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31.車窓から
この国を統べる国王の姿絵は見たことがあるけれど、その子供である王子や王女については存在しか知らなかった。式典に合わせて開催されるパレードのようなものを何度か行っていたようだけれど、エイベリンのような大きな都市ならともかく、国益に大した貢献もしていない僕たちの村までその一行が訪れるはずもない。
王族の暮らしなんて露知らず、時が止まったような僕たちの村は、ただ静かに日々の生活を続けていた。
「ヒューイ、準備は出来たか?」
「うん。本当に何も要らないの?」
「ミーシャはそう言っていたが……」
一国の王女のことをダリアは呼び捨てにする。
彼が言うには、数年前に森に迷い込んだ王女を助けたことで、王女は恩を感じて結婚を申し出ているらしいけれど、昨日の様子からして彼女がダリアに惚れ込んでいるのは明らかだった。
命を助けたとはいえ、一応王国の頂点に君臨する人間の名前をこのように呼ぶものだろうか。特別な関係を疑っているわけじゃないけど、僕は自分が男らしからぬ女々しい考えに囚われているのを感じた。
ダリアと居ると知らない誰かになったようだ。
思考回路は複雑化して、自分でも理解が追い付かない。
「大丈夫だ」
暗い雰囲気を出していたのか、心配そうなダリアが僕の手を取る。僕はわざと「何のこと?」と少しとぼけた顔をしてその手を握り返した。
優しい狼に伝えたい。
僕は引き際を弁えていると。
未練たらたらに彼に縋るほど自分は落ちぶれていないし、そういった女独特の煩わしい感じを嫌ってダリアは僕と居る可能性だってある。
エイベリンの街で出会った若い女に「どうして一緒に暮らしているのか」と聞かれて、彼は答えに困っていた。僕はダリアのすべてを知っているわけではないけど、それできっと良いのだ。丁度良い。
知り過ぎたら、抜け出すのも難しくなるだろうから。
◇◇◇
時計の針が12の場所で重なる少し前に、大きな馬車は僕たちを迎えに来た。
大の大人が二人並んでもまだ余裕のある広い車内に、僕は圧倒されながら窓からの景色を眺めていた。生まれてから生贄に出されるまで、村以外の場所なんて知る機会もなかったから、流れて行く光景はすべて新鮮だ。
御者によると、王女であるミーシャは宮殿で待っているようで、僕たちの到着をとても楽しみにしているらしい。たぶんそれは主にダリアの方だと思うけれど、いずれにせよ歓迎してもらえるなら嬉しいこと。
ダリアの話では三日ほどの滞在の間に、来たるべく真冬に備えての狩猟計画の共有や、来年度の契約内容について話し合いたいらしい。王女が自ら積極的にそういった商談に参加するのは不思議だが、それは良い意外性だろう。
「窓の外、見えるか?」
「………?」
「俺たちの森があんなに小さくなってる。これから王都に入るから、きっと景色も一段と面白くなるぞ」
「うん……楽しみだね」
耳のそばで聞こえる声がくすぐったくて、僕は肩を竦めながら返事をした。
ミーシャの前では余計なことを言わず、僕は物分かりの良い下男として押し通すつもりだ。僕がしゃしゃり出て自分の立場を釈明するのは場違いだし、ダリアの説明を待たずに何かを言うのはきっと良くない。
(大丈夫、僕はただの生贄なんだ……)
王女様が望むならば、その邪魔をする権利は皆無。
現状が幸運の上に成り立っていることを僕はよく知っている。
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