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06.狼のお気に入り
何がいったいどうなっているのか。
ダリアと名乗る男の熱烈なキスから解放されて、僕は混乱する頭で自分の身体を抱き抱えた。彼の言う言葉を信じるならば僕は一夜をこの男と共にしたことになる。
まだ女の子ともしたことないのに?
いきなり男と?しかも獣人と?
想像するとカッと顔が赤らむのを感じて、浮かぶ妄想を追い払うために慌てて頭を振った。いずれにせよ相手がこの森の王である狼ならば、事を荒立てるような行いはするべきではない。幸い今は穏やかな様子だし、村の人たちが言っていたような恐ろしい一面は見えない。
「あの…ダリア、さん…?」
「ダリアで良い。どうした?」
「う……さっきは混乱してすみません。えっと、僕は近くの村から生贄として貴方の元へ来ました。貴方は僕をどうするつもりですか?」
ダリアはぱちくりとその黄色い目を瞬かせた。
「どうって?」
「いえ、僕はこれからどうすれば良いのかなと……」
「ここで暮らせば良いんじゃないか?」
「え?」
「俺とこの森で一緒に暮らそう」
伸びて来た手はあまりにも自然に僕を抱き寄せる。びっくりして思考が停止した。狼たちの間には性別的な観念は無いのだろうか。もしかして人間ほど線引きがハッキリしていないとか?
というか、もしかするとこの男は僕が小柄で貧弱そうだから女だと思っている可能性もある。今まで何度もそうした原因で揶揄われて来たし、一応生物学上オスと認定されるために必要なものは付いているけれど、狼だから分かっていないのかも。
「あ、あの!」
「なんだ、ヒューイ?」
言いながら僕の首元に顔を沈めるから、思わず変な声が出そうになった。彼らのスキンシップ事情はどうなっているんだ。
「ごめんなさい、何か勘違いされているのかもしれませんが……僕は男です!生贄の赤ずきんとして此処に来ましたけど、男なんです…!」
勇気を振り絞って告げた真実をダリアは声を上げて笑い飛ばした。耳の近くで聞こえる笑い声は優しくて、僕はそのゆったりとした声音にドキドキした。
ひとしきり笑った後、ダリアは顔を離して僕を真正面から見据えた。彼はどうしてこうも僕のペースを乱すのだろう。僕はもうずっと、自分の心臓がおかしくなったみたいで。
「知ってるよ、そんなこと」
「あ……え、ええっ!?」
「いくら狼と言えど、人間の雌雄の違いぐらい分かる」
「じゃあなんで僕なんかに…!」
「そんな言い方は止せ」
ダリアの手が僕の頭を撫でて、僕は思わずギュッと目を閉じる。怯えるあまり役割を放棄した視覚の代わりに、耳は必要以上に心地良い低い声をよく拾った。
「初めてなんだ……こんな気持ち、」
「………?」
「よく分からないけど、お前と居ると俺は幸せというものを感じることが出来る。ずっと一人で居る方が楽だと思っていたのに、変な話だろう?」
「僕と居ると……幸せなんですか?」
そんなことを言われたのは初めてだった。
欠陥品、お荷物として生きてきた十八年間。
透明人間みたいだった僕と居ることで、ダリアは幸せを感じることが出来ると言う。生贄として捧げられた僕に、一緒に暮らそうと提案してくれる。これがあの、村人たちが野蛮だと恐れる森の王なのだろうか。
「そうだよ、ヒューイ。俺はお前を気に入った。もう少しこの場所で一緒に居たいし、お前にもそれを望んで欲しい」
「ダリア……」
雨が降って来たのかと思って上を見上げたけれど、驚いたことにそれは僕の涙だった。ダリアの温かな手が僕の頬を包んで流れ落ちる雫を舌で救う。
こんな獣になら、食べられても良いと思ってしまった。
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