*1 指先から惚れた推しギタリスト

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*1 指先から惚れた推しギタリスト

「ああ、ヤバい。開演十分前……間に合うかな」  仕事が思いがけず長引いてしまったのは、やっぱり来週お誕生日会があるからだろう。自慢ではないけれど僕は割と器用で切り紙とか工作は好きな方だから、メダル作りとかカード作りは苦じゃないんだけれど…… 「だからって三学年分はキツイよぉ……」  駆け込んだ電車の中で少し大きめの溜め息交じりに呟きたくなってしまうのも、毎月のようにその作り物作業が僕に丸投げされるからだ。 「拓海(たくみ)先生は上手だからぁ」とか、「やっぱり若い先生のセンスは違うわぁ」とか、褒めてれば喜んで何でも引き受けるなんて思われているのもかなり癪なんだけれど……それをそのまま言い返せるほどの度量と許される環境ならばとっくにそうしている。着任してまだ二年目、ひよっこの僕がそう簡単に意見なんて出来るわけがない。  そもそも職場は最近でこそ僕のように男性も増えたとはいえ、まだまだ女社会の雰囲気が色濃い……それが僕の職場、保育園だ。  女の職場はギスギスしていてねちっこい、みたいな言い方をされがちだけれど、噂で聞くほど僕の職場の保育園であるマミー保育園はそれほど陰湿な雰囲気ではない……はず。  最初の頃こそ若手男手で力仕事を期待されていたけれど、身長一六五センチのやせ型でその上うっかりすれば学生……それも高校生に見られそうなほど、目がくるりと丸く大きく色白で童顔な僕には早々にその期待はされなくなった。  その代わりに目を着けられたのが手先の器用さで、頼りにされるのは嬉しいけれど、だからって周りよりまだ安い給料でこき使われている感じが拭えない。 「えーっと……ウェルカムズは、と……」  それでもなんとか仕事を切り上げ、僕は唯一とも言える楽しみ……いや、生き甲斐とも言えるものを観に行くためにウェルカムズという都心の小さなライブハウスを目指す。  関東近郊には珍しい路面電車である都電が走る駅前のロータリーを駆け抜け、そのまま駅前の商店街を突っ走っていく。  ウェルカムズはJRと都電の大塚駅からほど近いビルの地下にあり、そこで数カ月に一度僕が観ることを生き甲斐としている弾き語りライブが行われる。今日はそのライブの日なのだ。  薄暗い狭い階段を駆け下りると小さなカウンターがあり、スマホにQRコードを表示して受付をして入場する。そして別料金のドリンクを受け取る。やっぱりここはビールだろう。  会場は四十名ほど入れば満杯な小さな会場で、今日はそのほとんどが埋まっている。 「さすが英登(えいと)さんだなぁ」  僕が会場の隅のカウンター席に座り、乱れたマッシュヘアーを整えながら呟くと、すぐに会場の照明は暗くなった。もうライブが始まるようだ。  職場からずっと走ってきて喉がカラカラなので一気にグラスの三分の一ほど飲み干すと、僕のすぐそばの通路を一つの背の高い人影が横切っていった。 (あ、英登さん……!)  トレードマークになっているアコースティックギターは確かフェンダーのやつで、デビュー当時から愛用しているギターだ。  英登さん、こと近藤英登(こんどうえいと)さんは三年前まではベターズってバンドを組んでいた、いまはフリーのギタリストで二十八歳。ギターの腕もさることながら、通った鼻筋と切れ長の目許がカッコいいので女性ファンが結構いる。 「どうも、英登です。じゃ、始めます」  ステージに上がってチューニングを済ませると、それだけを呟くように言って英登さんは一曲目を弾きだした。英登さんは唄うことがほぼなくて、インスト曲のライブが基本だ。  イントロから引き込まれる音色に、僕は飲みかけていたグラスを置いてそのまま見惚れる。  ステージライトに照らされ金色に透ける茶色い髪、その隙間から覗く鋭ささえ感じる眼差し、そして何より――僕はじっと熱く六本の弦を自在に弾き奏でる長く形の良い指先を見つめた。 (――ああ、この指に触ってもらえるなら……死んだっていいのに)  そんなことを思ってしまうぐらいに、僕は彼に、英登さんに夢中……いわゆるガチ恋をしている。もちろん、誰にもこのことは明かしていない。