二 求馬と九鬼丸

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「……なるほど、崇徳院(すとくいん)か」  事の成り行きを求馬から聞くと、九鬼丸がぼそりとつぶやいた。 「すとくいん、とは」  九鬼丸の漏らした言葉の意味が分からず、宗次郎が聞き返した。それを求馬が代わって答えた。 「娘が遺していた恋歌の詠み手だ。菅原道真らと並び、三大怨霊と恐れられた(いにしえ)(みかど)様だ。あれは、『恋焦がれた果てに死んでしまったならば鳥となって飛んでいき、貴方の家の梢に住まおう』という意だ」  なるほどと、頷く宗次郎に向かって、求馬が体を乗り出した。そして小声で囁く様に己の解釈を足す。 「あれが相手からの手紙だとすれば、密かに心中を匂わせる意味だと思わねえか」 「おい、まさか首を突っ込むつもりではあるまいな」  九鬼丸が睨みを利かす。  求馬が九鬼丸を睨み返した。 「身を投げさせておいて、知らぬふりしておる男がいると思うと、むかっ腹が立つ」 「求馬! 本気で怒るぞ。そろそろ帰るぜ。じじいに嫌味を言われたくねえ」 「あいわかった」  驚いたことに、「じじい」という台詞を聞くなり、求馬がおとなしくなった。  ぽん、と九鬼丸に肩を叩かれた。 「若いの、すまなかったな。うちの我儘若様に付き合ってくれたみてぇで。で、名は何という」 「宗次郎じゃ」 「求馬様に聞いておらぬわ」  間髪入れずに言われ、求馬が不服そうな顔で席を立った。 「宗次郎殿、また会おうぞ。俺は神楽坂界隈で遊んでおるゆえ、朝や昼時には大抵ここに来ておる」 「ほらよ、さっさとけえるぜ」 「うるさい、小突くな」  まるで嵐が去るように、求馬と従者が出て行った。  宗次郎も長居は無用と、猪口に残った酒を飲み干し、店を出る。 「あっ……と」  先ほどの従者……九鬼丸が店の外で待ち構えていた。 「さっきはすまなかったな」 「いえ。こちらこそご馳走になってしまって」 「気にすんな。お人好しに馬鹿がつくような性格だが、あれでも、どでかい御屋敷の坊ちゃんでさ。あんま羽目を外しちゃ、なんねえ身分なんだよ」 それを聞き、(やはり)と納得した。 「わかっております。お気になさらず」 「それにしても」  不意に九鬼丸の指が伸びた。 「求馬が気に入るのも頷ける。あいつ好みの美人だな」  指の腹で頬を撫でられる。  なぜか避けられず、宗次郎は頬に熱さを感じうつむいた。 「その初々しさも良いな。お前はおなごを知らぬだろう」  思いもよらなかった言葉に、声が裏返った。 「なっ、ほ、ほっといて下さい!」  狼狽える宗次郎の顔の高さまで背中を曲げると、耳元で囁いた。 「多分、俺とお前は同類だ。同じ匂いがする」  低い声はたっぷりの色を含んでいた。まるで声に舐られたような感覚がして、少しくらくらした。  はっと顔を上げた時には、九鬼丸は数歩先を行き、背を向けたままで宗次郎に向かって手を上げていた。
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