えき、えき、えき。

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 ***  そして。  その日も帰り道に、あの虹色の文字を見たのだった。  “えき”。  彼は、自分をあの無人駅に誘導し、電車に乗せてどこへ向かわせようというのだろう。 ――知りたい。イチヤが何を考えているのか。あたしに何をしてほしいのか……!  電車のドアは、もう目の前にある。開いたドアの前でネムは立ち止まり、乗り込みたい衝動を抑えていた。  電車の中を見る。中には普通に人が乗っているのがわかる。髪の長い眼鏡をかけた女性、新聞を見ている男性、スマホを見ている金髪の若者、やけに短いスカートの女子高校生。座っている人はまばらだが、それでも乗客がいないわけではない。危ない電車ではないはずだ、きっと。  それから。 「姉貴」  いつからそこに立っていたのだろう。電車の中に、見慣れた焦げ茶髪の少年の姿があった。美しいアメジストの瞳で、じっとこちらを見つめている。 「そっちは危ないんだ。早くこっちへ来てくれ。大丈夫、俺が一緒だから」 「イチヤ……」 ――イチヤが大丈夫って、言ってるんじゃないか。姉が、弟を信じなくてどうするんだ……。  一歩。ネムの足は、そろりと踏み出していた。彼が手を差し出してくる。その手に触れ、境界を踏み越える、寸前。 「“(えき)”ではない、“(えき)”じゃ!」  しわがれた声が、空間を引き裂いた。え、と思った瞬間、左腕を強く誰かに引っ張られる。振り向けばそこには、真っ青な顔をした岩爺の姿が。 「岩爺、なんで……!?」  彼の名を呼んで問いかけた瞬間。どろり、と周囲の“駅”の景色が溶ける。  そして。 「くそが。邪魔しやがって」  背後で聞こえた呪詛は。明らかに、弟の声ではなかった。ネムはそのまま崩れ落ちるようにして、岩爺の胸にダイブする。  そして、気が付いた。自分が、いつの間にか“いつも使っている電車の駅”にいるということに。  音と、風景が戻ってくる。通り過ぎる黒いスーツのサラリーマン。甲賀駅、と書かれた看板。小さな駅の売店と、つまらなそうな顔であくびをしている売店のおばちゃん。  駅のホームだ。しかも。 「!?」  片足が、浮いていた。ネムがぎょっとして足をひっこめる。自分があと少しで線路に落下するところだったと気が付いたからだ。 「本当に良かった。もう少しで、電車に轢かれるところじゃったぞ、お前」 「な、ななな、なんで」 「イチヤくんのメッセージを、誰かが忍術で上書きしたんじゃ。恐らく、雑賀の者……幻術使いの弁天あたりが怪しいか。悪意のないイチヤくんを利用して、お前を始末しようとしたんじゃろうな」 「そ、そんな……」  直後、“電車が参ります”のアナウンスが聞こえてきて、ネムは背中に冷たい汗が流れたのだった。  もし、あのまま幻の電車に乗り込んでしまっていたら、自分はどうなっていたのか。弟の姿をした幻術使いは、ひき肉になった自分を見て嗤ったのだろうか。 ――修行、もっとちゃんとしなきゃ。あと、イチヤに一応、報告……。  凍った頭の片隅で、ネムはどうにかそれだけを想ったのだった。
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