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第2話・ホワイトグラタン
久しぶりにきちんとした料理を作ってみようと、日勤帰りの私はスーパーに立ち寄った。入ってすぐの野菜売り場には、きのこやさつまいもなどの秋の味覚がずらりと並んでいる。
春彦とともに来ることもあったこのスーパー。夏野菜が並んでいた記憶で止まっていた。
「そっか、もう秋なんだ……」
頭の中ではわかっていたつもりだった季節の移り変わりが、ようやく実感をともなった気がした。
看護師という不規則な職業なので、食材を買いだめして冷凍保存するのは得意だ。私は下処理の手順を頭に思い浮かべながら、野菜をかごに入れていく。玉ねぎ、じゃがいも、キャベツ、そしてしいたけやしめじといったきのこ類。
ふと前からの習慣で小松菜を手に取ろうとして、私は思いとどまった。
──春彦くん、いないんだった。
春彦は小松菜と卵を炒めてポン酢で味つけした、料理とも言えないような小さなおかずが好きだった。晩ご飯は何がいいかと聞くと、10回のうち7回はそれをねだった。休みの日で少し手の込んだ料理を作る余裕がある時でもそれをねだるので、私はいつも小松菜を買って冷凍保存していたものだ。
ふと、とてつもなく寂しい気分になり、かごに入れた野菜を売り場に戻そうとした。
──でも、春彦くんだって頑張って生きようとしてるんだ。私が負けそうになってどうするの。
しばらく悩んだ結果、小松菜をかごに入れた。そして、冷凍保存しておけそうな肉類や保存のきく乾物を買って帰った。
左肩に下げた通勤用のトートバッグのほかにスーパーで買った食材を詰め込んだエコバッグを持ち、自宅までの道のりを歩く。夕暮れ時の時間帯、吹く風はだいぶ冷たい。だが食材を抱えているからか、私の気分はいつになく明るい。
いっときは絶望感でいっぱいだった私をここまで回復させてくれたのは、ほかならぬ春彦だった。
緊急搬送直後はたいそう不安定だった春彦の病状が、ここに来て安定しだしたのだ。意識回復は絶望的だと担当医から告げられているが、私には奇跡が起こるような気がしてならない。
それに、春彦がそばにいない、春彦と話せない状態に慣れてしまったこともあるのだろう。
もちろん夜ひとりでベッドにもぐり込む時、隣に春彦のぬくもりがないことが寂しい。だが、春彦は深夜まで配信や編集をしていて、朝まで自室で過ごすこともあった。すれ違い生活をもどかしく思うことがしょっちゅうだったが、今はその経験に助けられている。
それに春彦が病院にいる限り、手厚い看護で守られているという安心感もあった。
「ただいま……」
だが、返事の帰ってくることのないしんと静まり返った自宅はやはり寂しいものだ。春彦の部屋の前に立って耳を澄ませてみるが、配信する声もパソコンの打鍵音も聞こえない。
春彦が緊急搬送されてから、幾度となく繰り返してきてこの行動。今日も無人の部屋は変わらない。だがそれは、春彦が病院で頑張っている証。
──春彦くん、私も負けないよ。
よし、と腕まくりをして、私はキッチンに移動する。そう、私は前から何かつらいことがあった時、料理をして気を紛らわせていたのだ。
玉ねぎやキャベツは冷蔵庫の野菜室、きのこ類はほぐしてそのままフリーザーバッグに入れて冷凍室へ。小松菜も一口大に切って、そのまま冷凍保存が可能だ。肉類も小分けにして冷凍室に入れた。じゃがいもはそのまま室内に置いておく。
やっと晩ご飯作りにとりかかる。まだ完全に食欲が戻っていないが、作っているうちに戻ることを祈る。
玉ねぎを薄切りにし、さっき下処理した時に取り分けておいた鶏肉ときのこ類、小松菜をバターで炒める。同時進行で、ボウルに小麦粉と電子レンジで溶かしたバターと牛乳を入れてよく混ぜる。それを小鍋に移して弱火で混ぜながら加熱する。さらに三ツ口コンロの残りで鍋に水を沸かし、マカロニをゆでる。それくらいの忙しさが、今の私にはちょうどよかった。
「そろそろ、いいかな」
フライパンで炒めていた具材も、小鍋で作っていたホワイトソースも、鍋でゆでていたマカロニもちょうどいい塩梅だ。私は水分を切ったマカロニとホワイトソースをフライパンにあけてよく混ぜた。最後に塩とこしょうで味を調える。
「あっ、グラタン皿。用意するの忘れてた」
いつもの調子でグラタン皿をふたつ食器棚から出して、思わず固まってしまった。フライパンを見ると、明らかに私ひとりで食べ切れる量ではない。
「明日、食べればいいか……」
気を取り直して、バターを塗ったグラタン皿にフライパンの中身を入れて粉チーズを振る。ふたつのグラタン皿を電子レンジに入れ、オーブン機能のスイッチを押した。20分ほどで美味しいホワイトグラタンができ上がるはずだ。
フライパンや鍋をシンクで洗いながら、私は考える。この先、私は何度こんな感覚に襲われるのだろうと。
それはいったい、いつまでだろう。春彦が回復してこの家に戻ってくるまで? それとも──?
私はぶるぶると頭を振る。
──そんなこと、ないよね? 春彦くんは元気になってこの家に帰ってくるよね?
春彦が無言でこの家に帰ってくることなんて考えたくなかった。
電子レンジが、ピーという音を立てて止まる。私は両手にミトンをはめてグラタン皿を慎重に取り出して食卓に並べる。ひとつは私の席に、もうひとつは春彦の席に。フォークとスプーンも、春彦のものを用意した。香ばしい匂いが、寂しい食卓に彩を添える。
この儀式めいたことが何の意味を成すのだろう。不吉だと言われてもいい。だが──。
「春彦くん、できたよ。熱いから、口の中をやけどしないでね」
今の私にとっては、それが精一杯だった。
「料理、ちゃんとできたよ……。でも春彦くんが帰ってきたら、小松菜はちゃんと卵と炒めるから……」
あふれる涙をこらえ、ひとりホワイトグラタンを頬張る。涙のせいか塩加減が強かったせいか、たった1人で食べるホワイトグラタンはどこかしょっぱかった。
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