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イチヤのことだ。意図を説明しないのならば、説明しないなりに理由があるのだろう。あるいは、説明“できない”というのもあるかもしれない。
再三になるが、イチヤは雑賀の里の忍者でネムは甲賀の里の忍者である。姉弟がこっそり連絡を取り合っているのを良しとしない者達は多い。特に、雑賀の里には“一刻も早く絵巻を奪って戦乱の世を取り戻すべし”という過激派も多いというから尚更に。
実は雑賀の里の忍者が、近々甲賀に攻め込んでいく計画を立てていて、自分にそれを知らせようとしてくれているのではないか。あるいは、筆の力を使って自分達をこっそり術で助けようとしてくれているのではないか。ネムは個人的に、そう考えていたのだった。
弟が己に積極的に危害を加えようとするはずがない。その程度には信頼しているつもりでいる。
「ん?」
慣れた力の気配。ネムは空を見上げて気づいた。
虹色の文字が、ゆっくりと空に浮かび上がってくる。筆文字――見慣れたイチヤの文字だ。問題は。
――“えき”?え、それだけ?
平仮名で“えき”。何を意味するのかさっぱりわからない。普通に解釈するなら、電車などが通る“駅”の可能性が高そうだが。
「なあ、咲耶、シャオラン。あの文字見……」
見たか、と言おうとした時だった。ネムは周囲を見回してぎょっとしたのである。
ついさっきまで、確かに自分は咲耶とシャオランと共に甲賀シティにいたはずだ。見慣れた商店街の道を抜け、三人でコンガがいるコンビニに向かっていたはずなのである。だが。
いつの間にか、その場にはネム一人になっていた。
しかも見慣れない、古びた小さな駅のベンチにぽつりと座っているのである。空は、血をぶちまけたかのように赤い夕焼けに染まっている。ぼろぼろの屋根が覆っているだけ、客どころか駅員の姿もない無人駅だ。
――な、な、なんだここ!?あたし、なんでこんなところにいるんだ!?
慌てて駅の看板を振り返ったネムは見た。
『えき』
●●駅でもなく、行先や来た方向の駅の名前も表示されていない。ただ“えき”とだけ書かれた看板がある。
たらり、と背中を冷たい汗が伝った。自分に霊感の類はないと自負している。それでもわかる。
何か、非常にまずい場所に迷い込んでしまったのではないか、と。
「!」
突然、ブオオオン!という警笛の音が聞こえてきた。ネムははっとして線路を見る。そして。
右手からゆっくりと近づいてくる、電車の明かりを目にすることになったのだった。
「ネムちゃん!」
「!?」
はっとして振り返った。いつの間にか、咲耶とシャオランが戻ってきている。否、二人の姿だけではない。
見慣れた道路。見慣れた郵便ポスト。見慣れた判子屋にパン屋。いつもの甲賀商店街の風景だ。
「どうしたの、急にぼーっとしちゃって。何かあった?」
「え、あ、いや……」
さっきの駅の風景は、彼女達には見えていなかったのか。ネムはもう一度空を見上げた。
――なんだったんだ?
虹色の文字はもう、どこにも見えなかった。
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