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 空の高い位置で旋回する燕は、(あお)い空を滑るように舞う。その明るさに目を細めながら、宗次郎が呟く。 「さすがにあれは捕まえられへんなあ」  その足元、まだ背の低い根深(ねぶか)(長葱)のまわりでは、(すずめ)たちが一心に地面を(ついば)んでいる。が、急に話しかけられて驚いたのか、一斉に羽ばたいたかと思うと、高く温かい空へと飛び立って行った。  それを見られていたようだ。若い娘の笑い声が届く。 「あんたたち、捕まえる気なんてサラサラないんでしょ」  ハリのある声は、すぐそばにある茶店の中から聞こえてきた。  『とらや』の看板娘である〈おふみ〉だ。  鬼子母神(きしぼじん)参りの寄り道に立ち寄る男客のほとんどが彼女目当てだ――という評判が立つほど、おふみはその見目も声も仕草も愛らしい。  宗次郎は半平太(はんぺいた)と思わず顔を見合わせた。半平太に至っては、ぺろりと舌まで出しておどけているものだから、つい苦笑いを溢してしまった。  それにしてもの言い草だ。半平太などれっきとした幕臣なのに。  半纏(はんてん)股引(ももひき)姿と、一見そうは見えない成りではあるが。  その半平太は仕事に飽きたのだろう。どっかと茶店の正面にある縁台に腰を下ろすと、笠を取り、二間(にけん)(約三・六メートル)もある竿を足元に放った。  二人は御公儀(ごこうぎ)餌差(えさし)である。鳥刺し、あるいは殺生人(せっしょうにん)とも呼ばれる小鳥捕りで、将軍様の御鷹(おたか)(えさ)となる雀や(はと)……つまりは御公儀の餌鳥を生きたまま捕らえるのが役目であった。  半平太がおふみに向かって言い訳をしている。 「だってよ、こちとら必死になって棒っ切れを振り回してるってのによ、全くあれじゃあ、馬鹿らしくなるってもんだ」  (あご)で指された。半平太の腰にぶら下がった鳥籠(とりかご)は未だ空っぽなのだ。 「だよねえ。宮井さんってば、なんであんなに雀に好かれるんだろうねえ。雀たちもわかってんだかどうだか」  おふみは団子(だんご)と茶を半平太の横に置くと、眉を下げてころころと笑った。  畦に(ひざまず)いた宗次郎の(ひざ)の先には、再び雀たちが集まっていた。  通常の鳥刺しは、鳥を呼び寄せる笛を使うなどの工夫を凝らし、近寄ってきた小鳥を長い竿の先に着けたとり(もち)にくっつけて捕らえる。  屋根や樹の上の雀を獲るのは造作ないが、地面を歩く雀は狙わない――というのが鳥刺したちの常識である。それほどまでに、地を歩く雀たちは、その小さな体全体で警戒しているものなのだ。  だが、宗次郎の目の前にいる雀たちの無防備さときたら、どうだろう。彼を石像か何かだと思っているのか、すぐそばまで来て、地面を(ついば)んでいる。  宗次郎は右手に持っていた竿を地面すれすれまで下ろすと、一旦指を離した。そして再びそっと竿に触れた時、「チュイチュイ」と雀のさえずりにそっくりな音を唇の先から漏らした。 「チュイチュイ チュイチュイ」  その刹那――  バサバサバサ……  群がっていた雀たちが、またもや一斉に飛び立った。今度はさっきよりも慌てふためいた様子で。  けれど宗次郎は何事も無かったかのように竿を手繰り寄せる。その竿の先には、とり餅に絡め獲られてもがく一羽の雀があった。それをぺりりと剥がすと、腰元の(かご)へ押し込む。 「すまんな。これが俺の仕事や」  蒼天を滑る燕たちを見上げながら、宗次郎は小さな命に詫びを入れた。 
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