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突然の緊迫した空気に冷や汗が伝う。
レクスの剣の切っ先が、ぐいとクリスティナの喉の皮膚に押し当てられる。
クリスティナは『ひっ』と再び短い悲鳴を上げる。
少しでも動いたら、皮膚を突き破りそうである。
さらには床から黒い闇の鎖が伸びてきて、クリスティナの身体を拘束し出す。
「な……なんなの……あんた……っ!いくら公爵だからって、不敬よ……っ!王女のわたくしに対して不敬よ……っ!!すぐに処刑してやるわ!」
それでも吠えるクリスティナは相当肝が据わっている。
「ヴァシリオス・アイスクォーツ」
クリスティナの問いに答えるようにレクスの口からその名が放たれる。
「し……知ってるわよ……!い……今すぐ謝るのなら、せ……先日の不躾な態度も含めて許してあげてもよろしくてよ……?顔だけは……いいし……」
汗だらだらで気持ち悪い笑みを浮かべるクリスティナを見下ろすレクスの表情には……感情がない。ただどこまでも冷たくクリスティナを見るだけだ。
この状況で、よくもまぁそんなことを次々に言える。あと、顔だけは余計よ!レクスは優しいし、いつも北部のことを考えてくれているし……セルくんには飛びっきり優しいのだ。
「ヴァシリオス・アイスクォーツ公爵の名に於いて、国王陛下より与えられた特権により、北部の平穏を乱すお前を処刑する」
は……?しょ……処刑……?
全ての感情の消え失せた、抑揚のない声でそう死の宣告をするさまは……まるで冷酷公爵と言う呼び名が妙にしっくりとくるような……。
――――だ、だけど……っ。
「ちょま……、レクス!?相手は一応王女よ!?さすがに処刑は……っ」
陛下に無断で王女を処刑するのは不味いのでは……!?
「そ……そうよっ!わたくしは王女なのっ!!」
いや、私のセリフに乗せないで欲しいんだけど。私を殺そうとしたアンタを庇いたい訳じゃない。むしろ……レクスが陛下からお叱りや罰を受けたらどうしよう……!
――――レクスを止めなきゃと近付こうとした私を、辺境伯さまの腕が止める。
「シェリカさま、あれでいいのです」
「……はいっ!?ユリウスさま!?」
あれでいいってどういうこと……っ!?あのままじゃレクスが王家に翻意があると思われてしまう……!
「レクスには……ヴァシリオス・アイスクォーツ公爵には、国王陛下から正式にその権利が与えられているのです。……その、北部の要所を守るに於いて、平穏を乱すとみなしたものを、誰であろうと処刑できる。それは……あの要所をおとしてはならないから故です」
「……えっ!?」
確かに北部が乱れれば、国の平穏が脅かされる。けどその権利が与えられているって……どういうこと……?
――――いや、待って。本当にそうだとしたら……。
一瞬脳裏に恐ろしい が浮かぶ。陛下がクリスティナをアイスクォーツ公爵に嫁がせようと決めたのは……。条件付きで王族ですら殺せる権利を持つ公爵に……レクスに処刑させるためだとしたら。
少なくとも……クリスティナの存在は北部にとって平穏を乱すことになるだろう。いや、確実に。そうして陛下はクリスティナを始末しようとした……?
だけど、結局クリスティナは北部に嫁ぐことはなかった。
でもクリスティナは騒動を起こした。アイスクォーツ公爵に処刑されるだけの、不祥事を。
陛下が何もしないのは……まさか。
「一度、忠告はしたはずだ」
そう言えば……この前押し掛けてきた時も、レクスは言っていたわよね。
「た……助け……誰か助けなさいよぉ……」
クリスティナはこんな時にまで上から目線だ。
「……そうだぁぁぁっ!シェリカ!アンタがわたくしを助けなさいいぃっ!あなた、わたくしの姉なんだから、わたくしの身代わりになって……死ねばいいのよ……!」
この女は……二度も私を殺す気か……!
本当に都合のいい時だけ姉扱いするんだから……っ!
