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第16話・うまい棒
エンジンを切り、私は運転席のシートに勢いよくもたれかかった。駐車場にはほとんど車がなく、しんと静まり返っている。
「あー、緊張した!」
助手席の真昼がねぎらってくれる。
「お疲れ様、真弓さん。でも、乗り心地よかったよ」
「なら、よかったんだけど……」
運転するのはずいぶん久しぶりだった。春彦と結婚していた頃は彼が運転していたし、亡くなってから車も処分した。今日は真昼の希望でレンタカーを借りて、ここ白蛇神社まで運転してきた。
2023年1月4日、私たちは初詣のために白蛇神社を訪れている。3が日をはずしたのは、人混みを避けるためだ。真昼は屋台が出ていないから嫌だと駄々をこねたが、免疫抑制剤を服用しているうえに入試本番を控えた今、風邪をもらうなんてもってのほかだ。
秋のあの日、急接近した私たちは自然とつき合い始めた。今ではお互い名前で呼び合う仲になり、私は休みの日には真昼のマンションを訪れるようになった。
そして、真昼と日々を過ごすようになり、私自身の目標もできた。
──心臓リハビリテーション指導士になる。
受験勉強をする真昼と同じ空間で、私も資格取得の勉強に励んでいる。この時間は私たちにとって、とても有意義なものだ。
車から出ると、山の中特有のしんとした空気が身を包んだ。
「寒いでしょ。しっかりマフラー巻いて、手袋つけてね」
「はぁい。ってか、やっぱ3が日じゃなくてよかったかも」
「そう?」
「だって、堂々と手をつなげるから」
手袋なしにつかまれた右手からは、真昼の体温が伝わってきた。
「それにしても真昼、どうしてこの神社がよかったの?」
「うーん。そう言われるとよくわかんないんだけど、ネットとかでちらっと見たことがあったのかなぁ」
「まぁ、本殿からの見晴らしがいいっていうからね」
だが、本殿への石段を前にして少々気持ちがひるんだ。きつめの石段が長く続いている。ネット検索ではわからないこともあるものだ。
「真昼、大丈夫そう?」
「大丈夫だよ」
心拍数を急に上げないようにゆっくりと登り始める真昼に寄り添う。
背後から家族連れがやってきて、私たちを追い抜かしていった。視覚障害者なのか旦那さんは白杖を持っているにもかかわらず、この石段を難なく登っている。4、5歳くらいの女の子が、奥さんの手を引っ張って一気に登ろうと急かした。
「アカネ、僕は大丈夫だから、先に行ってていいよ」
「わかった。気をつけてね」
私たちは、奥さんと娘さんが石段を駆け上がるのを見送った。1人になった旦那さんも、ペースダウンすることなく登っていく。
「私たちは、私たちのペースでね」
「うん。ありがと真弓さん」
やっとの思いで石段を登り切った。真昼の息もほとんど上がっていない。もしかしたら年上の私の方が、息切れしているかもしれない。
本殿前の広場には人がおらず、貸し切り状態だった。さっきの家族連れも、すでにお参りを済ませたのだろう。
ご神前に進んで真昼と並んで立ち、お賽銭を入れて二拝二拍手一拝の作法で拝礼を済ませた。
「真弓さん、何をお願いしたの?」
「そりゃあもちろん、真昼の合格でしょ」
「やっぱり。よかった」
「何で?」
「僕は、『真弓さんとずっと一緒にいられますように』ってお願いしたから」
「こら」
そんな会話をしながら脇道を進むと、屋台が1軒だけ出ていた。くじ引きの屋台だが、その一角だけ時代遅れのたたずまいで、来たことはないのになぜかどこかで見たような記憶を呼び起こさせた。
「真弓さん、屋台出てるよ!」
「ほんとだ。でも、ちょっと怪しくない?」
「そんなことないと思うけどなぁ。きっといいのが当たるよ。真弓さん、やろうよ」
とはいうものの、しょせん子ども向けのくじ引き屋台だ。特に興味を引く景品はなかった。だが、真昼がそこまで言うのならばやってみてもいいと思った。
「久しぶりのお客さん! もうかれこれ10数年前かのぅ……最後に来てくださったのは」
客がなくて舟をこいでいたおじさんに500円ずつ払い、1回ずつ引く。
「お姉さんは10番だから、くまさんのぬいぐるみね。お兄さんは25番だから、駄菓子の詰め合わせか。もうお客さん来ないから、このうまい棒もサービスしちゃうよ!」
「あ、ありがとうございます」
景品を受け取り、少し離れたベンチに並んで腰をかける。真昼はくまのぬいぐるみを手に取って眺めている。少しとぼけた顔のくまだ。
「このくまさん、真弓さんに似てない?」
「そうかなぁ。私、もっとかわいいでしょ」
「ほら、その顔そっくり!」
ぬいぐるみがぐっと顔に近づけられた。似ていないわけではないが……。いや、似ていない。
「そんなこと言うと、お菓子没収します」
「ってか、今うまい棒食べようよ。真弓さんジュース買ってきて。僕、アンバサが飲みたいなぁ」
「冷たいものはいけません」
私は立ち上がり、自動販売機でコーンポタージュの缶とおーいお茶のペットボトルを買った。コーンポタージュを真昼に手渡す。
「えー、何でよりによってコンポタなの……」
「コンポタ味のうまい棒だから」
「……からかってごめんなさい」
「よろしい」
目の前には素晴らしい眺めが広がっている。一番暖かい時間帯を選んで来たので、日差しを受けてぽかぽかとしている。
「それにしても、いい眺めだねぇ……」
「ほら、そういうところがいかにも年上って感じ」
「こら」
「真弓ねーさん、怖い怖い」
思わずぷっと吹き出してしまう。また好きな人ができて、その人とふざけ合うことができるようになるなんて。
真昼を見ていると、そのしぐさや好みなどに春彦の面影を感じることがよくある。春彦の心臓を移植したことにより、真昼の性質が本当に春彦寄りになったのかもしれない。
──でも、もう真昼でも春彦くんでもどっちでもいいや。真昼は春彦くんで、春彦くんは真昼なんだから。
これからは2人とともに歩んでいけばいい。
物思いにふけっていると、真昼に顔をのぞき込まれた。
「どうしたの? もしかして、本当に怒っちゃった?」
「怒ってない、怒ってない」
私は顔の前で掌を振る。
「幸せだなぁって。ただそう思っただけ」
「僕も。好きだよ真弓さん」
赤面していると、真昼が私の前にコーンポタージュを差し出してきた。
「じゃあ、コンポタとお茶を交換してください」
「やだ」
困惑した表情で私を見る真昼から、そっとコーンポタージュを取り上げた。怪訝そうに私を見つめ続ける真昼に、私はささやいた。
「それよりも、真昼にしてほしいことがあるの」
真昼の目が見開かれる。
「じゃ、じゃあ……」
私は目を閉じた。
両肩を軽くつかまれたのと唇にやわらかな感触を感じたのは同時だった。唇を合わせたまま真昼の両腕が背中に回り、私も両腕を回した。
やがてどちらからともなく唇を離して目を開けると、自然に見つめ合うかっこうになった。
「真昼が好き」
思い切って飛び込んだ真昼の胸。どくどくという力強い鼓動と私を抱きしめる両腕。
まるで真昼と春彦の2人に抱きしめられているようだった。
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