【01】思い出した、ほぼミリしらな事を。

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【01】思い出した、ほぼミリしらな事を。

 お父様が亡くなった……。  葬儀後、私は幼い弟と手を繋いで、ぼんやりと墓石を見ていた。  私が生まれたクリソコーラ侯爵家は、このエイデルカイン王国の中でも由緒正しい家柄である。爵位は基本的に男子が相続するので、弟のマルスはまだ五歳であるが、既にその手続きに入っている。  お母様が生きていればまた違ったのだろうが、母もまた父とほぼ同じ死因で没している。予感として、私も同じ死因ではないかと考えている。  ――クリソコーラ侯爵家の人間は、代々、王族の皆様の盾となって生きている。  お母様は、第一王妃様の影武者役をしている最中に殺害された。  そして今回お父様は、国王陛下を狙ってきた賊が放った毒矢が突き刺さり死亡した。  ……。  チラっと私はマルスを見た。金色の髪に紫色の瞳をしていて、非常に愛らしい弟も、先日第三王子殿下のご学友――という名前の密やかなる護衛に内定しているので、同じ末路を辿る可能性がある。  クリソコーラ侯爵家に生まれたのだから、それは誉だ……と、考えた瞬間、急に私の視界が二重にブレた。ぐらりと視界が歪んだその瞬間、唐突に膨大な量の『記憶』が脳裏を埋め尽くした。  え、待って? こ、ここは……?  私はなんとか地面に足をつき体勢を立て直しつつも、ダラダラと汗をかいた。 「姉上?」 「……」 「お顔が真っ青だ……」  愛らしいマルスの声がする。そ、そうだ、マルス・クリソコーラ侯爵……私は、この名前を知っている。それは、弟だからではない。私の同期の『推し』が、まさしくその名前だったからだ。  私の頭の中で、ファミレスで雑談している姿が甦った。一緒に職場の昼休憩時、私は同期の彼女と、近所のファミレスに出かける事が多かった。私はそう口数が多い方ではなかったため、いつも彼女の話を聞いていた。正確には、聞き流していた。  確か同期は、話していた。  ――『ふりはな』というゲームの話だったはずだ。正式名称は、【降りしきる花の中で】だったか、まぁ、そのような感じだったと思うが、私は正確には記憶していない。当時から、ほとんど私は、乙女ゲームというものに興味が無かったからだ。ただ同期がずっと話していたから、乙女ゲームについては少し知った。何名か攻略対象がいて、好感度を上げるなどすると、数種類のエンディングが見られるという代物だったはずだ。  そしてその同期の推しの名前が、マルス・クリソコーラ侯爵だった。  なおゲーム派の彼女とは異なり、私は小説や漫画作品を読む事が多かった。そのため、巷で話題の悪役令嬢もののお話や、転生・転移・憑依みないなお話は大好きだった。  思わず弟と繋いでいない方の手を持ち上げて、私はじっと己の左手を見た。  そこにあるのは、十二歳の少女の手だ。甦った記憶において、私は二十四歳だった。最後の記憶は、会社の帰り道。車に轢かれる直前である。多分、死んだのだろう。  少し前までの私は、第一王女殿下の護衛として相応しくなるようにと、ひたすら父や家庭教師に礼儀作法や魔術技能を叩き込まれていたし、そこに疑問は特に無かった。血を吐きそうになるような訓練にも耐えたし、勉強も何もかも頑張ってきた。それは侯爵令嬢としてでもある。  だが……前世を思い出したのが今で良かった。もしもこの記憶を所持していたら、私は鍛錬になんか耐えられた自信はない。 「リリア姉上?」 「っ……ええと、そろそろ帰りましょうか……」   私は引きつった顔で笑った。ほとんど1ミリも知らないに等しい乙女ゲームに酷似していそうな異世界に転生してしまった私であるが、弟が成長するまでは侯爵家を支えていかなければならないし、両親亡き今、私が頑張るしかないだろう。  ――帰宅してから自室に戻り、私は施錠してから必死で記憶をひっくり返す事に決めた。ゲームのタイトルとマルスの名前以外に、何か思い出せる事は無いだろうか。同期の名前も思い出せないが、不思議と顔と声は覚えている。  ……ええと。  ……。  書き物机の前に座って、万年筆を握ってみる。 『推しの制服姿尊い! これ、過去回想イベントの限定スチルなんだけど、王立学園高等部時代の制服なんだって!』  確か同期は、私にそう言ってマルスの画像を見せてきた事がある。  そしてこの王国にも、王立学園は存在する。高等部と大学がある。  マルスが高等部に通うのは、あと十年後だ。その時点では、まだ『過去』という事かな……? 私はその時二十二歳という事かな……? ええと、あとは、乙女ゲームであるし、きっとヒロインがいるはずだ。他の攻略対象もいるのだろう。あ……! 