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……だが、暖かな時間は長くは続かなかった。
冷静に考えてみてほしい。虐待に遭っている少年が、ある日突然、誰もいない場所を見つめながら、一人二役のように言葉を発し、行動しているのだ。
周囲から見て、その光景は気が狂ったと、異常だと思われてもおかしくないものだ。
異常な姿を見た親が、兄弟が、日向に何をするのか。
……到底、受け入れられるわけもなく、関係は更に拗れた。
日向を異常だと感じた親兄弟は、異物を排除するように、怪物を殺す英雄にでもなったかのように、虐待をエスカレートさせた。狂った正義感を瞳に宿し、非道な行動を当たり前の顔をして行う。
「バケモノが!気持ち悪いんだよ!」
小さな身体が堅い床に叩き付けられ、苦痛に歪んだ顔で呻き声を漏らした。衝撃で肺が圧迫され、はくはくと酸素を求めて口を動かす。
「どうしてこんな子になっちゃったのかしら。こんな事になるなら、生まなければよかった。」
侮蔑の視線を浴びせながら、冷酷で無責任な言葉を吐きかける。殴られ蹴られた所が酷く痛むのか、生理的な涙が零れた。
「泣くなよ、女々しいな。バケモノは大人しく死んどけよ。」
その姿を嘲笑いつつ、吸っていたタバコの着火部分を腕に押しつける。ジュッと肉が焼ける音と共に、根性焼きの痕が刻み込まれる。呻き声を必死に押さえ付け、涙を堪える。
日を追う毎に、世間体を気にしてセーブしていた暴力が苛烈さを増す。
罵詈雑言を浴びせるのは勿論の事、身体だけでなく、頭や顔にも外傷が見られるようになった。
他にも、風呂やトイレで水責めを行ったり、手や縄で首を絞めたり、監禁をして飯抜きにしたり、微弱な毒で徐々に弱らせようとしたりと、拷問めいた事まで行った。
初めは淡々と行われていた暴力は、いつしか愉悦を顔に滲ませ、支配欲を満たす為のものへと変わり、偽りの愛すら口にするようになった。
「ああ、最高だ!その顔、最高にそそられる!もっと泣き叫べ!」
「ふふ、本当にあなたは、可哀想でかわいい子ね。」
「ははは、お前は傷だらけになっても、全く折れないんだな。怒りを通り越して、むしろ愛おしいよ。愚かでかわいいお前が、心の底から。」
日向が嫌悪し抵抗する様に仄暗く歪んだ感情を抱き、狂った笑い声と共に、一方的に加害する日々。
生死を彷徨わない絶妙な加減で、日常的に暴力を加える。しかし、所詮は素人。専門家でもない者が常に一定の力加減で拷問を行えるだろうか。ましてや、自身の愉悦の為に行う暴力だ。己の欲望が膨らみ、ラインを超えてしまってもおかしくはない。
ゆらりゆらりと揺れながら、片手を裏に回して何かを隠しながら、父親がにじり寄ってくる。時折、抑えきれないと言わんばかりに息を荒げ、目をギラギラと輝かせる。
「また僕を打つの……?」
不安げに揺れる瞳と、震えた声が日向の心情を如実に表していた。
「今日はな、ひと味違う。……いつまでーも、反抗的なお前をダルマにして……最高のおもちゃに変えるのさ!」
そう言いながら裏に回していた手を眼前に出した。そこには、よく磨かれた肉切り包丁があった。
ダルマの意味が分からずとも、異常に興奮した状態の父親が、鋭利な刃物を持っていると言うだけで、身の危険が迫っていることは明らかだった。
日向は、咄嗟に父親から後ずさり、少しでも距離を取ろうと離れる。その刹那、すぐ近くの床に肉切り包丁が振り下ろされた。勢い余って、父親の手から肉切り包丁が離れ、派手な音と共に転げ落ちる。ほっとしたのもつかの間、後ろから背中を蹴り飛ばされ、床に叩き付けられた。
「逃げるなよ。お前の綺麗な瞳を上手く取り出せないじゃないか。」
兄は蹴り飛ばした後、手に持っていたスプーンを構え、床に転がった日向に馬乗りになろうとする。父親は床に転がった肉切り包丁を拾おうと、日向の傍に歩き出す。
