一 大奥の女

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「誰だ、貴様!」  手首をかばいながらも、どすの利いた声で威嚇しようとする男に、宗次郎が諭すように言った。 「こんな人混みで、相手の素性も確かめずに刀を振り回すなんざ、御乱心もいいところだ」 「宗次郎!」  求馬の嬉しそうな声を無視して、宗次郎はひたすら男の目を見据えた。 「……てめえ、武士を愚弄(ぐろう)する気か」 「愚弄はどちらでございますか。さっき貴殿が言いがかりをつけて絡んでいたお人は、どこかの大店(おおだな)の者でしょう。言いがかりでもつけて強請(ゆす)るおつもりだったのですかね」  二人の仲間にも順ににらみを利かせた。 「強請(ゆす)りたかりは番所へ届けよとの御触れ、知っておられますよね」  男の弛んだ涙袋が、ピクピクと痙攣している。堪えきれない怒りをすり潰すように歯ぎしりをすると、脇差の鯉口を切った。 「おのれ、ガキが舐めやがって」  それを合図に仲間の二人も抜刀した。  宗次郎は大きくため息を吐く。 「罪状を増やしてどうするおつもりですか」  言いつつ、素早く膝を折った。  多分男たちの視界からは、宗次郎が消えたように見えたのだろう。慌てて視線を彷徨わせるも、すでに遅かった。  背後に回った宗次郎が大男の膝裏を蹴ると、男は無様に胸から倒れ込み、地面で顎を強打した。その背を踏みつけるように立つと、斬りかかってきた二人の刀をするりと避けた。  ガツン――返す勢いで繰り出した右手の裏拳が、目の前の男の鼻を射止める。もう一人は、刀を避けられた勢いで転んだまま、茫然とした顔で倒された二人を見ている。  シンと静まった大通りで、見ぬふりを決め込んでいた通行人までもが、足を止めて成り行きを見守っていた。 「おのれ、この無礼、(ゆる)されるとでも思うのか!」  倒れて足蹴にされたまま、なおも唸る男に、宗次郎は鼻で嗤った。そしてかがみこんで歯噛みする顔を覗き込む。 「これ、見えますか」  野次馬たちには見えないよう、そっと袖の中の餌差札をのぞかせた。  そこに見える紋様を見た男の顔が真っ青になった。 「あおい……の? え、げげ、まさか」  絶句し、言葉を失った男の耳にささやく。 「わかったら、さっさと立ち去った方がいい。ついでに言うと、さっき突き飛ばした遊び人も、かなりの大身(だいしん)でございますよ。下手すりゃ、その汚い腹を詰めただけでは追いつかない大事になりますが、どうします?」 「ひ、ひいぃ!」  飛び起きて逃げ去る大男と、それを追いかけ走り去った仲間の背中を冷ややかな眼差しで見送った。 「さて……と」  初めに絡まれていた町人は、抜刀騒ぎに発展したところで逃げていた。だが、残された男が一人。
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