『グレイル宰相補佐官も良いよねぇ! どっちが好き?』  確かそんな話題が出た気がする。 『まぁ一番人気はやっぱり、メイン攻略対象の王太子殿下だけどさぁ』  聞いた。このセリフ、同期から絶対に聞いた。  現在、第一王子殿下は十歳だ。私の二つ年下である。 『第一王子殿下のイベントで一番キュンとしたのは、やっぱり卒業パーティーの時かなぁ。まさかあそこでワインをぶっかけるとは』  ……断罪でもしたのだろうか。婚約破棄だろうか。  卒業パーティーにアルコールが出てくるのだから、大学の卒業式だと考えられる。  つまり舞台は、十二年後付近だろうか……?  私が二十四歳頃だろうか? 今世も早死にしそうだが、前世は二十四歳で亡くなったらしいし、それ以上には生きたいところである。 「他には何か……」  こんな事ならば、同期の言葉をもっと真剣に聞いておくべきだった……。  しかし全然思い出せない……。 「……」  ま、まぁ……仕方がない。  私はこれからマルスと二人で生きていかなければならないし、クリソコーラ侯爵家を潰すわけにもいかないし、記憶が蘇ったからと言って、それが熟知した代物への転生だったとしても、私には内政をするような行動力も無ければ、スローライフを送れるような境遇にもない。 「……明日も、第一王女殿下にお招きされているし、今日は早く寝ようかしら」  ポツリと呟いてから、私は引きつった顔で乾いた声で笑ってから、この日は休む事とした。  ――翌日。 「ようこそ、リリア」 「お招き有難うございます、セレフィローズ第一王女殿下」 「セレフィで構わないわ、リリア。いつもそう話しているでしょう?」 「勿体ないお言葉です」  第一王女殿下であるセレフィ様は、私と同じ十二歳である。私の使命は、命を賭してセレフィ様をお守りする事である。出会いは、五歳の時の音楽会だった。子供のみ参加のその場所で、既に私は子供ながらに影の護衛役として、表面上は侯爵令嬢、実際には何かがあったら庇って死ぬようにと厳命されてその場にいた。  流れるような金髪をまとめていたセレフィ様は、圧倒的に愛らしかった。他に五歳のご令嬢が何名かいたので、挨拶後私は目立たないよう、けれど離れないよう、事前に教え込まれていた位置に立ち、静かに見守っていた記憶がある。以後、何かイベントがあれば、私はセレフィ様をお守りするため、その場に行くようになった。  五歳の女の子に何ができるのかと、今思えば言いたくもなるが、この世界には魔術が存在する。そして私は、膨大な魔力を持っていた。私というか、クリソコーラ侯爵家の人間は、大体持っている。その腕を買われて、代々護衛を務めているようだ。  常にイベントで顔を合わせる内、時には話しかけられるようになった。  そして凄く稀に、こうして王宮のお茶会にまで呼ばれるようになった。 「お父様の事、お悔やみ申し上げます」 「ありがとうございます」  白磁の頬に手を添えて、俯きがちにセレフィ様が言った。私は簡潔に答えながら、きっと元気づけるためにお茶会を開いてくれたのだろうと判断した。セレフィ様はどちらかと言えば勝気であるが、心根は優しい。 「何か困った事があったら、相談してね?」 「ありがとうございます」 「――そうだ、これはね、最近取り寄せた茶葉入りのケーキなのよ。とても美味しいの。シェフに我が儘を言って作ってもらったのよ。よかったらお食べになって」 「ありがとうございます」  心遣いは嬉しいが、私はちょっと嫌な汗をかいてしまった。過去、そう言うものだと思って気にしてはこなかったが、私は『必要最低限以外話すな』という指針のもと、つかず離れずと教育されて育てられてきていたので、できる会話といえば、挨拶やお礼くらいのものだ。  これまではそこに疑問は無かったが、明らかにセレフィ様は困ったように私を見ている。しかも私は完全に無表情だ。表情を変えて動揺を見せないようにという訓練もあったからだ。  ……。  折角気にかけてくれているのに、もうちょっと何か言うとか、表情筋を動かすとか、私はどうにかしたほうがよいのではないだろうか? 「……あの、本当に嬉しいです。いただきます」  無理矢理私が言葉をひねり出すと、セレフィ様が目を丸くしてから、両頬を持ち上げた。あんまりにも可憐で、私は見惚れそうになった。  しかしすぐに、意識が口に向かった。食べたケーキがあまりにも美味だったからだ。さすが王室! 訓練の一環に体作りがあるので、ほとんど甘いものを与えられてこなかった私にとって、この味は危険だ。叩き込まれた礼儀作法を駆使して食べつつ、泣きそうになった。美味しすぎるよ、これはちょっと……。  その後セレフィ様は気を遣うように色々と話しかけて下さったが、八割聞き流しながら、私はケーキを堪能した。ほとんど頷いていた。そういうところだよ、私。