「……死ね」
しかし、重々しい冷気に包まれたその言葉がクリスティナの耳朶を穿ち、再び視線をアイスクォーツ公爵に戻し……ガクガクと震えだす。
振り上げられた闇の剣の下。
――――もう、逃れられない。
だけど私の足は地面を蹴っていた。
「や――――――めなさ――――――――いっ!こら、レクス!」
剣を振り上げるレクスの腰を掴む。いや……その身長差のあまり腕は無理だったのだけど。
「……」
レクスの感情のない視線が私に降り注ぐ。
「そうよぉっ!シェリカ、アンタがわたくしの代わりに死ぬのよ……!」
いや、アンタはちょっと黙ってろ。誰もアンタのために死に来た訳じゃない。
「待って。レクス。このままクリスティナを殺してしまったら、王妃の罪もうやむやになる!2人が働いてきた犯罪も、それに関わった咎人も、闇に葬られてれてきた被害者も、浮かばれないわ……っ!」
「……」
「こいつらには、余罪全部吐かせた上で……相応の罰を下すべきよ……!」
「はぁ……?私が何をしたって言うのよおぉぉぉっ!わたくしに罰を……!?お前一体何様だぁぁぁぁぁ――――――――っ!」
取り敢えずクリスティナはうるさいから……黙ってくれないかしらね。
「……シェリカがそう望むのなら」
「……っ、そうね……!」
何か納得してくれたあぁぁ……っ!レクスは剣を下ろし、そして鞘に収める。
その光景に再びクリスティナは騒いでいるが……。
「お母さま!この無礼者をどうにかしてよ!」
「……っ」
さすがの王妃も、レクスの冷酷公爵と呼ばれる真実を目の当たりにし、さらには辺境伯さまの前と言うこともあり、反論する度胸はないようだ。
「あんたたちも!わたくしがこんな目に遭っているのに、何で助けないのよ!」
侍女も近衛騎士も、親衛隊も、動かない。
辺境伯さまの前だからと言うこと以上に、彼女たちは完全に見限られたのではないかしら。
そして続いて駆け付けた人物に、さらに青くなる王妃と、再び元気を取り戻したクリスティナ。
クリスティナは嬉々としてその人物を呼ぶ。
「お兄さま!助けて!シェリカが公爵を使ってわたくしを殺そうとしたのよ!!」
クリスティナが兄と呼ぶ相手、それは王太子のエーベルハルトしかいない。しかし王太子殿下は冷たくクリスティナを見据える。
「何故、お前を助けねばならない」
「え……?」
クリスティナは訳が分からないと言う表情を浮かべる。
「再三に渡り、注意をしたにもかかわらず、また問題を起こした。さらにはアイスクォーツ公爵やエステレラ辺境伯にまで迷惑をかけた。自分が何をしたのか、まるで分かっていない」
それでも注意をしたのは、王太子殿下にも少しは実の妹への情が残っていたのだろうか。
王太子殿下が陛下の思惑に気が付かないわけがないもの。
でも、何度止めても無駄だった。さすがに王太子殿下でも、これ以上はこの母娘を野放しにはできまい。
「どうしてよ!お兄さまはいつもわたくしのこと、何でも聞いてくれたのに!」
幼いころはそうだったのだろうか。母親が違うと言うこともあり、育った宮は別々だった。私は王太子殿下のことは『王太子』としてしか知らない。
それでも以前は……少しは妹として見ていた気がするのだけど。あの方があのような目を向けるようになったのは……いつからだったかしら……。
そうだ……婚約者のご令嬢が、馬車の事故に遭われてからだわ。……馬車……?あれ、どこか……引っ掛かるような……。
「そんなぁ……っ、お兄さま……っ」
クリスティナが王太子殿下の言葉に悲鳴を上げる。こんなにも冷たくされるとは思っていなかったのか……いや、しかし王太子殿下の婚約者が事故に遭われたのはもっともっと……前の話だ。
公務もこなさずパーティーや男漁り三昧だったクリスティナは……もしかしたら王太子殿下がずっと自分の味方で何でもしてくれるなどと言う幻想を見ていたのかしらね……。
――――公務を行っていれば気付けたでしょうね。だって王太子殿下と少なからず顔を合わせることになるもの。それすらもせず、ただ幻想に浸っていた。
「罪人の王妃とクリスティナを捕らえなさい」
王太子が静かに命じると、王太子が引き連れてきた近衛騎士たちが早速とばかりに、乱暴にクリスティナを拘束し、この場から引きずり出す。
さらに王太子殿下は、ひとり啜り泣く王妃の目の前に立つ。
「わ……私が直接やったわけじゃない!あの子が……クリスティナがどうしてもと言うから……っ!私は止めたわ!だから……た……助けてくれるのよね……?エーベルハルト!」
クリスティナの我が儘や横暴の影にはいつも王妃がいた。辺境伯さまにびびって表に出てこないくせに。裏から手を回しながらも己の身が危なくなればクリスティナにすべて押し付けようとしている。本当に……母娘である。
「あなたは私の実の息子でしょう?今まで育ててやったじゃない!」
王妃は基本子育てをしないと思うのだけど。特にこの王妃は……自分が着飾り、クリスティナを着飾らせることしかしてない。
「私はずっと、陛下の息子です」
王太子のその言葉は……王太子が王妃の味方ではないことを暗に示していた。
いや……多分ずっと前から。王太子殿下は気が付いていたのだろう。最愛の人を傷付けたその、犯人に。あの2人が処罰を受ければ……王太子殿下も、最愛の人を迎えることができるようになろう……。
王妃が連れて行かれると、王太子殿下が私たちに向き直る。
「謁見の間で陛下がお待ちだ」
陛下が待っている……。いつぶりの、対面であろうか。しかも何でタイミングよく謁見ができるのよ。本当にあの陛下は……何を考えているのやら。
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