32 塞がれた唇

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32 塞がれた唇

「──あらためて。僕は、ロガンス帝国軍の魔法戦略指揮官。この戦争中は、ラザフォード第二部隊……つまり、ルイス率いるあの隊で『間諜』の仕事もこなしている。所謂、偵察(スパイ)ってやつだね」  ベッドとテーブルと椅子と、少しの救援物資が置かれた、小さなテントの中。  クロさんは、ベッド横の椅子に座ったまま、落ち着いた口調で語る。  そこまで聞いただけで、既に合点のいくことがいくつかあった。  ルイス隊長率いるあの隊に所属していながら、何故私はクロさんに会ったことがなかったのか。  それは、間諜としてあちこちを周り、他国の動向や現在の戦況について調べていたからなのだ。  以前、兵士Aが間諜からの報告を隊長に伝えていたけど……あれこそまさに、クロさんのことだったのだろう。  そんな私の考えを答え合わせするように、クロさんが続ける。 「隊員以外の人間に(スパイ)の存在が知れるのはまずいから、君とは直接会えなかったけれど……君がうちの隊に同行している時から、僕は君のことを知っていたし──ずっと、見ていたんだよ」  言って、クロさんは、私をじっと見つめる。  獲物を捉えた獣のように、真っ直ぐな視線……その瞳に思わずドキッとさせられるが、そこに込められた意図がわからず、私は何も言えなくなる。  強張る私の表情を見てか、クロさんはふっと笑って肩をすくめる。 「君も知っての通り、ルイスはお人よしだからさ。死にかけた一般市民を、危険を顧みず助けるなんてことはしょっちゅうだった。君を拾った時も、やれやれまたか、と思ったんだけど……」  そこで、彼は徐ろに立ち上がり、私に近付くと……  ──むにゅっ。  と、両手で私の頬を挟むようにして、 「拾ったのが、こぉーんなレアな精霊保持者だったんだもん。僕、久しぶりに興奮しちゃったよ」 「…………ふぇっ?」  頬を挟まれたまま、私は目を点にする。  しかしクロさんは、いつになく目を輝かせ、生き生きと続きを語る。 「精霊二個持ちのルイスに初めて会った時も驚いたけど、君は別格だった。なんせ『殺すこと』に特化した精霊の持ち主に出会うのなんて初めてだったからね」 「あの……それ、馬鹿にしています?」 「まさか! 最大級の賛辞だよ。君が隊にいる間、毎晩のようにテントへ忍び込んで、寝ている君を一晩中観察させてもらっていたくらいなんだから」 「なっ……!」  お、思い出した……!  そういえば、あの隊に同行していた時、誰かに身体を調べられているような妙な夢をしょっちゅう見ていたんだった!!  まさか、この人の仕業だったなんて……  ていうか『観察』って……一体ナニをされていたんだ?!  ジトッと睨み付けると、彼はたばこを灰皿に押し付け、私がいるベッドの端にばふっと座り、 「だからね、ルイスに言ったんだ。『この娘、研究させてほしいからロガンスへ連れて帰ろう』、って」 「研究……?」 「あぁ、僕ね」  そこでクロさんは、黒ぶちメガネをくいっと上げ、 「こう見えて、ロガンス帝国・精霊魔法研究の第一人者でもあるんだ。今は間諜なんてやらされているけど、いちおう普段は『先生』って呼ばれているんだからね」  ドヤ顔で、そう言った。  ……なるほど。  いつだか隊長が言ってた『精霊オタク』も、この人だ。 「でもね、ルイスはそれを許してくれなかった。『母国で生きるのが一番いいに決まっている。それに、ロガンスに連れて行ったとしても、敵国の出身ということが知れれば生きづらくなるだろう』って」 「隊長……」  そっか……隊長、そこまで私のことを考えてくれていたんだ。  本当に……どこまで優しい人なのだろう?  ……という、私の感動をぶち壊すように、 「はぁ? って思ったけどね。そんなんルイスが決めることじゃないじゃん、って」  クロさんが、不満げに言い放った。  逆にあなたは終始自分の都合しか考えていないですね?! 本当にルイス隊長の仲間なの?! 