これだから同期の話もほぼ記憶していないんだよ!  気づくと日が暮れ始めていた。 「セレフィローズ第一王女殿下。クリソコーラ侯爵家の馬車が参りました」  機を見ていたように、侍女が歩み寄ってきた。私はそれで我に返った。 「お招きありがとうございました」 「送るわ」  私が立ち上がって一礼すると、セレフィ様もまた立ち上がった。直々に送って下さるというのは、私が侯爵家の令嬢だからだろう。この国では、爵位は結構露骨に重視されている。恐れ多いのでと断ったが、セレフィ様が先に歩きだしてしまったため、私は慌てて追いかけ、少し後ろを歩いた。  回廊に、夕陽が差し込んでくる。そうして少し歩いた時だった。 「セレフィローズ異母姉上」  その声に、セレフィ様が立ち止まると、一瞬だけ顔を険しくしてから、長めに瞬きをし、直後作り笑いを浮かべて、声がした方向を見た。つられて私もそちらを見ると、そこにはエドワード第一王子殿下が立っていた。隣には、一人の少年がいる。 「エドワード、何かご用?」 「用が無ければ声をかけてはいけないのか?」  エドワード殿下が目を眇めた。唇にだけ笑みが浮かんでいる。  この国は別段、出生順で王位が継承されるわけではないので、王位争いは、王太子として立太子するまで続くようだ。セレフィ様の同母弟が、第二王子のフォルド殿下で、学年も一つしか違わないその二人が何かと比較されがちだ。  第三王子殿下は少し年が離れているため、まだ話題にはあまりならない。  そして子供にも派閥というのは、はっきりとあり、実の姉弟であるから、セレフィ様は第二王子擁立派という風に見える。ちなみに後宮には、第五王妃様まで存在している。貴族も愛人を持つ文化がある。異母兄弟姉妹の存在は、そう珍しいものではない。 「あら? 用が無ければ、エドワードは私には声をかけてこないのではないかしら?」 「――挨拶をと思ってな。俺の友人のグレイルだ」  エドワード殿下の声に、セレフィ様が横にいた少年を見た。その名前を聞いて、私は目を見開きそうになった。確か、未来の宰相補佐官の名前もグレイルだ。つまり、この二人は攻略対象ということだ。今後どうなるかは知らないが、私は関わるべきではないだろう。 「お初にお目にかかります、セレフィローズ第一王女殿下。エルディアス侯爵家が嫡子、グレイルと申します」 「ごきげんよう、グレイル卿。セレフィローズ・リラ・エイデルカインです。時期宰相候補として既に名高いという評判を伺っていますが、本日は国政の場の見学かしら?」 「――父に荷物を届けに参りました」  淡々とした声でグレイルが言った。エルディアス侯爵は、現在の宰相閣下であるから、グレイルのお父様なのだろう。 「あの敏腕な宰相閣下も忘れ物をするのですね」  しらっとした顔で述べてから、セレフィ様が私を見た。 「私は友人を送るところですの」 「ああ、見れば分かる。セレフィローズ姉上、それはそうと少し話があるんだ」 「何が分かったというのですか? 何か一つでも分かっているとしたら、この場で、話があるなどとは言わないのではなくて?」 「見送りならば、グレイルに代わりに行ってもらおう。こちらは急ぎだ」 「急用……? っ――リリア、ごめんなさい。お任せいたしますわ、グレイル卿」  こうして私は、その場にグレイルと二人で残された。周囲には多くの付き人や見守りの騎士達がいるとはいえ、気まずい。そもそも王宮にはそれほど危険はないと思うし、武力なら同世代の子供よりも私の方があると思う。だから一人で帰ると言おうかと、私は考えて、顔をあげた。 「お送りいたします、お手を」 「……あ、ありがとうございます」  サラっと手を差し伸べられたため、私は反射的にグレイルの手に手を載せてしまった。すると手を握られた。グレイルがゆっくりと歩き始める。西日が差し込む中、私達は玄関目指して歩く事となった。 「改めまして、グレイルと申します」 「ご挨拶が遅れ、大変失礼いたしました。私はクリソコーラ侯爵家のリリアと申します」 「いえ。エドワード殿下の気まぐれにも困ったものだ」  微笑したグレイルを見て、私は返答に窮した。さすがは攻略対象、絵になっている。  そのまま、グレイルは私を気遣うように、ポツリポツリと会話を振ってくれたので、私は何度か頷いて答えるなどした。特に声は発しなかった。こうして馬車がいるところまで送ってくれたグレイルは、最後に私の手の甲に口づけた。 「今日は貴女と話せて充実していた」 「……送って下さり、ありがとうございます」  私はビクビクしながらお礼を告げて、馬車へと乗り込んだ。手の甲とはいえ、キスだ。乙女ゲームとは、スキンシップが激しい世界観なのかもしれない。
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