「あら、悪運が強いのね。でも、これ以上抵抗しても無駄よ。さあ、手錠で拘束してしまいましょう!」
無垢な少女のような声色で、母親は日向の四肢を拘束しようと手錠を持って近づいてくる。
床に転がった日向は、激しい過呼吸を起こし、焦りと恐怖に全身を震わせ、対抗策はないかと、手探りで床に手を滑らす。不意に手が硬い棒状のものに触れた。バッと手元を見ると、それは先程振り下ろされた肉切り包丁だった。
肉切り包丁を握った瞬間、理性が焼き切れ、ブツリと途切れる音がした。右手に肉切り包丁をしっかりと握り、音もなく立ち上がる。
「お前がそれをにぎってんじゃねぇよ!」
元の持ち主である父親が真っ先に反応し、日向に掴み掛かろうとする。声に素早く反応した日向は、小さな体躯を活かした身のこなしで、手首を切りつけながら、背後に回り込み、両足の腱も切りつけた。父親が痛みによろめいたところで、首の後ろから頸動脈にかけてをザクリと深く切りつけながら、前へと踏み込む。首筋を押さえて止血しようとする父親の腹に×印を刻むように、肉切り包丁を力強く振り下ろす。×印が刻まれると同時に、血反吐を吐きながら、ドサリと崩れ落ち、後ろへ倒れた。×印からは鮮血と共に、臓器の一部がはみ出し、何ともグロテスクで歪な印を形作っていた。とても恐ろしくて、大きかった背中が、何処か小さく感じられるほど、あっけなく肉塊と成り果て、絶命した。
ほんの数十秒間の間に繰り広げられた、一方的な惨殺。兄と母親は、あまりの光景に言葉を失ったのか、その場で硬直している。静寂が辺りを支配する。
「お、お前!父さんに一体何をしているんだ!」
沈黙に耐えきれなかったのか、正気に戻った兄が日向に向かって叫んだ。だが、殺人鬼を目の前にして、その行動はいただけない。あまりにも愚かだ。
日向は声のした方にクルリと振り向くと、薄ら笑いを浮かべながら、兄の元へと走り寄り、顔面に向けて肉切り包丁を横薙ぎに振り、両目の眼球が潰れるように切りつけた。兄は激痛に獣のような唸り声をあげ、両目を押さえて反り返る。薙いだ勢いを利用し、逆手で突き出された喉笛を切りつけ、深く食い込ませた後、手早く持ち替えて、力強く引き抜いた。ガパリと開いた喉から血を噴き出す中、逸物に向けて勢いよく振り下ろし、逸物を切り落とす。出血多量に加えて、相棒を失った感覚にショックを受けたのか、グラリと身体をふらつかせた。日向は、とどめと言わんばかりに腹を切り裂き、腸を引き摺り出した。それが決定打になったのか、白目を剥いて声もなく絶命した。
「ば、バケ、モ、ノ……」
今まで絶句していた母親は、夫と息子を一瞬のうちに亡くしたショックで、思わず声を漏らしてしまった。ああ、そのまま黙っていれば、ほんの数分は長く生きられただろうに。
日向は、肉塊になった兄から顔を上げ、薄ら笑いを無表情に変えながら、憎悪に塗れた目で睨み付ける。眼光の鋭さに口をつぐんだ母親に向けて、ツカツカと足早に近づいていき、心臓に向けて刃を振り下ろした。骨すらも絶つ斬撃に、細身の身体は耐えきれず、心臓にたやすく傷が付く。傷を広げるように、両方の肺も切りつけていったかと思うと、噴き出す血を気にすることもなく、胸元から腹部の方へ刃物を伝わせる。そして、下腹部に目を留めると大きく振りかぶって、最大限の力を込めて、子宮に向けて振り下ろした。強い嫌悪と憎悪、深い悲しみを顔に滲ませながら。目はほんのりと潤んでいたようにも見えた。その顔を見たのか、母親の顔は恐怖とは別のものに変わり、小さく「ごめんなさい」と声にならない声で呟いた。それが聞こえたのか否か、ピタリと動きを止め、母親の顔を見やった。しかし、その頃には既に絶命し、物言わぬ肉塊となっていた。一度グッと唇を噛み締めた後、ギュッと目を瞑り、感情を抑えるように細く息を吐き出した。
