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02.赤ずきんは生贄
いつからなのか知らない。
だけど、物心がついた時からその風習はあった。
五年に一度、隣接する黒い森に生贄を捧げる。
それはその森を支配する大きな狼に対する献上品のようなもので、村人が「赤ずきん」と呼ばれる生贄を差し出すことで村の平和は保障されるらしい。
らしい、というのは今まで一度も村人が獰猛な狼の姿を見たことがないから。ただ夜中に稀に聞こえる耳を塞ぎたくなるような鳴き声は、僕たちを恐怖のどん底に落とした。怒りを声に乗せて木々を揺らすようで。
子供達は皆、黒い森へは近付かない。
狼に捕まったら最後、血の一滴さえ残らず食されてしまう。親たちはそうやって恐ろしい狼の存在を語って自分の子供を厳しく囲い込んでいた。
「ヒューイ、今回はお前だそうだ」
父が僕にそう言い渡したとき、僕は何のことか始めは分からなかった。ただ、読んでいた本を取り上げられたことにショックを受けて、細い身体を抱いて眠りに着いた。
何かがおかしい、と気付いたのは翌朝のこと。
目覚めるとベッドの周りをたくさんの白い服を着た人間が囲んでいた。目深に被ったフードの下で何やらブツブツと呟きながら僕に赤いローブを着せる。汚れ切ったその重たい布の塊はところどころ変色していて、僕は直感でそれが血なのではないかと思った。
「なにをするんですか!離して……!」
精一杯の抵抗も虚しく、僕はまだ暗い空の下に引き摺り出された。家を出る時に見えたのは、金貨を受け取る父の笑顔。
今回は自分だ、と告げた父の言葉の意味を理解した。
僕は今から「赤ずきん」として狼へ捧げられるのだ。この真っ赤なローブが何よりの印。そして、父はきっと自分から僕を村人へ売ったのだろう。
病弱で気弱、役立たずの息子。
結婚して跡継ぎも残せなければ、働いて金を生み出すわけではない。村の医師の見解では二十歳まで持たないと言われたこの命を、これ以上養うのは無駄だと。
それならば、せめて最後に金に換えてやろうと。
きっと父はそう企んだのだ。
「……赤ずきんは!女が選ばれるはずです!僕が行ったところできっと殺されて終わる!」
「大丈夫だヒューイ、お前の身体は女のようにか細い」
僕の手を引く顔の見えない男は、そう言って下衆な笑いを見せた。言い返すことは出来ない。ほとんどの時間を家で過ごしていた僕は、村のどの男よりも薄い胸板で、下手をすれば女たちよりも不健康に色白だった。
「しかし、もしも狼が怒って村を襲ったら!」
「そうならぬようにお前が行くのだ!」
「………っ、」
「獰猛な野獣の気を少しでも引けるように努力しろ。今年は年頃の娘は皆嫁ぎ先が決まっている。森の王がお怒りになったら、まだ幼い女児から選ぶことになる」
「やめてください、そんなこと……!」
「ならばお前が射止めてみよ。生きて帰ったら祝杯を上げてやる。そこまでお前の弱い心臓が持つか分からんがな」
僕はもう何も言わなかった。
誰かが行かなければいけない。
僕が行かなければ、幼い子供がその生贄として送り込まれる。五年耐えることが出来れば新しい生贄と交代するのだろうか?
しかし、今まで帰って来た生贄の話など聞いたことがなかった。ただ、いつも村人が忘れた頃に、その赤いローブが森の中に落ちているだけで。
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