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指定日時ちょうどに、茉莉は竜宮屋の前に立った。
店は、明らかに閉店中の佇まい。ここから先はどうするべきかと悩んでいると、店の引違い戸がカラカラと引かれた。
扉の向こう、長身痩躯を白い仕事着に包んだ巽が、茉莉をにこやかに出迎える。
「お待ちしていました」
先日の活気と違い、しんとした店は深海の静けさを思わせた。必要最低限の照明の下、鞄を胸に抱えた茉莉は、厨房まで案内される。
テーブル前に茉莉を待たせた巽は、あまり間を置かず、小型のクーラーボックスを持って戻ってきた。
「周君には、生前本当にお世話になりました。良いビジネスパートナーで、友人でもありました。だから、彼から相談を受けた時、私は彼の力になりたいと思いました」
「父が、相談?」
茉莉の知らない父の残影に、心が揺れた。
「自分は病気で長くない。本家と縁を切ったから、貴女に何かを遺してやることもできない、と。私は、思いを遺してはどうかと言いました」
「思いを、遺す」
茉莉自身の言葉も、心臓の音も、うるさいくらいに響いて聞こえる。
「ほとんど知られていませんが、海に生き、肉体が海に還った人の、遺された人への強い愛は、海には還りません。海に拡散せずに凝縮し、やがて周囲の物質を巻き込み肉体を得て、相手に最も分かりやすい魚になって陸に帰ってくるんです。我々はそれをカナエと呼ぶ。カナエを管理し、遺された方にお渡しするのが、我々の本当の仕事」
巽が、テーブルに置いたクーラーボックスの蓋を開け、茉莉の前に押し出す。
箱の中を見た茉莉の目が、こぼれんばかりに大きく見開かれる。
中には、小振りの魚が三尾並んでいた。
全体的な形はスズメダイに似ているが、体色は頭から尾鰭にかけて、水色から薄紫のグラデーション。小さな鱗は、ラメ生地のように細かいきらめきを放っている。ただ一匹だけは、身の厚みが他の倍ほどあった。
それは図鑑にはない、けれど茉莉の良く知る魚だった。
「これは……」
「お父さまよりご予約頂いていました、茉莉さんのカナエです」
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