火事場の馬鹿力か、はたまた才能か、それとも内なるバケモノを呼び起こしてしまったのか。理性が吹飛んだことでとんでもないスピードとパワーが引き出され、10分と経たずに死体が3つ出来上がった。
流石に力尽きたのか、日向は血溜まりの中だというのに、お構いなくペタリと座り込み、肉塊となった親兄弟をボーッと見ている。
血溜まりの中には、大きなスプーンやフォーク、手錠が沈んでいた。スプーンやフォークは兄の腕の近くに転がっており、手錠は母親の足下でへしゃげていた。父親の手には棒状の何かを握り込んでいた痕が残っている。改めてよく見てみれば、頸動脈等の急所に深い裂傷があり、それが致命傷になり、出血多量で息絶えたのだと分かる。これだけの血が流れていたのならば、断末魔が周囲に響き渡り、近所の住民が通報をしていてもおかしくはない。実際、かなり騒がしかった。
だがしかし、今日は大型台風が到来しており、暴雨と暴風で断末魔は完全に掻き消されていた。断末魔が聞こえたとしても、この天候では電話が通じにくく、警察の到着も遅れるだろう。
日向は、少しずつ体力がに戻ってきたのか、血溜まりの中から出て、血の付いていない床に座り直した。手に持ったままの肉切り包丁を床に置き、刃についた血肉を静かに見つめ、呟く。
「これで、全て……終わった……のか?」
「一応な。」
そんな問いに答えるように、日影が実体化し、声をかけてきた。そして、日向を後ろから包み込むように抱きしめ、あやすように頭を撫でた。
「お疲れ様。日向、よく頑張ったな……」
「ありが、とう……」
頭を撫でる手つきはとても優しく、心底愛おしそうに日向を見つめている。
「ねぇ……今の全部、見ていたよね?」
「ああ、勿論。両親と兄を、この包丁で斬り殺していたな。何なら途中で楽しくなっていたっけ?でも、最後には、母親の笑えない一言で、一気に現実に引き戻されていたか。」
「むぅ……いじわる、言わないで。やっぱり、全部お見通しなんだ?」
「そりゃあな、俺は日向の中にいるんだから。日向の経験したものは全て共有されているさ。」
「……ならさ、その、どう思ったの?……嫌いになっちゃった?悪い子の僕じゃ……ダメ、かな?」
身体をひねり、後ろを向き、日影の顔に自身の顔を寄せながら、そう言って小首を傾げた。
「いや、もっと好きになった。全力で生きようとする姿がすごく格好良かったから。どんな姿の日向でも大好きだけど、人間らしい日向はもっとずっと綺麗で、愛おしい。」
日影は恍惚とした表情で、目を妖しげに蕩けさせながら、そう言った後、日向の頬を撫でたかと思うと、そっと口づけをした。
一瞬、驚いて戸惑っていたものの、何度か瞬きをした後、目を閉じて口づけを受け入れ、温かで柔らかな感触に酔いしれた。
暫くの間、唇を触れ合わせた後、どちらともなく唇を離し、日影が日向の唇に人差し指を押し当て、口を開いた。
「この続きは、日向がもう少し大きくなってから。……初めてのキスの感想は?」
声色にほんのりと淫靡さを滲ませ、色気のある笑みを浮かべて問いかける。
「う、うん?……ああ、えっと、その……ふわふわして、気持ちよかったよ。」
心底恥ずかしそうに、頬を赤くして、素直な感想を述べた。日影はそれに満足したように頷き、同意を示す。
「そうか、それはよかった。俺も気持ちよかったよ。……またしたいか?」
「うん……!」
日向は照れくさそうにしつつも、しっかりと肯定し、次はいつになるのだろうと、考えを巡らせ出した。
日影はその姿に舌なめずりをした後、一呼吸を置いて、表情を真面目なものに変え、努めて真剣に問いかけた。
「日向は、今後どうしたい?……証拠隠滅はともかくとして、それ以外に何がしたい?もしくは何がほしい?」
「日影とずっとずっと一緒に居たい。……日影と居ても、誰にも責められないなら何でもいい。でも、望むなら……人並みの幸せがほしい。……それに、暴力を振るわない家族がほしい。……平和とか、安全とか、無縁の生活だったから。それを味わってみたいな、って。」
