言わぬが花

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 優香との楽しい学校生活は、ある日を境に少しずつ変化していくこととなった。 「なんでそんな酷いことをするの!?」  用を足し終え、教室に戻っていく途中、聞き馴染みのある声での怒号が廊下を超えて聞こえてきた。私は何事かと小走りに教室へと戻っていった。  見るといじめっ子の三人と優香が向かい合って対峙していた。いじめっ子のリーダー的存在である女子生徒は片手を頬に添えている。優香は、普段は見せない剣幕で睨みつけていた。  彼女たちの間を引き裂くように私の机がポツンと健在している。机に入った教科書やノートは嘔吐したかのように乱雑に床に転げ落ちていた。その中で、私がいつも使用している自由帳が明らかに浮いた位置に置かれている。  視界に映った光景から、そこに至るまでの流れを汲み取るのはそんなに難しいことではなかった。いつものように私の自由帳に悪戯をしようとしたいじめっ子たちを、優香が目撃して止めに入ったのだ。  一触即発の雰囲気に、教室にいた生徒全員が石像のように動かない。  沈黙を破ったのは頬を殴られた女子生徒だった。舌打ちを一回打ち、席から離れると私のいる方へ歩いてきた。  私もまたゴーゴンによって石化されたように立ち止まった場所から動くことはできなかった。いじめっ子たちと目が合うと、鋭い目つきで睨まれはしたものの、何もされることなく彼女たちは私とすれ違った。  その鋭い目つきが皮肉にも石化を解く魔法となり、動けるようになった私は優香の元へと走っていった。教室もそのタイミングで何事もなかったかのように雑談の声が広がり始める。 「優香、大丈夫?」 「私は別に。それよりも……」  優香はそう言って、下へと顔を向ける。視線の先を見ると自由帳があった。いつものようにページが破れている。だが、いつもと違ってそれは中途半端だった。きっと優香が殴ったことでいじめっ子たちは動作をやめざるをえなかったのだろう。 「ごめん。せっかく描いてた絵を……」 「うんうん。なんてことないよ。絵なんてまた描けばいいから」  私は腰を下ろし、机から吐き出された教科書とノートを綺麗に片付ける。優香はただその場に立ち止まるばかりで壊れたかのように「ごめんね」と謝罪を繰り返した。その度に私は「いいよ」と励ましの言葉を送る。被害を受けたのは私なのに私が励ますと言うのはなんだかおかしかった。  それから騒ぎを聞きつけた先生たちが優香といじめっ子の三人、それから私を呼びつけて事情を聞いてきた。優香はことの顛末を話し、いじめっ子たちは私が無視するから悪戯をしたと言った。先生はいじめっ子たちを叱った。その様子を見ていた私は、なんだか嫌な予感がして胃が痛くなるのを感じた。  その日からだ。いじめの対象が私から優香に明確的に変わったのは。  下劣で悪質ないじめ。  優香の机に小さく描かれた悪口。トイレのドアの下から吹き出し、靴下とスリッパを濡らす水。冬の寒い時期に隠される体操服の上着。言葉だけで書くと小さないじめのように思えるが、塵も積もれば山となる。日に日に続く小さないじめというのは徐々に傷口を広げていき、やがて崩壊させる。  最初は気にしない様子を見せていた優香だが、時を重ねるごとに考え事が多くなっていた。表情も元気な時に比べて、やつれていったように思う。    私は彼女の好きな絵を描いて励まそうとしたが、それ以上のことはできなかった。正確にはしなかったというのが正しい。下手に私が手を出せば、また標的が移る。一度味わっているから、それがとても恐ろしく感じた。  そうして薄暗く包まれた日が重なっていく。それは日に日に濃さを増していき、やがて漆黒となり、心に刻まれる。二学期も終わりに近づいた頃、担任の先生から優香の訃報を知らされた。  優香の訃報が知らされた時、教室はとても閑散としていた。それに反比例するように職員室はとても慌ただしかった。PTAや警察への対応で忙しかったんだろう。校長先生も担任の先生同様、朝礼の挨拶の際、涙を流してみんなに話した。  生前、優香は何も残さなかったようで、何が彼女を自殺に追い込んだのかは、私といじめっ子たちを含めて誰も知りはしなかった。私は先生たちにどうしてこうなったのか、ことの顛末を全て洗いざらいに話したかった。 『絶対誰にも言わないでね』  でも、この言葉が私を邪魔する。  口から想いを吐き出そうとすると、この言葉が口にチャックをする。  これは私と彼女に交わされた契約なのだ。彼女が命と引き換えに交わした契約。  優香、どうしてあなたが、私にこの言葉を送ったの?
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