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この手を離さない
それから数分でヤンキーは起き上がった。
…が、すぐ逃げていった。
日下部さんはというと…
…ヤンキーが起き上がるまで、ずっと愚痴を呟いていた。
けど、ヤンキーが起き上がると、ハッとしたように俺を見た。
「…⁈もしかして私、出ちゃってました?」
「え?なにが?」
「…ヤンキー」
俺は先ほどまでの日下部さんを思い浮かべた。たしかに、ヤンキーという言葉がぴったりの不良っぷりだった。
「うん、出てたね」
「う、嘘〜⁈」
日下部さんは顔を真っ赤にして崩れ落ちた。
「…い、言いふらしますか?」
「え?」
「私が本当はヤンキーだってこと」
俺は少し考えてから言った。
「言わないよ?」
「え…なんでですか⁈」
「逆になんで?」
日下部さんは顔を手で覆いながら言った。
「私、中学の時までヤンキーで…髪も金髪だったんですよ。誰かがいじめられるのが嫌で、拳を振いました。サイテーですよね。勉強だって、親にやれと言われるのが嫌でやっていませんでした。けど、変われたんです。好きな人ができたから」
好きな人、という言葉に、思わず耳が反応する。
「親が毎日うるさくて…いやいや勉強して今の高校に受験しました。なんとか受かりましたけど、それでもダメダメで…でも、入学式の日、一目惚れしたんです。だから私は、変われました」
日下部さんの好きな人は、誰なんだろう。
それは、誰だっていい。
誰だろうと、俺には関係ない。
その人と日下部さんが結ばれようと、付き合おうと、結婚しようと、俺には止めることはできない。
でも俺は、彼女に好きだと伝えることができる。
叶わない恋だっていい。
俺は日下部さんに、精一杯の好きを伝えたい。
「日下部さん!」
日下部さんが首を傾げる。
俺は日下部さんの名前を読んだ。
大好きな、名前を。
この声で今、好きを伝える。
「俺は日下部さんが好きだ」
日下部さんは驚いたように声を上げ、硬直した。
「ずっと好きだった。気づいてたかもしれないけど、大好きなんだ」
日下部さんは息を呑んで俺の言葉を聞いていた。
「日下部さん、ごめんな」
俺はそっと謝罪の言葉をかけた。
「…なんで、謝るんですか?」
日下部さんはそこでようやく口を開いた。
「桜庭くんは悪くないです…」
日下部さんは俯きながら言う。
「…ごめんなさい」
終わったな、と思う。
彼女が謝る理由は、一つしかない。
つまりは、俺の恋が終わったということだ。
俺は涙を堪えながら日下部さんの話に耳を傾けた。
「…ごめんなさい、私、精一杯ごまかしてました」
…涙が吹き飛ぶ。
「は?」
「ごめんなさい。私、どうしても知られたくなくて…」
はい?何を言ってるんだ?
「…私、本当は桜庭くんのこと好きなのに」
沈黙が流れる。
思考が停止する。
息も止まる。
言葉が出てこない。
ただ、心臓だけがありえないほど暴れ回っていた。
「は…?」
俺はやっとのことで声を出した。
「すみません…困りますよね…ずっと黙っていて、ごめんなさい…でも」
日下部さんは俺の瞳を見つめた。
真っ黒な、宝石みたいな瞳。
その瞳には、俺が映っていた。
「…嬉しい、です。桜庭くんも、私と同じ気持ちでいてくれたとは思わなかったから…」
その一言が、何よりも嬉しかった。
「じゃあ?」
「私が言っていいものかわかりませんが…はい。よろしくお願いします…」
日下部さんが優しく微笑んだ。
まるで優しい春の光みたいで…つられて俺も、笑った。
たまらず彼女の手を握る。
ーーーーこれからの未来に、きっと日下部さんがいてくれることを願った。
そして俺は、彼女の意外に太くしっかりした手を、いつまでも離さないことを、誓った。
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