英登さんに迷惑がかかるかもしれないから、密やかに、でも熱烈に恋している。  自分が女性よりも男性、それも手許、指先の形がいい男性に惹かれる傾向にあることに気付いたのは中学生の頃だったかと思う。  いまは亡き両親が音楽好きで、特に父親は自らも趣味でギターを弾くような人だったからギターの音色は身近だった。ぼんやりと憶えているのは、父親がギターを奏でる姿よりもその手許で、両親からは「拓海は将来ギタリストになるね」なんて期待すらされていたほど熱心に見つめていたらしい。  指先で自在に音色を弾き奏でる手許の仕組みが不思議で魅力的で、そして到底自分にはできないと幼い頃から自覚していたけれど、実際は楽器演奏のセンスはギターよりもピアノを職業柄辛うじて弾ける程度だ。だから余計に、ギタリストの指に惹かれてしまうのかもしれない。  数々の名ギタリストの演奏動画を見るのが趣味で、配信サイトであれこれ見ている時に偶然見つけたのが英登さんの弾き語りライブでの映像だった。  海外や往年のギタリストのように軽妙なトークをするわけではなく、少し恥ずかし気に黙々とインスト曲を奏で続けている英登さんの姿に僕は一目で惹かれ、気付けばその当時間近なライブのチケットを取っていた。  それをきっかけに次のライブその次のライブと足を運んでいく内に、すっかり虜になって今に至る。 「じゃあ、1stステージはここまでで。ちょっと休憩にします」  十五分後にまた、と言って一礼して英登さんはアコギを持ってステージから降りていく。拍手が狭い会場いっぱいに鳴り響き、その中を突っ切りながら英登さんは会場入り口近くの楽屋へと帰って行く。  ちょうど僕の座るカウンターの前を通りかかったので、「お疲れさまでした!」と、思い切って声を掛けると、英登さんが振り返って「ああ、どうも」と言って小さく笑ってくれた。  はにかんだような少年の姿さえ彷彿とさせる微笑みに、僕はもちろん撃ち抜かれてしまう。指先だけでなく、僕はもう英登さんのすべてに惚れ込んでいると言える。 「たくみん、来てたんだー」  英登さんを見送って若干惚けていた僕に、背後から明るい声で呼びかけられる。  振り返ると、クリームベージュのストレートヘアの僕より少し背の高い若い女の人がニコニコと僕に手を振っていた。 「あ、真菜(まな)さん。こんばんは」 「仕事帰り?」 「うん。だから開演ぎりぎりだった」 「そっかー、大変だねぇ、保育士さんも」  真菜さんは、保育士のくせに人見知りしてしまう僕の数少ないファン仲間だ。細くてスタイルの良い真菜さんは場がぱっと明るくなるようなタイプの美人で、服装もいつもオシャレなお姉さんだ。 「いえいえそんな、真菜さんだって仕事帰りでしょ?」 「まあねぇ。でも英登のライブがあるから早く切り上げたよ」  そう言い合いながらお互いに持っていたグラスを合わせて小さく乾杯をし、労い合う。 「ねえねえ、さっきのステージでさ、ルパン三世のテーマやったじゃない? あれカッコ良かったよねぇ」 「いいですよねぇ、あの曲。いつも聴いてて惚れ惚れする。指の動きが神がかってるもん」 「やっぱたくみんの注目はそこだよねぇ。流石指フェチ」 「だって最高じゃないですか、英登さんのギタープレイ」  当然だと言うように真菜さんは頷き、グラスのビールを少し飲む。  それからも僕と真菜さんはさっきのステージで演奏された楽曲の英登さんのギタープレイについてあれこれ語った。  真菜さんはファンの中ではかなり古参の方らしく、バンド時代からのファンだそうなのでまだまだ新参者の僕は教えてもらうことが多い。 「あ、そろそろ2nd始まるかな。じゃあ、また後でね」  そう言って真菜さんが自分の席に戻ると同時に会場の中はまた薄暗くなり、英登さんが楽屋からギターを持って出てくる。  休憩を挟んだからか、僕の前を横切っていった英登さんの表情は心なしかさっきよりもリラックスしているように見えて、そのほどけてにこやかにすると糸目になってしまう表情がまた魅力的だった。  ステージに再び上がった英登さんがチューニングをはじめ、二回目のステージが始まろうとしていた。
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