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33.パンデモニウム
目が覚めたら、外はもう薄暗かった。
部屋の中もどんよりとした闇が降りて来ていて、僕は慌てて電気を付けようと立ちあがろうとした時、そこがいつものダリアの部屋ではないことを思い出した。
「なに…これ……?」
続いて気付いたのは自分の両手首を繋ぐ重たい鉄の鎖。動くたびに肌を擦れるそれは冷たく硬い。どういうことなのか理解出来ないまま窓まで寄って行って、ガラスに映る自分の姿を目にして僕は驚愕した。
いつの間にか、服が変わっている。少ない布で胸を隠して腹を露出したデザインはまるで踊り子のようだ。加えてキラキラと光る目元は化粧をしているのだろうか?
(なんで、こんな…女みたいな、)
みっともない衣装を脱ぐためにあたふた動いても、ジャラッと重たい鎖が音を立てるだけで届かない。別人のような自分の見た目をこれ以上見続けるのも耐えられなくて、僕は急いで窓から離れた。
これもミーシャの指示なのだろうか。
薬草茶を飲んだあたりから記憶がないから、きっと何か眠りに誘う成分が含まれていたのだろう。
考え事をしていたら、勢いよく部屋の扉が開いた。
「あら、もう目が覚めていたのね」
立っていたのはミーシャ本人。
後ろに控えた護衛たちに何か伝えると、彼女は一人で部屋へ入って来た。暗い部屋の中でも、その口元が笑っているのは見てとれた。
「どういうつもりですか…こんな服、」
「似合ってるわ。嫉妬しちゃうぐらい」
「王女殿下は何か勘違いしているようです。僕は貴女の結婚を邪魔するつもりはない、貴女が望むなら身を引きます」
「身を引く…?生贄の分際で何を上から言ってるの?」
「………!」
驚いた僕の顔を見て、ミーシャは笑みを深める。
「終わりの村の生贄制度もとうとう男を選ぶしか道がなくなったみたいね。あの辺鄙な村とダリアの住む森が隣接しているのは知っていたけれど、彼が生贄を気に掛けるとはね」
終わりの村。
僕が生まれ育ったその閉鎖的な場所が、王都やその他の発展した場所からそう呼ばれていることは人伝いに聞いたことはあるけれど、実際に耳にすると胸が痛んだ。
王族にとってもその貧しい村は取るに足らない存在で、存在すら忘れているような場所なのだろう。狼に生贄を捧げて村の安全を守るなんていう根拠のない風習を未だに続ける、発展を放棄した村。まさに終わりの村だ。
「良い?ダリアは貴方を好いているわけじゃないの」
「…………、」
「どんな言葉を貰ったか知らないけれど、彼が貴方をそばに置くのは単純にあの森に他に手頃な相手が居ないからよ。男だから欲に負ける時があるのは分かるわ」
そう言って溜め息を吐くミーシャは、僕とダリアに肉体関係があることもどうやら知っているようだった。ダリアに聞いたのか、それとも恐ろしい女の勘というものか。
「でも、貴方で良かったと思ってる」
「……え?」
「他の女だったら憎らしくて殺しちゃってたかも。その点貴方は良いわよね。子供も出来ないし、後腐れなく抱きたい時に作業的に抱けるから」
「僕たちはそんなことをするためだけに一緒に居たわけじゃありません…!」
「あら?じゃあ、何?もしかして恋愛をしていたとでも思っているの?」
ミーシャはキョトンとした顔で首を傾げた。
僕は顔に全身の血が集まるのを感じた。それが怒りなのか、恥ずかしさなのか分からない。たぶん両方だと思う。
「ダリアは私の王子様なの。あの綺麗なトパーズみたいな色の瞳も、逞しい身体も、全部理想的だわ」
「…………」
「それに獣人とお姫様の結婚なんてロマンがあって良いでしょう?他の国の高貴な者たちにも自慢出来るし」
「……獣人が良いなら他にも居ます。見目が良い男を希望するなら貴女なら腐るほど選択肢があるはずだ」
「何が言いたいの?」
イライラした様子でミーシャはつま先を鳴らした。
僕は自分を睨み付ける青い双眼を見据える。
「僕は…僕には、ダリアしか居なかった……!」
「…………」
「獣人だからとか、姿や形で彼を好きになったわけじゃない。僕は自分の人生で初めて他の人から認められて…初めて、もっと生きていたいって……」
「生きられないでしょう?」
ハッとして顔を上げた。
ミーシャはもう笑っていない。つまらない演劇の終わりを見届ける観客みたいに冷めた目で僕を見ている。
「どうして、それを……」
「貴方のこと調べさせてもらったの。村の人が言うにはマルムに罹ってるから長くは保たないって」
「………っ」
「ダリアは知っているの?もしかして黙っているとか?じゃあ秘密主義の貴方は可哀想なダリアを一人で残して死ぬつもり?」
なんて自分勝手な愛かしら!と大袈裟に両手を広げて嘆く素振りを見せるミーシャを前に、僕は言葉が出なかった。
そうだ。僕は自分勝手だ。
捨てられたくなくて、嫌われたくなくて、ダリアに自分の病気のことを明かせない。もっと一緒に居たくて嘘を吐き続けている。大丈夫なフリをしている。
「貴方はただの愛情乞食。可哀想な自分を愛してくれる人を探しているなら、他を当たってよ」
吐き捨てるような言葉はひどく胸に刺さった。
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