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暑い、暑い、夏の日。
雲一つない青空に、蝉の音。
徐々に空気に湿り気が混じり出し、夕立へ。
激しい雷鳴と、屋根や壁に打ち付ける雨音が轟音を立てる。
真っ暗でひんやりとした蔵の中。
僅かな光の入る小窓の下で、少年が蹲っていた。
その表情はとても暗く、泣き腫らした目と鼻で、唇を震わせながら、細く息を吐き出す。
ボロボロのTシャツと短パンから覗く肌には、打撲痕や裂傷、円形の火傷等、痛々しい傷が夥しい数、刻まれている。
少年の側の棚には、木製の救急箱が置かれているが、疲労困憊といった様子の少年には、手当てすらままならないようだ。
「……はぁ。」
大きな溜息を一つ溢し、薄暗い空間に目をやる。ぼんやりと彷徨う視線が、一点に止まった。
目線の先には、古びた巻物と上等な桐箱があった。数々の書物や骨董品が所蔵されている中で、埋もれるようにして置かれたそれらに意識が向いたのは偶然か、それとも。
少年はそれらに惹かれるように、ゆっくりと立ち上がり、ふらふらと危なっかしい足取りで歩き出す。程なくして、それらの前に辿り着くと、棚から取り出し、両手一杯に抱え、トボトボと歩いて元の場所に戻る。
桐箱をそっと床に下ろし、巻物を手元で広げ、中を見た。
少年は、巻物の文章を指でなぞりながら読み込んでいく。
【打ち出の小槌】
昔々、ある所に貧しい商人の家がありました。
日々飢えを凌ぐだけで精一杯の稼ぎで、好きな女子を嫁に娶る事も出来ずにいました。
そんな商人は、ある日、鬼退治をしたという青年と知り合いました。
ですが、青年は大変お人好しで、戦いで負った傷を癒した後、「俺には叶えたい願いはない。それよりも困っている貴方に使ってほしい。」と言って、所々血で汚れた小槌を商人に手渡しました。
戸惑う商人に青年は続けて、「この小槌は、振りながら願い事を唱える事で、どんな願いでも叶えてくれる小槌。ただし、願いを唱えている時に寺の鐘の音が鳴ると、今まで叶えてきた願いが効果を失い、全て無かった事になる。気を付けて使ってくれ。」と言い、その場を後にしました。
その後、商人は青年の忠告に従いながら、富や名声を願い、貧しさから脱しました。
豊かになった商人は、好いた女子を嫁に迎え、子宝にも恵まれ、幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
〜文言〜
しゃんしゃんしゃん
お願い事は何でしょな
しゃんしゃんしゃん
お願い事を唱えましょう
しゃんしゃんしゃん
(願いを唱える)
しゃんしゃんしゃん
小槌様、お願い叶えて下さいな
少年は全て読み終わると、徐に桐箱を引き寄せ、静かに蓋を開ける。
中には、所々に金装飾が付いた小槌が入っていた。持ち手の先には組紐で鈴が括り付けられている。
昔話とは違い、血痕は一切残っていないが、持ち手が擦り切れ、金属部分も燻み、随分と年季が入っている事が分かる。
悲壮感たっぷりの瞳に、少しの希望を宿して、少年は小槌を手に取った。
逸る気持ちを抑えるように、何度か深呼吸をした後、小槌を振り、鈴の音が雷鳴を切り裂く。少年は鈴の音に合わせて文言を発していく。
「しゃんしゃんしゃん
お願い事は何でしょな
しゃんしゃんしゃん
お願い事を唱えましょう
しゃんしゃんしゃん
『僕を理解して、一番に思い愛し大切にして、ずっとそばに居てくれる人がほしい』
しゃんしゃんしゃん
小槌様、お願い叶えて下さいな」
文言を言い終わると同時に、一際大きな雷鳴が蔵の側に落ち、少年は咄嗟に目を閉じた。
そして、光が止むと同時に目を開くと、目の前に少年に似た顔の、少年よりも少し年上の少年が立っていた。
驚愕のあまり、何度も瞬きをする少年に、その少年は声を掛ける。
「おはよう。」
「おは、よう……?」
戸惑いつつも、少年は挨拶を返した。続いて、少年は口を開く。
「初めまして。」
「初め、まして……貴方は、誰?」
「俺は……君の味方だ。」
「……味方?」
「ああ、そうだ。俺は、君の願いによって生み出された存在、つまり君の理解者であり、味方でもある。」
「……なる、ほど?……小槌の力って、本物だったんだ。」
「そのようだな。」
少年はじんわりと微笑み、その姿を見た少年も柔らかな笑みを浮かべた。
「えっと……僕の名前は日向、小槌日向。……貴方の名前は?」
「俺に名前は無い。君が望む存在として生まれたから。だから、折角なら君に名前を付けてほしい。」
「僕が名前を……?……うん、いいよ。」
「ありがとう。」
「いえいえ。」
日向は暫くの間、じっと黙って名前を考える。
ふと小窓の外に目を向けると、夕立が止んでおり、小窓から眩しい陽の光が差し込んでいた。床に小窓の格子が影となって映る。
それを注視した後、ポツリと呟く。
「…………日影。」
「ヒカゲ?」
「お日様の日に、人影の影で、日影。」
「日影、な。……理由を聞いてもいいか?」
「うん。……日向の側に、日影があるから。それに、日影には日の光という意味があって……僕にとって、貴方の存在は希望の光で……僕の側にずっと寄り添っていてほしいから。」
「なるほど……凄く良い名前だ。ありがとう。……どんな事があっても、俺は日向とずっと一緒に居るよ。」
その言葉を聞いた途端、日向は反射的に右目から涙を流す。
「ほん、とう……?」
信じたくて、でも信じきれなくて。
不安感に押し潰されそうになりながら、歓喜に震える声で、問い掛ける。
「ああ、本当だ。これは、永遠に破られる事の無い約束、誓いだから。」
「……誓い。……大事な、大事な約束。」
「そうだ。……それに、日向が離れてほしいといっても離れてやらないから。」
そう言いながら、日影は日向を優しく引き寄せ、しっかりと抱き締めた。
「あぅ…………ありがとう。……びっくりした。」
「嫌だったか?」
「……ううん、嫌じゃないよ。……こんなに温かいなんて、知らなかったから。」
「そうか。……ハグ、好きか?」
「うん。……ぽわぽわで、ぽかぽか。安心する。」
「なら、これからは一杯ハグしよう。」
「ありがとう。……すごく、嬉しい。」
甘やかで柔らかな表情で、2人は幸せそうに笑い合う。
哀れな少年の、唯一の願いは、こうして叶えられた。
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