一 殺生人と助広

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 吉宗が肘を膝に乗せ頬杖をつくと、その大きな顔が一層近づいた。  左の眉が上がり、鋭い眼光に見下ろされる。 「火盗改メ(火付盗賊改方)が追っているが、奴らじゃあ、無理だろうよ。それにしても、そもそも鷹狩とは何であるかを役人どもがわかっておらぬ」 「ごもっともでございまする」  鷹狩とは――吉宗に同意しつつ、杢右衛門はその真意を己に問う。  将軍への忠心を明確な形にしたものが御鷹狩であり、御鷹の献上である。  六代、七代と相次ぐ将軍の死に加え、財政面でも揺らぎが見える徳川将軍家の権力を、鷹狩復古によって立て直そうというのが、そもそもの狙いであった。  だが、もう一つの狙いを正確に理解している鷹役人がどれほどいるだろうか。少なくとも鳥見役人はそれを正しく把握しているに違いないが、鷹匠や鷹匠同心、さらに餌差たちはどうであろう。 (鷹狩は軍事にほかならぬ)  自問の答えを、己に言い聞かせた。  吉宗の空いている方の手が、扇子を閉じたり開いたり(もてあそ)ぶ。 「まあ、乱れた御家人(ごけにん)共の始末は佐渡守(さどのかみ)に任せておくが、表向きの裁きなど、到底あてにはできぬ」  吉宗が目を細めた。  杢右衛門は唾を飲み、ここでようやく己の意見を口にした。 「(おそ)れながら、との。和歌山より、面白い男を連れて参っておりまする」 「ふむ?」  興味を持ったようである。 「昔、粉河(こかわ――紀州北部の村)で見つけた(わらし)にございまする。捨て子であったのを在郷餌差(ざいきょうえさし)(その土地の雇われ餌差)の男が拾って育てておりました。それをそれがしが引き取り、根来衆(ねごろしゅう)の末裔に預け、武術一式、忍びの技一通りを仕込ませました。ここ江戸へは(せがれ)三九郎(さんくろう)の家来として連れて参っておりまする」  吉宗が『根来衆』という言葉に反応した。 「根来の末裔……まさか、相賀(おうが)か」 「はい。相賀(おうが)家の生き残りにございます。今は当家、宮井を名乗らせておりまする」  戦国時代に栄華を誇った根来寺の鉄砲衆は、豊臣秀吉によって滅ぼされると、寺主であった田中一族は安芸(あき)毛利家の家臣として西国に逃れた。それを機に他の残党らも散り散りとなったが、やがて彼らは徳川の世が訪れると同時に、尾張徳川家家臣として迎えられ、今も百人番所(江戸最大の検問所)の根来同心(ねごろどうしん)として、江戸は内藤新宿に配置されている。
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