「……なるほど。……ならば、それらを叶えるには、どうすればいいと思う?」
「…………小槌を使って、今の家族の代わりに、暴力を振るわず日影と居ても責められない家族を下さいってお願いする。……学校では、日影と話すのを我慢しているから、そっちは大丈夫だと思うから。」
「ああ、そうだな。……凄く良い案だ。賢いな、日向は。えらいぞ。」
「うん、ありがとう。」
日影はよしよしと何度も頭を撫でた後、日向に声をかける。
「よし、じゃあ、その案で行こうか。……この雨だ、気を付けて蔵に向かおう。」
「うん!……あ、でも、この服だと流石に不味いよね?……着替え、あったっけな。」
「確か、タンスの奥に替えのTシャツとパンツがあった筈だ。」
「あー、あれか……」
血溜まりを避けながら、風呂場へ向かい、返り血を洗い流してから、自室へと戻る。ボロボロのタンスの最奥からTシャツとハーフパンツを取り出し、手早く身につけていく。
「……お着替え完了。……行こう。」
「ああ。」
なるべく濡れないように限界まで屋根の下を移動し、蔵を目視してからは、扉まで足早に向かった。暴風に吹き飛ばされないよう気を付けながら、何とか蔵の扉を解錠し、最低限の隙間を空け、そこから身体を滑り込ませるようにして、蔵の中へと入った。
台風対策でぴっちりと閉められた蔵は真っ暗で、日向は手探りで階段を探し当て、慎重に2階へと上がる。入り浸っているせいか、2階に関しては勝手知ったるという様子で、暗闇をものともせず、小槌の入った桐箱の元へ真っ直ぐ向かう。
丁重に桐箱を床に下ろし、箱を開いて小槌を取り出す。深呼吸を1つした後、小槌を振り、鈴の音が雷鳴を切り裂く。日向は鈴の音に合わせて文言を発する。
「しゃんしゃんしゃん
お願い事は何でしょな
しゃんしゃんしゃん
お願い事を唱えましょう
しゃんしゃんしゃん
『今の家族の代わりに、暴力を振るわず、優しく接してくれる、日影と居ても責められない家族を下さい』
しゃんしゃんしゃん
小槌様、お願い叶えて下さいな」
文言を言い終わると同時に、一際大きな雷鳴が蔵の側に落ち、少年は咄嗟に目を閉じた。
そして、光が止むと同時に目を開くと、目の前には日向の顔のパーツが所々混じった両親と兄らしき人物が跪いていた。
「「「名付けをお願いします。」」」
「……どうしよう。……考えてなかった。」
「……前の家族と同じ名前にしよう。何かしらの齟齬が生じて、怪しまれては困るからな。」
「う、うん。」
日向は戸惑いつつも、前の家族の名前を、今の家族に授けていく。
「「「ご命令を」」」
「め、命令……!?うーん、じゃあ……母屋に戻って、普通の家族として接して下さい。」
「「「承知いたしました。」」」
彼らは立ち上がり、最敬礼を行ってから、暗闇の中を静かに動き、蔵の扉を開けて、母屋へと向かっていった。
自分以外、誰の気配も無くなった事を確認して、重い溜息を1つ吐いた。
「これじゃ……人形遊びと一緒だ。……本当は、理想的な家族なんて、何処にも居ないんだろうな。それこそ、人形でもない限り。…………それでも、僕は。」
そう皮肉った後、言葉を切って、日影の顔にずいっと自身の顔を寄せ、呟く。
「……日影だけ、居れば良い。」
「……俺も、日向だけを求めている。……日向が俺を求めるから、俺は俺であれる。……表裏一体だな。」
「うん!」
可哀想な少年を真の怪物にしたのは、少年の家族。
だが、愚かにも罪を重ねたのは、少年自身。
少年の1番の理解者は、少年の全てを肯定し続ける。
例え、愚かさで身を滅ぼす事になろうとも、最期のその時まで、傍に寄り添い続ける。
可哀想で可愛い、どこまでも狂っていて、愚かしく可愛い姿を愛しているから。
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