真人

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真人

 偶然は必然を積み重ねた結果起こる奇跡だ。  以前あいつと映画を見たときに、ここに住みたいと言っていた町に引っ越し、あいつの唯一の趣味であるコーヒーを扱う会社に転職して奇跡を待った。そしてようやく奇跡的な偶然が起きた。   何をされても許してやろうと思っていたのに、あいつは俺から逃げ出して、俺がいない場所で、のうのうと飄々としれっと生きていた。  許せない。二度と俺がいないと生きられないようにしてやる。 「なんか頼りないっすね、あの店長。あれじゃバイトと区別つかないっすよ」 「…………」  会社の後輩の八ツ橋(やつはし)の言葉に顔を上げると、玖がレジの前で並んでいる客に、テイクアウトのコーヒー作りとレジで四苦八苦していた。今日はバイトが休みらしい。 「お前助けてこいよ」 「なんで俺が⁉」  八ツ橋が素っ頓狂な声を上げた。 「奢ってやっただろうが」 「違いますよ。北王子さんがわざわざここで昼飯食いたいって言うからわざわざ来たんだから奢るのは当然じゃないっすか!」 「お前も調子に乗って生クリーム増量しただろうが。その分手伝ってこい」 「うそでしょ⁉」  見た目は坊主頭で高校球児みたいだが、根が素直な八ツ橋は嫌そうな顔をしながらも立ち上がり、小走りで玖を手伝いに行った。  玖がコーヒーを作り八ツ橋がレジをやっているのを眺めていると、隣のテーブルに座る髪の長い女の客に声をかけられた。 「会社この辺なんですか?」 「…………」  無視をしていると明らかに気分を害した女が席を立ち、ツカツカと店が出て行った。  昔から外見だけを目当てに寄ってくる奴に優しくしてやるつもりはなかった。玖もその一人のはずなのに、何故か玖にだけは冷たくできなかった。誰にもしたことがないくらい、この上なく優しくしてやった。玖が捕まったあとも。  その優しさを玖が怖がってるとは気が付かずに。  手伝いの終わった八ツ橋が戻ってきた。 「いやー、昔のコンビニバイトが役に立ちましたよー」  八ツ橋が座って腕まくりを直していると、玖がやって来た。 「ありがとうございました。本当に助かりました。お礼にこちらをどうぞ」  玖が八ツ橋に皿に乗せたチーズケーキを渡した。 「えっ、いいんすか⁉」  八ツ橋が両手で受け取ると、玖は照れ笑いを浮かべて戻って行った。八ツ橋は玖の後ろ姿を見ながらニヤニヤとした。 「あーゆータイプってちょっと優しくしてやっただけで落ちるんすよね。男にしては可愛い顔してるし、ちょっと遊んでやろうかな」  そう言ってニヤつく八ツ橋のチーズケーキを奪い、フォークでぐちゃぐちゃにしてやった。 「あっ! 何するんすかっ!」  あーゆー普段はフワフワして大人しい性格の奴が狂気を帯びていく姿が面白いんだよ。  血走った目で包丁持っていた玖の姿を見せてやりたい。  俺がそう仕向けたんだ。すでに俺にほだされている玖にさらに狂わせるほどに優しくして甘い言葉を囁き続け、のめり込ませたあとに突き放した。  純粋な玖はもがき苦しんで、その苦しみから逃れるために、なんと俺を殺すという決断を下した。  その姿を思い出し、ゾクゾクとした。何をしでかすか分からない面白さが玖にはあるんだ。 「どうかしました?」  八つ橋が顎にクリームを付けながら俺を見ている。 「別に?」  残っていたコーヒーに口を付けると、甘ったるい味が口に広がった。  まだ誰も知らないんだ。玖はあんな大人しそうな見た目で、夜は誘うタイプだし、時間を忘れてヤるタイプだし、俺が何もかも教えてやった。  嫉妬も憎しみも俺が教えてやった。  俺と出会わなければ、あいつは純粋無垢のまま何も知らないでいられたんだ。 「……すみませんでした。作り直します」  玖が何かミスをしたのか、客に申し訳無さそうに頭を下げて謝っている。  その姿はいかにも繊細で大人しい青年だ。だが玖にはまだ伸びしろがある。あいつはもっと狂えるんだ。あいつの知らないことをもっと教えてやりたい。  次はちゃんと心臓を刺せるように。
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