「そうこうしている内に、まずいことになった。フォルタニカ軍の一部が、君の存在に気付いて襲撃してきたんだ」 「私の、存在?」 「そう。やつらは、この国の……イストラーダの稀少な精霊保持者を自国の戦力として取り込もうと企んでいた。恐らくイストラーダ国民の魔法能力の情報を入手して、拉致すべき優秀な能力者のリストを作った。そこに、君の名前があったんだろう。けど……君が住んでいる街ごと、うっかり壊滅させてしまった。慌てて死体を漁ったけれど見つからず、それで、通りかかったロガンス軍が君を拾ったのだろうと予想し、尾行された。あの襲撃の裏には、そんな経緯があったんだよ」  クロさんの話を聞き、ぞっとする。  つまり、あの時ルイス隊長に助けられていなければ、私は……フォルタニカ軍に拉致され、敵国の戦力として働かされていたのだ。  ……ていうか、 「……私の能力って、そんなに珍しいんですか?」 「あったり前だよ! こんな殺す気満々な能力、どこも喉から手が出るほど欲しがるに決まってる!」   殺 す 気 満 々 な 能 力 。  ……なにそれ、全然嬉しくないんですけど。  これまでずっと、自分の治癒能力には誇りを持っていたのだが……本来は、まったく逆の性質を持つ魔法だったらしい。  ショックを受ける私をよそに、クロさんは話を続ける。 「フォルタニカの二人組に襲撃され、君の存在がバレたことを確信したルイスは、慌ててヴァネッサのところへ君を預ける手筈を整えた。君がまだ隊に同行していると思われている内に、安全な場所へ切り離そうってね。……でも」  そこまで言って……  クロさんは、私の手をきゅっと掴む。  その感触に、思わずドキッとしてしまう。 「僕は、君を諦められなかった。やっぱりロガンスへ連れて行きたい、むしろロガンスで保護すべきだって、ルイスにもう一度言ったんだ。そしたら、『本人の意思を無視して決めることじゃない』、なんて言うからさ」  そして……  天使のように無邪気な笑みを浮かべながら、 「思いついたんだ。僕のことを好きにさせちゃえば、勝手に自分の意思でついてくるじゃん、って」  ……と、悪魔のようなセリフを言ってのけた。  ま、まさか、本当に……  精霊のレア度を見込まれて、近付かれていただなんて。  それじゃあ、色酒場にお客さんとして来たことも、そこで勝負を持ちかけたことも、今日デートに誘ったことも……  全部全部、『レア物』である私を国に持ち帰って、研究するため……? 「ちょっと野暮用があったから、君の店に通い始めるのに時間がかかったけど……でも、敵さんもなかなかだったね。隊から君を切り離したことにも、すぐに気がついたようだ。君で間違いないか、客に紛れて品定めしていたとは……」 「……ひどい」  私は、握られていた手をバッと振り払い、ベッドから降りて立ち上がる。  その様を、クロさんが驚いた表情で見上げるが、私は構わず彼を睨み、 「さっきから聞いてりゃ、人をレアだとか稀少だとか……要するに私は、クロさんにとって、ただの研究対象だったんですね!」  言いながら、視界が滲む。  そうか……そういうことだったんだ。  それなら、全てに説明がつく。  他の人に近付くのを禁じたことも。  魔法を使わぬよう忠告したことも。  私を……夢中にさせたことも。  全部、研究対象として、ロガンスに持ち帰るためだったんだ。 「あぁそうですよ、夢中になりましたよ! 好きで好きで好きで、毎晩あなたのことを考えて、どうしたら笑ってもらえるか、どうしたら……き、キスしてもらえるかって、そればっかり考えていましたよ! でも、それが……っ」  ぽろっ……と。  頬を、涙が伝う。 「それが、ただ…………私の、能力だけが欲しかったなんて……っ」  ……最っ低。  そう言ってやろうと思った───その時。  突然、ぐいっと手を引かれ……   ───ちゅ……っ。  私は……  彼に、キスをされていた。
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