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四年前、大学三年生のときに研修で行った会社で真人に出会った。
見た目がタイプ過ぎる上に、真人は事細かに仕事を教えてくれて、何もできない俺に嫌な顔一つしなかった。そんな真人にすぐに恋に落ちてしまった。
会えば会うほどますます真人を好きになって、プライベートな時間は全て真人のことを考え、真人の車に乗れただけで舞い上がり、初めて手を繋いだり、初めてキスした日は家族にも打ち明けてしまうくらい有頂天になった。
しかしある日、突然真人から別れたいと言われた。
他に好きな人ができたからと。
初めての失恋は、思っていた以上に苦しくて、とても耐えられなかった。
結局俺は、包丁を持って会社に乗り込んでいた。
この苦しみをもたらした真人を憎んで。真人が俺以外の誰かと付き合うのを止めたくて。
真人の肩を刺したところで真人の同僚に捕まった。そして真人は救急車で運ばれ、俺は警察に連れて行かれた。
「ハニーカフェモカのホットとパンケーキ生クリーム追加で」
「…………」
やっとランチの時間が終わってほっとしたところで、真人がひょっこりやってきて緊張感が増した。
真人は極端な甘党であるところも変わっていなかった。
暇そうにカウンターテーブルに頬杖をついて待っている真人に、先にコーヒーを作って出した。真人は何気ない仕草やポーズがとんでもなくかっこいいんだ。だから目をそらすのが大変だった。
「……あの、もう逃げないから。だからこれからは俺のことは空気のように扱ってくれませんか」
どうか話しかけないでほしい。極力店には来ないでほしい。
俺の声が小さ過ぎて聞こえなかったのか、真人がテーブルに身を乗り出して、パンケーキを作る俺の手元を覗き込んだ。
……手が震えるから見ないでほしい。
「じゃ、じゃないと、俺また同じことをしてしまうから」
焼けたパンケーキに生クリームを乗せていると、手が震えて皿からこぼしそうになった。手にまだ真人を刺した感触が残っていた。それを思い出したんだ。好きな人を傷付けた感触はきっと一生忘れられないだろう。
「大学中退したんだな」
テーブルに乗り出したまま、真人が言った。
「…………」
「お前の家族に聞いてもお前の居場所を教えてくれなかったのはなぜだ? あんなに俺のことを気に入っていたのに」
「……それは」
真人に見つめられ、もう二度と味わいたくないと思っていたあの痛みが、また蘇るのを感じた。
「二度と真人を傷つけないために」
逃げ出したんだ。二度と会いたくなかった。
「まだ俺に償ってないのに?」
「…………」
「そうだろ?」
左右対称の目が、まるで熱中しているかのように俺を睨んでいる。
「絶対に逃さないからな」
「お、俺より好きな人ができたって」
「俺が? そんなこと言ったか?」
「…………」
……嘘つき。
そのせいで俺はおかしくなったのに。
この人のためなら死んでもいい、殺してでも自分のものにしてやろう、この苦しみから逃れるためなら殺してやろう。そう思ったんだ。
でも時間が経つにつれて、あれは本当に自分の感情だったのかと疑うようになっていた。
「なんか怪しいよねー」
カウンター席に座ったオーナーが、コーヒーカップを片手に頬杖をついていた。
「何がですか?」
「北王子くん。俺のときは一週間に一回顔を出せば良い方だったのに、最近毎日のように来てない?」
「…………」
毎日のようにではなく、毎日来ている。
「会社だって近くないのにさー。もしかして」
オーナーは一瞬眉間に皺を寄せ、難しい顔をしてから言った。
「佐川くんに惚れちゃったとか?」
「まさか」
「だってほら、さっきからこっちずっと見てるよ? 僕のこと睨んでない?」
違うんです。睨まれてるのは俺なんです。しかしオーナーは俺に顔を近づけ、片手で口を覆って小声で囁いた。
「……佐川くんのストーカーかも」
……オーナー、ストーカーは俺なんです。
「気をつけた方がいいよ。最近はこの辺りも物騒だからね?」
「……はい」
オーナーの優しさにまた申し訳なくなった。
真人を刺して捕まったあと、警察で真人の車にGPSや盗聴器を付けたことを自白し、ストーカーとしても逮捕された。
もう二度と真人には会えないことを覚悟した。
しかし釈放されたあと真人はすぐに会いに来てくれ、誰よりも優しくしてくれた。
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