一 殺生人と助広

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  ◇  あれから四年――享保四年の卯月(旧暦4月)  雑司ヶ谷(ぞうしがや)にある御鷹部屋御用屋敷(おたかべやごようやしき)内、宮井杢太夫(もくだゆう)宅の奥の間は、かつてないほどに緊迫した空気に包まれていた。 「相変わらず評判はいけねえな」  客人の伝法な物言いに、家の主である杢右衛門(もくうえもん)は思わず首を縮めたくなったが、辛うじてその衝動に耐えた。  宮井杢右衛門は将軍家鷹匠の一人である。  鷹匠とは、朝廷をはじめ、将軍や大名に仕えて鷹を飼育、訓練し、鷹狩に従事する役人のことであるが、彼はかつて紀州徳川家の鷹匠頭を務めていた。  だが、この江戸では一介の鷹匠である。幕臣である将軍家鷹匠たちの総括は、若年寄の大久保佐渡守常春であり、鷹匠頭には御鷹狩廃止以前に鷹匠頭を務めていた家の者――小栗正と戸田勝房が起用されていた。  それでも将軍吉宗の信頼するところはやはり、国元から呼び寄せた鷹匠たちなのだろう。本来ならば大久保に下知すべき案件を持って、わざわざこんな下屋敷が建ち並ぶ江戸の外れに、お忍びで足を運ぶくらいなのだから。 (それにしても……)  びしっとひだが立っているとはいえ、地味な染め色の木綿の(はかま)姿で胡坐(あぐら)を組んでいる目の前の大男が将軍様だとは、どうしても実感しがたい。  それほどまでに吉宗はくつろいでいた。  かつての紀州徳川家の殿様は、征夷大将軍と成り上がった今もまるで変わらず、そのままの『との』であった。 「江戸の鷹役人どもは、たるみすぎだと思わぬか」 「は、まことに」  鷹場(たかば)の管理や餌の確保、それらを円滑に行わせるために、鷹匠や鷹匠同心(たかじょうどうしん)(鷹匠の下の位)、果ては餌差(えさし)に至るまで、公儀の鷹役人にはそれなりの権限を与えている。だが、それが裏目に出ているのだ。  御鷹場となった村に対しての過剰な接待の要求はもとより、その地にある大名屋敷との癒着、不正な野鳥や鷹の取引等々。彼奴らの横暴な行為は江戸やその近郊の人々からも、大いに反感を買っていた。 「だから餌差を狙った盗賊まで現れるのだ。おまけに先月の鳥見(とりみ)殺し。こいつあ、未だ片がついていねえ」  鳥見(とりみ)とは鳥見役人のことを指す。江戸郊外に設けられた鷹狩用の土地を管理、監察させるという名目で置いた鳥見役所の役人のことである。  その鳥見役所の同心が、見廻り中の村で斬り殺されるという物騒な事件が起こっていた。
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