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雪原の騎士
魔物のような咆哮は、風のようなヒュウヒュウと言う音を乗せて絶えず響いてくる。
そう言えば以前辺境伯さまが仰っていたわね。辺境伯領のある東部は雪が少ないが、アイスクォーツ公爵が治める北部は豪雪地帯で、時折吹雪の音が魔物の咆哮のように聞こえるのだと。だからそれが魔物なのか、吹雪の音なのか、判断が難しい。気が付いた時には魔物が目の前にいたと言うことも有り得なくはないのだから。
――――しかも。
「寒……っ」
ワンピース一枚ではまるで凍えるような寒さ。まさかここ……北部……!?
王都でもこんな寒さないわよ!指の先から凍えて感覚が無くなってくるかのようだ。
私はどれだけ眠っていたのだろう。とにかく、全身が凍り付く前に何とかしなくちゃ……!まずは馬車を停めなくては……!
「あの……!停まってください!ここはどこですか……!?どうしてこんなことに……っ!」
必死で御者台に続く小窓を叩けば、馬車が停まる。
「よ、良かった……!」
まずは状況を確認しなくては……!
暫くすると、ガタゴトと物音がきこえ、馬車の扉がすうっと開いた途端、痛い程の雪を纏った風が扉と車体の間から一気に駆け抜けてくる……っ!
「……くっ」
いきなりの風雪に、思わず目をすぼめつつも、扉を開け放った先の人影を見る。
「ち……っ。うるせぇな。だが、そろそろ頃合いか」
姿を現したのは、きっちりとした防寒具に身を包む知らない男だ。
彼は外で御者をしていたとはいえ、自分だけしっかりと防寒して私はワンピース一枚だなんて、酷すぎるわよ!
しかも彼の後ろの外の風景は見渡す限りのホワイトアウトだ。
あんな天気……冬の王都でも何年に一度あるかないかの冬嵐じゃない……!
寒さと突き刺すような風雪の痛みにガタガタと震え出す中、ぶしつけ私の腕を掴んだ男が、腕ごと思いっきり引っ張ってきた……!?そして私は吹雪の荒れ狂う外に放り投げられたのだ……!
「きゃっ」
雪肌に身を投げられ、かじかむような雪の冷たさが、身体の熱を一気に奪いとっていく。
「一体、……何を……っ」
既に寒さで動かすのもつらい唇を必死で動かす。その度に口の中に雪が入ってきて、内からも体温を奪っていく。
「ははっ!クリスティナ王女殿下からの伝言だ。冷酷公爵さまにせいぜいかわいがってもらえとさ……!」
「……はいっ!?」
私は辺境伯さまに嫁ぐはずで……クリスティナは冷酷公爵と呼ばれるアイスクォーツ公爵に嫁ぐはずでは……?
「あん?分からねぇのか?バカな王女だな!お前はクリスティナさまの身代わりとして嫁げってこったよ!」
「そんな……っ」
「あと、辺境伯との縁談は破談になってるって伝えとけって、クリスティナさまが言ってたぜ。……だが、魔物だらけの北部なんて冗談じゃねぇ。もう公爵領の境目付近だし。俺は魔物が出る前に帰らせてもらうぜ……!」
そう言うと御者の男は素早く御者台に乗り込むと、馬を発進させてしまう。
「ま……待って……っ!」
こんなところで薄着で放置されたら……凍え死んでしまう……!
急いで立ち上がろうにも、足が降り積もった雪に取られて転倒してしまう。
「きゃ……っ」
そして再び身体全体を覆う、無情なほどの凍え。
馬車の姿は吹雪でどんどんと見えなくなっていく。そんな……っ。こんなところで……。
ポケットに数本ポーションは入っているものの、かじかむ身体をどうにかできるものではない。それも……ここは確実に北部で、公爵領との境目。何の砦も魔物避けもない雪原ならば、いつ魔物に襲われてもおかしくはない。
私は……死ぬのだろうか。やっと辺境伯さまに嫁げると思っていたのに……っ。やっとクリスティナたちから解放されると思ったのに。
雪の中で、凍える身体を包もうにも、もう腕の感覚すらない。指先なんて完全に動かない。涙すら、出すことができない。
ゴォゴォと吹き荒ぶ咆哮は、魔物のものか、それとも吹雪か。
どうか、吹雪のものであって欲しい。そう願いつつも。ふと……。
ゴオォォォォォォ……。
吹き殴るような風の中で、一際低い音が響く。それは……吹雪の音ではない。それは……目の前に現れた大きな影でわかった。
本能的に人間が抱く、恐怖。
あれは……魔物だ。
ダメ……もう何も、動かせない。
ゴオォォォォォォ……
私は……死ぬのだ。
こんなところで。
やっと救われると思ったのに。
あぁ……辺境伯さま……。
もう縁談が破談となってしまったのなら……もう帰る宛てなどない。
ゆっくりと瞼を閉じれば、瞼だけは動いたのだと今さら悟る。
迫り来る痛みに耐えられるだろうか。しかし、逃れるすべはない。諦めにもにた覚悟を覚えた時だった……。
オオォォォォ――――――――ッ!!!
まるで絶叫するような魔物の咆哮が響く。いや、違う……これは……っ!
「くたばれオラアァァァァァッ!!!」
人間の……男性の声……っ!?
咄嗟に瞼を上げれば、吹雪の中だというのに不思議とくっきりと見えた。闇色の剣を振り上げ、闇色の鎧を纏う、彼が。
アァァアァアァァァ――――――――――ッ!!!
吹雪の轟音と、魔物の絶叫が混ざり会い、崩れ落ちる白く巨大な影。
それと同時に雪の上に闇色の鎧の主が着地する。
……誰?
「おい!何でこんなところにいやがる!」
憤怒の顔。しかし、答える力など、当に残ってなどいない。
唇すらも動かない。だけど瞳だけはしっかりと彼の姿を映している。
吹雪の中でもよく見える、ダークブラウンの髪に、まるで獣のように瞳孔が縦長な金色の瞳の青年だ。
「これを」
青年は自身のマントを無理矢理……引きちぎった……!?
しかしそれを私の身体を包むようにくるませてくれる。そしていとも簡単に私の身体を抱き上げると、いつの間にか間近に来ていた黒い毛並みの馬に乗せれば、その後ろに乗り込む。
「落ちんなよ」
いや、無理がある……!ただでさえ身体が全く動かないのに……!
しかし青年は馬を発進させる。
だが手綱を片手で器用に操り、もう1つの腕で落ちないように支えてくれたのだ。
……意外と……優しい……?
「揺れんぞ」
ゆ……揺れる?
そう思った瞬間、青年は馬の手綱から手を放して剣に手をかける。
ひ……っ、両手を放して馬に……!?しかし、それしかない。私は自分で馬に掴まることもできず、そしてごうごうと吹き付ける音は……吹雪の音だけではない。
「どけぇ……っ!魔物ども……っ!」
馬を脚であやつりながら、青年が剣を振るう先には、至近距離で魔物が屠られてくる。いや……むしろ至近距離にいなければ見ることもできない、吹雪の中である。
しかし彼はどこに魔物がいるのか分かっているように、至近距離から魔物たちを余すことなく屠っていく。
だが……。
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