214人が本棚に入れています
本棚に追加
33 歪な愛し方
見開いた瞳から、涙が零れる。
目の前には、眼鏡の奥で閉じられた、クロさんの瞼。
突然の口付けに、私は抵抗することも忘れ……
「…………は……っ」
唇が離れ、やっと息をついたかと思うと、今度は強く抱き締められた。
そして、
「……本気でそう思う?
だとしたら……君、相当鈍いよ」
らしくない、ぼそっとした口振りで……
クロさんが、そう呟いた。
キスの余韻と、抱き締められている温もりに、その言葉の意味をうまく考えられなくなる。
……いや、考えるな。騙されるな。
彼はこうやって、何度も私を振り回してきたのだから。
「も……もう騙されないんだから! そうやって籠絡して、実験台にしようったって、そうは……!!」
「ねぇ」
……と。
いつになく強い口調で言葉を遮られ、思わず口を噤む。
固まった私の身体を、クロさんはより強く抱き締めて、
「……一度しか言わない。一度しか言わないよ。
だから……ちゃんと聞いていて」
耳元で、そう囁く。
こんな、掠れたようなクロさんの声……初めて聞く。
どんな顔しているのか見てみたいけれど、ぎゅっと抱き締められているせいで、それが叶わない。
「……最初は、そのつもりだったよ。
君には、研究のために近付いた。
けど……今は違う。
特別な能力なんかなくったって、僕は──」
──それは。
低く、甘く、切ない声で。
「──君のすべてが欲しい。
心も、身体も……この先の人生も、全部。
この意味……わかるよね?」
……鼓膜を揺らす、その声に。
胸の奥が、痛いくらいに締め付けられる。
だって、いつも飄々としているクロさんが……
こんなに、声を震わせるなんて。
堪らず私は身体を離し、彼の顔を見た。
すると、
「…………なに」
眉間に皺を寄せる、その顔は……
ごまかし切れない程に、赤くなっていた。
「クロさん……ほっぺ、真っ赤」
思わず口にすると、クロさんは「うるさい」と言って……
顔を隠すように、再び私を抱き締めた。
あのクロさんが、こんな顔をするなんて。
頬を染め、照れ隠しをするなんて。
……それだけで、もう充分だった。
この言葉は、きっと本物。
彼の気持ちも、きっと……本物。
今度こそ、夢じゃないよね?
彼も、私と同じように……
私のことを、想っていてくれたんだ。
なんて……なんて、幸せな運命の中にいたのだろう。
……ん? でも、待って。
それなら……
「……なんでさっき、普通に返事してくれなかったんですか?」
「さっき、って?」
「私が『好き』って伝えた時ですよ! 遊びは終わりだ、とか言って、私のこと振りましたよね?!」
「別に振ってないよ。本当のことを言っただけ」
「はぁ?! ど、どういう意味ですか?!」
「君の心を手に入れたんだから、これで幼稚なごっこ遊びも、客とホステスっていうつまらない関係性も終わり。ここからが本番、ってこと」
「本、番……?」
「……だって」
彼は、私の顎に手を添え……
目を細め、妖しく笑う。
「君、正式に僕のものになったんだよ? おさわり禁止の制約も解けたし、ここからはもう……どんなことをされても、文句は言えないよね?」
「…………っ……!!」
そう言って笑う彼の顔は、やはり小動物のように愛らしいのに……
闇色の相貌だけは、獲物を捕らえた肉食獣のように、ギラギラと熱を帯びていて……
……ひょっとして。
さっき振られた(と思い込んだ)時、冷たいと感じた視線の正体は、この獣のように真剣な目付き……?!
なんて、脳内で答え合わせをしていると、クロさんは「あはは」と笑い、
「まぁ、勘違いさせるような言い方をしたのは事実だよ。『失恋したんだ』って思い込んで、絶望する君の顔が見てみたかったからね。案の定、君の反応は最高だったよ。涙がじわぁって滲んで、この世の終わりみたいに顔を歪ませてさ……はぁ。今思い出しても興奮する」
「さ……最低! 変態!!」
「そう。僕は変態なんだ。優しくするだけじゃつまらない。君に意地悪をして、モヤモヤさせて、いつも僕のことで頭を悩ませていて欲しい。君の心に忘れられない失恋の痛みを刻みたかったし、初めての恋が成就する喜びも味わって欲しかった。その両方の感情を……僕が、奪いたかったんだよ」
言って、彼は私の額にキスをする。
そのキスは、とても優しいけれど……
私を見つめる瞳は、やはり隠し切れない熱を孕んでいて。
「要するに、それだけ僕は君に夢中ってこと。
どう? 嬉しいでしょ?」
と、可愛らしく尋ねる。
……こんなことを言われたら、恐ろしくて逃げ出すのが普通なのだろう。
でも、私は……
彼の、歪んだ愛情表現に…………
背筋がゾクゾク震えるような、甘い悦びを覚えてしまって。
彼のことを「変態」と罵ったけれど。
私も、もう……引き返せないくらい、「変態」になっているのかもしれない。
……だから。
私は、その瞳に操られるように頷くと、
「う……嬉しい、です」
蚊の鳴くような声で、そう答えた。
その返答に満足したのか、クロさんは「いい子」と囁いて……
もう一度、おでこにキスをしてくれた。
最初のコメントを投稿しよう!