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 絶句する茉莉(まつり)に、(たつみ)の声が染み入るように響く。  それは、まさに呼び水。  茉莉の脳裡(のうり)で、幼い頃のワンシーンが鮮やかに浮かび上がる。  ──小学生の自分が、何かの宿題で想像上の魚の絵を描いている。  形は、今まさに台所で父が(さば)いているスズメダイを参考にした。レースのように細く流れる(ひれ)はオリジナルだ。体色は、父の好きな紫と、母の好きな水色。目の緑色は、祖母の好きな色だ。その上から白で細かい点を全体的に描いて、茉莉自身が最近気に入っているラメ感を表現する。  隣で裁縫をしていた祖母が、「こりゃまたキレイな魚だ」と感心したように言った。 「この魚、食べられるのかい?」 「うん! すっごく美味しいの」 「そうかい。どうやって食べようかね」 「お刺身!」 「そのサイズで刺身引いても、大した量にならねーよ」  背後から覗き込んだ父が、現実的なコメントをする。茉莉は振り返らず、「魚の紹介欄」に魚の特徴を書きながら反論した。 「いいの! ちょっとでお腹いっぱいになれるから」 「へぇ。味は?」 「鯛みたいだけどもっと美味しくて、脂ものってて。あ、でも大トロみたいに脂っぽくないの。お魚は嫌いって人も、これを一口食べた後は、どんなお魚でも平気になるんだよ」 「そりゃすげえ。母さんが帰ってきたら、そういう魚がいなかったか聞いてみようや」 「私が考えたんだから、絶対に新種よ」 「じゃあ、おばあちゃんは、その絵をぬいぐるみにでもしようかね」  父も祖母もニコニコしている。茉莉は満面の笑みで大きく(うなず)いた──  父の思いが、あの絵の魚になって帰ってきた。茉莉は、持ってきた鞄を抱きしめる。鞄の中では、祖母が作ってくれた魚のマスコットが眠っている。  祖母は、紫と水色のグラデーションのラメ生地で、魚を四つ作ってくれた。仕上げの綿詰めは、母と茉莉も手伝った。とはいえ、不器用な母が一つ詰める間に、茉莉は残り三つ全てを仕上げたけど。  母が綿を詰めた一匹は、茉莉の作品の倍ほど厚みがあった。それを見た父は「これじゃ泳げねえよ」とゲラゲラ笑い、そのくせ、それをすぐに自分の鞄にぶら下げた。  母もまた、茉莉の作品を仕事場へのお供にしていた──  母の死後に戻ってきた荷物の中に、あのマスコットはなかった。  祖母は、移住後に自分の分のマスコットを父に渡した。父は二匹の魚を車に飾った。  病床の父が、ふとした時に言った。 ――あの魚、俺と一緒に燃やしてくれ。で、残った骨と灰は全部海に撒いてほしい。  だから茉莉は、あの二匹の魚のマスコットを棺桶に入れた。遺灰も遺骨も、エブリスタウンの沖合で海に還した。散骨の場所は、父の遺言だった。  すべては、今日この瞬間のために。  茉莉が、静かに涙を拭う。  巽が尋ねた。 「こちらは、どのようにしますか?」 「お刺身で」  すかさず答えた茉莉の顔が綻ぶ。巽もまた、ニッコリと微笑んだ。 「お任せください」
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