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46.アニタ
精霊の泉を出た後、僕はアニタと共に自分が今日から寝泊まりをするという城へ向かった。アニタは小人たちに解散命令を出したので、僕は散り散りになる小さな兵士たちを見送ってから歩き出す。
「小さいからと言って、侮ってはいけない」
ほんわかした気持ちで眺めていた僕に、アニタは厳しい声を掛けた。
僕はラビットホールから自分を地下世界まで運んだのが小人たちであることを思い出す。あの場にはダリアとレニが居たはずだ。比較的身体の大きい大人が二人がかりでも止められなかったのだとしたら、小人たちの力は確かに可愛いものではないのだろう。
「……小人なんて、おとぎの国の話だと思っていました」
「仕方のないことだ。地下世界は存在自体が特殊だ」
「アニタさんはどうして此処に?」
アニタは瞬きをして紫色の瞳を隠す。
一瞬、悲しみのような感情が表れた気がした。
「地下世界は…追放された者たちの理想郷なんだ」
「追放……?」
「私たちはわけあって地上で暮らせない。その理由は各々で異なるし、例えば迫害だったり、差別だったりする」
「………、」
「私の母は、ラディアータ王国の最後の魔法使いだった」
僕は驚いて顔を上げる。
魔法使いという存在が、自分が生まれるよりはるか昔に絶滅していることは、外の世界と断絶した環境で育った僕でさえ知っていた。
その昔は重宝されていた魔女や魔法使いといった特殊な能力を持つ人たちも、国が発展する中でその力が問題視され始め、やがて疎まれることとなったから。
「人間は…理解出来ないものを恐れる。自分が分からない、その想像の範疇を超えた存在に恐怖を抱く。危害を与える敵だと思って、淘汰しようとするんだ」
「………貴女のお母さんは…」
「ある日、ベツィアナ宮殿から派遣された兵士が母を迎えに来た。魔法使いである母にしか治せない病気があると、彼らは母を連れて行った」
僕たちの前にはもう、城の門が見えていた。
歩みを止めるアニタに倣って僕も立ち止まる。
「一ヶ月が経って…半年が経った。なんとか生活を続けていたけれど、収入源である母が居ないと私たちは生きていけない。父は…戻らない母を捨てて家を出た」
「………っ」
「ヒューイ、私は馬鹿ではない。でも、まだ子供だった。子供というのは純粋で無垢だ。私は帰って来ない母をずっと待ち続けた」
そう言って自分の身体を抱え込むアニタの腕は、強い口調に反して震えていた。
きっと、僕が想像出来ないような苦労をしたのだと思う。僕なんかが簡単に「可哀想に」と同情を示して寄り添うことは出来ないぐらいの。
「ある日、再び国に属する兵士たちが家を訪れた。彼らは私に布切れを渡した。それは母が着ていた服の一部だった」
「………!」
「なんて言ったと思う?……アイツら、私を見て…”よく燃えた“って言ったんだ」
アニタは静かに泣いていた。
透明な涙が頬を伝って落ちていく。
「国は…母の善意を利用して殺した…!私はもう家に居ることは出来なかった。魔法使いが生き残れないこの国で、その娘である私に偏見の目が向くのも時間の問題だから」
そうして彷徨ううちに地下世界へ迷い込んだ、とアニタは細い声で続けた。僕は、大臣という大層な職務を受け持つこの少女が背負う、決して明るくない過去を知って閉口した。
そして同時に、ある疑問が湧いた。
アニタは僕の母を知っていた。まるで自分が見てきたかのようにその逃亡を語った。だけど、目の前のアニタはどう見積もっても僕と同年代か、もしくはもっと幼い。
「あの…アニタさん」
「どうした?」
「辛い話をさせてごめんなさい。一つ確認したいのですが、貴女はおいくつですか?僕の母を知っているようですが…どう見ても貴女は母より若い」
「ああ、説明していなかったな。地下世界では時間の流れがゆるやかなんだ。地上との差が生まれる」
驚く僕の前で、アニタはその特殊な世界について説明してくれた。彼女の説明によると、どうやら地下世界で過ごせば過ごすほど、外の世界との差が開いていくらしい。
時間という概念が無いわけではないが、同じように太陽が昇っても、月が出ても、地上とは消費する時間が異なるという話はにわかに理解しがたいものだった。
だけど、僕は恐ろしい可能性に気付いた。
それはつまり、この世界を抜け出した時にダリアに会えないかもしれないということ。姿形が変わったダリアを僕が見つけられない、もしくは、既に存在しない可能性だってある。
ショックを受けている僕に対して、アニタは城の中の構造を教えてくれて、僕が寝泊まりする部屋を案内した。
夕食の指示を出して来る、と言って去る彼女に頭を下げて、僕は窓の外を見る。来た時は出ていた太陽がどこかへ沈んで、今、空には白い月が浮かんでいた。
僕はなかば夢現で窓を押し開く。
幸い、外に見張りはいない。
高さがそんなにないことを確認して、そろりと身体を窓から出して飛んでみる。柔らかな草の上に着地した。少し散歩をするだけ、その程度許してくれるだろう。
時折見える小さな小人の影に怯えながら、白い森を目指す。そこには会ったことのない父親の墓があるはずだった。エイダという名前の父もまた、この世界の住人だったらしい。
だけれど、草木を掻き分けて辿り着いた森には先客が居た。
「………ヒューイ…?」
それは僕が会いたくて堪らなかった大きな獣。
心を揺さぶって離さない、黒い狼だった。
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