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「こんなところで何してるの?」
誰もいない教室でひとり静かに絵を描いていると前にある扉から声が聞こえてきた。
いじめっ子たちが来たのかと私は身体をビクつかせながら前を見ると、見知らぬ生徒がそこにはいた。髪の長い細身の女子生徒。絵のモチーフになりそうなほど背景に合う整った容顔、容姿だった。
「えっと、どちらさま?」
朗らかな笑みを浮かべながら近づいてくる彼女に、私は恐る恐ると声をかける。
私の問いかけに対して、彼女は笑みを浮かべたまま足を止める。それから数秒後に机に手をつき、明らかにテンションの下がった様子で顔をうつむけた。
「そっか〜。でも、仕方ないよね。同じクラスとはいえ、一学期中は休んでいたから。私の名前はナルミヤユウカ。『成長したら王宮にいる王子様の婿になって、優雅で心癒される香りに包まれながら生活するのが夢』でナルミヤユウカだよ」
長すぎてどの漢字を拾ったら良いのかわからなかったが、おそらく成宮優香だろう。ややこしい説明の仕方だ。独特で個性的な子というのが彼女の第一印象だ。
私は授業中の風景を思い浮かべる。確かに、いつもなら空いている窓側最前列が今日は埋まっていたような気がしないでもない。
「ああ〜。私はサメジマミヅキ。『鮫に囲まれた島で観測する月は綺麗』で鮫島観月」
「すごい島だね。確かに、死際に見る月は綺麗かもね」
「いや……成宮さんが言ったから合わせただけで、別に深い意味は……」
「ふふっ。冗談冗談。よろしくね、鮫島さん。ところでこんなところで何やってるの?」
互いの自己紹介を終えると、成宮さんは脱線した話を元に戻す。
私は手に触れていた自由帳を半回転させると彼女へと見せた。今の会話で彼女への警戒心は完全に消滅していた。
「うわぁ。すっごい上手。これ、鮫島さんが描いたの?」
「う、うん」
「すごいね。将来は有望な画家になりそうだ」
無邪気にはしゃぐ成宮さんに私はどう反応して良いかわからず、ただただ薄っぺらい笑みを浮かべた。とはいえ、別に悪い気はしなかった。むしろ嬉しかった。他の誰にも褒めてもらえたことがなかったのだ。
「教室では描かないの?」
成宮さんは隣の席に腰掛ける。綺麗な髪から流れるシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「静かな場所で描きたかったから」
流石に虐められるからなんて言えるはずもなく、もっともらしい嘘をつく。
「そっか〜。ひょっとして、わたし邪魔だったりする?」
「いや、別に。成宮さんは居ても悪い気はしない」
今の言葉は本心だった。味方がいてくれると、いじめっ子もへたに来れなくなるので、何かと都合がいい。
「ほんと! じゃあ、居座ります。私のことは気にしないで描いてくれた大丈夫だからね」
成宮さんは両肘を突きながら私の自由帳を眺める。
「隣でまじまじと見つめられるのはちょっとやりにくい」
「あっ! ごめん! もうちょっと離れるね」
すぐに席を立ち上がり、二つ分くらい開けて再び席に座る。実に謙虚だ。
これくらいの距離ならば申し分ないか。私は机に視線を移すと手に持った鉛筆を自由帳に走らせた。これが成宮優香とのファーストコンタクトだった。
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