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34.利用価値
「さてと、まぁ一応貴方の口から身を引くっていう言質も取れたし、私がここに来た意味もあったかしら」
「………大丈夫です。僕は弁えてますから」
「その点だけは褒めてあげるわ。ちょっと待っててね」
くるりと身体の向きを変えて部屋を出て行ったミーシャは、すぐに恰幅の良い中年の男を連れて帰って来た。
白いシャツに結んだネクタイを解きながら男はニコニコとこちらへ近寄って来る。どういうわけか、僕はその笑顔を見て恐怖を覚えた。助けを求めるように見上げた先には、もう部屋を去ろうとしているミーシャの姿があった。
「王女殿下!」
「あ、ごめんなさい。私は貴方を帰すなんて一言も言っていないわ。でも身を引くなら良いでしょう?」
「どういうことですか……!?」
「事情があって公に出来ない性癖を抱えた人たちってたくさん居るの。地位や名誉があると大変よね。貴方の話をしたら何人か名乗り出てくれたから、精一杯おもてなしして」
「………おもてなし…?」
「ええ。価値を与えてあげるわ、たっぷりの愛情もね」
そのままミーシャは部屋を出て行ってしまった。
何度呼んでも、もう声は返って来ない。
僕は、ベッドのそばで立ち尽くした。どんどん近付いて来る男との距離はもう1メートルもない。男の手が伸びて、僕の手首を掴んだ。ジャラッと再び鉄が擦れる音がする。
「大丈夫だ、痛くはしないから」
「なにを…するつもりですか?」
「知りたがりなんだね。涙が出ちゃうぐらい気持ち良いことをするんだよ。怖くないし、いっぱい愛してあげる」
手の甲をすりすりと摩られて、全身の毛が粟立つのを感じた。
これ以上後ろには下がれない。僕は距離を詰めて来る男から逃げるために身を翻したけど、そんなことを男は望んでいないようで掴まれた手首を勢いよく引かれた。鼻と鼻がくっ付きそうな場所に脂ぎった顔がある。年相応に老けているのに目だけはギラギラとしているから、余計に恐怖を感じた。
「やだ、離してください…離せ……!」
空いた片手を突き出すと「痛い!」という声と共に男は顔を伏せる。見ると当たりどころが悪かったのか鼻から血が出ていた。
「そうか。そういうのが好きなんだね」
「……やめて、来ないで!!」
「大人しくしてたら優しくしようと思ってたのに、無理やりが良いんだ。そうかそうか、おじさん誤解してたよ」
「ダリア……助けて、ダリア…!」
「恋人の名前かな?そんなの忘れちゃうぐらいイイことしようね。そうらこっちへおいで」
放り投げられたベッドの上で必死にもがいても、絶望的な状況は変わりそうにない。
薄くて頼りない布を引き裂いて、男は僕の胸に熱い息を吹き掛けた。咄嗟に名前を呼んだダリアが来ないことを僕は十分理解しているはずなのに、僕はやっぱり心のどこかで彼が救い出してくれるのを夢見ている。
ダリア、僕は本当に自分勝手だ。
身を引くなんて言ったのに、こんなに心が痛い。
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