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47.二つの小屋
「……ダリ…ア?」
暫くぶりに口にする名前は、すでに懐かしい。
ダリアもまた、驚いた様子で立ち上がる。足元で白い葉っぱがカサカサと音を立てた。月の光が、近付いてくる狼の顔を照らしている。姿が見れただけでこんなに嬉しいなんて。
手を伸ばしてその頬に触れた。
ダリアは気持ちよさそうに目を閉じる。
何から話せば良いか分からなくて、なかなか言葉は出て来なかった。説明を受けた地下世界のこと、目にしたことはない母のこと、病気のこと。話したいことはたくさんあるのに、それらは僕の中でせめぎ合って喉を塞いでるみたいだ。
すっかり黙り込んでしまった僕の手を取って、ダリアはその両手で握り締めた。僕が安心する大きな手。
「………会いたかった」
掠れる声に、何度も頷く。
「僕も…!僕もすごく心配だった。ダリア…ごめんね、いつもいつも君のこと巻き込んでる。助けてもらってばかりで……」
「ヒューイ、」
「うん…?」
「言っただろう?謝ってばかりはダメだって」
そう言って寄せられた顔に僕はドキドキしながら固まる。
さながら巨大な狼を前にした小動物みたいに僕はダリアを見上げた。丸い月が視界に入って、乱暴に抱かれた朝のことを思い出す。身体がゾクッとするような期待を感じて、自分の浅ましさに震えた。
ダリアはただ何も言わずに僕を見ている。
試すような視線に息が出来ない。
「………ねぇ、ダリア」
「どうした?」
優しくて深い声に甘えたくなってしまう。
「キスしても良い?」
言ったそばから後悔した。
会って早々にそんなことを口走る自分は早急な人間だと思われただろうか。というか、そもそもキャラではない。僕から彼にキスを強請るなんて今までなかったと思う。
ダリアも驚いたように目を丸くしている。
穴があったら入りたい気持ちで目線を下げた。
「悪い…レニを探さなきゃいけないんだ」
「あ、そうだよね…!ごめん、馬鹿なことを…!」
焦って半べそ状態で謝る僕は地面から顔を上げられない。
重なる葉っぱの上にフッと影が差した。恐る恐る視線を上げると、腰を折って覗き込むダリアと目が合う。
「少しだけで良いなら、」
そう言って柔らかな唇が重なった。
深い緑の匂いが鼻腔をくすぐる。
少しだけ、と言いながら柔らかな舌は生き物のように僕の口内に侵入する。こうやってキスをするのは随分と久しぶりで、僕は息をするタイミングが分からなくなった。
「……っ……ダリア…!」
危うく窒息する手前で、なんとか解放された時にはもう身体は言うことを聞かなくなっていて、力無く崩れ落ちる僕をダリアは抱き止めてくれた。
「ごめん、やりすぎた」
「…大丈夫……、」
「ヒューイ、早く帰ろう。俺たちの家へ」
「………っ!」
思い浮かぶのは、アニタから聞いた話。
もともと地下世界で生まれ育った母が、地上では病弱だった理由はおそらく環境の差なのだろう。
僕は地上へ戻ってこの状態を保てるのだろうか?
今は精霊の泉で治癒したけれど、地上へ出ればまた使い物にならない病人になるんじゃないか。そうやって愛する人の足を引っ張り、迷惑をかけ続けるのならば……
「ヒィーくーん!ダリアー!」
遠くから聞こえた声に僕たちは振り向いた。
白い森の奥の方でこちらに向かって手を振るのは、どうやら兎の獣人のレニのようだ。何やら手に大量の薪を持っている。これ以上大きな声で叫ばれては困るので、僕たちは慌ててそちらの走って行った。
「あのね、あっちに小さい小屋が二つあったよ」
「小屋?」
「うん。寒さぐらいは凌げそう。まぁ、地上に比べたら全然外でも暖かいと思うけどねぇ」
「レニさん…巻き込んで、」
「あのね、これは僕の好奇心からの冒険であって、君のためじゃないよ。それにドアを壊した小人にまだ会ってないし」
「……ありがとうございます」
レニの親切心に感謝を示して、僕は案内されるがままに小屋の方へと歩み寄った。たしかに狭いけれど、雨風は当たらないし夜は越せそうだ。
気を利かせてダリアと僕を同室にしてくれたレニに就寝の挨拶をして、僕たちは小屋に足を踏み入れる。簡易的な寝床と埃っぽい毛布はあるようだった。
「ずっと、会いたかった……ダリア」
僕が見上げた先で黄色い瞳がゆらりと動く。
この期待は、伝わっているのだろうか。
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