一 大奥の女

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一 大奥の女

 少し寝坊をした。  飛び起きて、鷹部屋で大鷹(おおたか)の様子を見ていた杢右衛門に挨拶を済ましてから、小日向に向かったのだが、久しぶりに『とらや』へ寄ろうと思いつき、小川を渡った。  休処と書かれた旗が初夏の風に揺れている。風に乗って聞こえたのは、おふみの声だった。 「あーっ、宮井さんだ!」 「おう、宗次郎。久しぶりだな」  とらやでは相変わらず、おふみが愛想を振りまいていて、そして変わらず半平太がさぼっていた。 「どうしていたんだ。鷹部屋を出てから」 「んー、小日向にある同郷の鳥屋で鳥刺しの手伝いをしています」 「そうか。やっぱり御上は町人の鳥請負(とりうけおい)を増やすつもりなのか」  縁台に座った半平太が饅頭をかじりながら、宗次郎を見上げた。  半平太が危惧するのも無理はなかった。このところ、町方の餌差の割合が増えていた。一方、公儀餌差(こうぎえさし)の増員は止まったままである。 「かも知れませんね。御公儀の餌差だけじゃ御鷹の餌は足りないし、何より町人から買った方が、役人を増やすよりも安くつくでしょう」  町人には仕事が増えるし、幕府は出費が少なくなる。どう転んだとて、幕府が餌差役人を抱えることに利はないと思える。 「まさか、餌差役人を廃止とか言い出すんじゃねえだろうな。ちぇっ、また無役に戻れってのかよ」 「うぐっ」  不貞腐れた半平太に、かじりかけの饅頭を口に突っ込まれた。  饅頭を咀嚼しながら答える。 「そういうわけじゃないと思いますよ。ただ、これ以上餌差役人を増やすよりか、鳥刺しの技に長けた町人餌差を増やした方が、手っ取り早いこともありますからね。けど、どちらか一方だけに頼ってしまうと……」 「どうだってんだ」  半平太の催促に、宗次郎が答えようとした時、おふみがお茶を運んできた。 「宮井さんもどうぞ。あらら、斎藤さん、怖いお顔だこと」  不機嫌極まりない半平太を見て、おふみがわざとらしく怖がって見せた。 「だってよ、また無役の小普請(こぶしん)なんぞになっちまったら、いつまでたってもおふみちゃんを口説けねえ」  冗談とも本気とも取れる半平太の言い分を、おふみはさらりと笑顔でかわす。 「あらまあ、またそんなお戯れを」 「戯れなんかじゃねえよ。俺ぁ、本気だぜ」  半平太がムキになる。すっかりさっきまでの話題を忘れてしまったのか、宗次郎の横で熱心におふみを口説き出した。 「本気の本気だからよ。今からまた仕事に励んでくらぁ」  半平太が腰を上げると、おふみが笑顔で送り出した。 「はーい、いってらっしゃい。いっぱい獲れるといいね」
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