っていたのは、数時間前にカルラに来てくれた京斗さんの同僚の呉内さんだった。あまりにも顔が整っていて印象的だったのですぐにわかった。
「もしかして、君もこのマンションに住んでるの?」
「はい、そうですけど」
「そうなんだ。偶然だね。実は俺も帰国してからこのマンションに住むことになったんだ。よろしく」
まさか今日会ったばかりの人が同じマンションに住んでいるとは思いもしなかった。しかしカルラも京斗さんが働いている会社もここから程よい距離にあるので、ありえない話ではない。
世界は狭いな、などと他人事のように思いながら、降りてきたエレベーターに乗った。
「何階?」
「あ、三階です」
俺がそう言うと、呉内さんは三階のボタンと七階のボタンを押した。最上階に住んでいるのか。さすがエリートサラリーマンだけのことはある。
「結構遅くまで働いているんだね」
「ええ、まあ」
大学生が夜の十時まで働いているのはよくあることだと思うが、社会人で大手企業で働いている人なら、むしろ夕方の定時に退社するのだろう。
京斗さんも日本にいたときは、繁忙期以外は六時に退社しているのだと深月が言っていたのを思い出す。そういう人たちからすれば確かに十時という時間は遅いのかもしれない。
呉内さんはあれから京斗さんと深月と一緒だったのだろうか。
短時間とはいえ無言のままはよくないかと思い、あたりさわりのない話題を振ってみようと、カルラを出たあとの三人について考えてみる。
三人でレストランにでも行って夜ご飯を食べていたのかもしれないし、あるいは京斗さんの家で深月の手料理を食べていたのかもしれない。あいつは俺と違って料理は得意分野だから。
疲れた頭で色々考えてみたが、そもそも呉内さんがどこで何をしていようがあまり興味はないし、本人に聞く前に三階に着いてしまった。
呉内さんも話しかけてくることはなかったし、俺も早く部屋に戻ってご飯を食べたかったので、すぐにエレベーターから降りた。
「それじゃあ、またね」
呉内さんがそれだけ言うと、エレベーターのドアは閉まり、静かに上階へと上がっていった。
きれいな顔の男の人。
俺にとって呉内さんの印象はそれと、たぶん良い人なのだろうというくらいで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
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