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51.限りある幸せ
「………そんな、」
なんとか絞り出した声は随分と小さい。
アニタは真剣な顔で、彼女の発言を曲げることや交渉に応じる余地はないように見えた。隣に立つダリアを見上げると僕の好きなトパーズ色の瞳は迷うように揺れていた。
答えなど最初から決まっている。
そんな提案を受け入れるわけにいかない。
だって、それはつまり、彼を再び孤独にするようなものだ。白い森は死者を埋葬する場所。そんな場所にたった一人でダリアを住ませるなんて僕には出来ない。第一、彼にとってのメリットが一つもない。
「アニタさん、それは無理な話です。貴女が言っているのはダリアを隔離するということですか?彼は危険ではありません!」
「危険かどうかは私たちが判断することだ。何度も言っているが地下世界は獣人を歓迎していない」
「………!」
「それでも尚、この場所に居座りたいと言うのならばそれ相応の警戒をこちらもしなければいけない」
心臓がギュッと縮むのを感じた。
あまりにも酷な選択だと思う。
僕がダリアやレニと共にこの世界を去れば、僕は好きなだけダリアと一緒に過ごすことが出来る。毎晩一緒に眠って、目が覚めればそこには愛する人が居る。
しかし、その幸せは長くは続かなくて、近くない未来に僕は死ぬことになる。母と同じような最期を迎えることが怖いわけではないけれど、ダリアを残して逝くことはとても恐ろしいと思った。
ラディアータ王国のミーシャ王女も言っていたじゃないか。
一緒に居る間はあたたかい幸せに包まれていても、どちらか一方が亡くなることで残された片割れは永遠に暗い孤独の中に閉じ込められる。
いっそ新しい恋人を見つけてくれたら良い。
そうしたら僕は安心して彼を置いていけるから。
そんな情けない微かな願いを込めてダリアを見つめると、悲しそうな双眼が僕を捉えた。僕がこの狼だったらどうするだろう。すべてを捨てて着いて行くだろうか。それとも短い幸せを掴んで、地上を目指す?
ダリアはアニタに向き直って、口を開いた。
「それで良い。提案を受け入れる」
「ダリア………!」
「ヒューイ、お前を連れ出して、またなんでもない毎日を一緒に送りたいよ。俺たちの家に帰りたい」
「僕も、僕だって、」
「だけど…そうやって無理矢理に手に入れたお前が身体を壊して、崩れていくのを見たくない。何も出来ずにただ弱って死んでいくなんて……俺は耐えられない」
僕はハッとした。
薄らと涙が浮かぶ満月のような瞳は訴え掛けるようで。
残された者の気持ちを僕は知らない。母は僕が産まれた時にこの世を去ったから、母との記憶は初めから無い。それは不幸だけれど、幸せなことなのかもしれない。
いつの日か、小屋の中で見つけた狼の家族の絵を思い出す。大きな大人の狼に挟まれるように立っていた子供の狼。あれはダリアと両親の絵だった。彼には父と母の記憶があるのだ。大切な人を失った経験が、彼にはある。
「狼は一度番を見つけたら死ぬまでその番を愛すると聞く。お前もまた、ここに居るヒューイのことを愛し抜くのか?」
目を細めたアニタを見据えてダリアは頷いた。
「俺はヒューイが生きてさえ居れば、それで良い。月に一度だろうと年に一度だろうと、永遠に会えなくなることに比べたらはるかに幸せだ」
「………分かった。答えが聞けて良かったよ」
フッと息を吐いたアニタは小人の一人に対して、ダリアを連れて行くように命じる。慌てて身を乗り出す僕の前で、レニが「そういえば」と口を開いた。
「君たちが壊した扉の修理代、請求したいんだけど」
なんとも不思議な沈黙が流れる。
長い無音を破ったのはアニタで、ひとしきり笑った彼女は「変な獣人も居るんだな」と溢した。
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