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乙女の秘密
「わぁ…!どれから先に乗るー?」
目の前に広がった楽しげな雰囲気に、丸山さんが弾んだ声を上げた。
丸山さんは遊園地が好きみたいだ。
「どこでもいいよ〜♡るーちゃんと一緒なら〜」
「やだ〜♡もう、大翔ったら♡」
…全く、このバカップルめ。
俺はため息をついて日下部さんに声をかけた。
「どこ行く?俺はどこでもいいけど」
「そうですか…では、定番の『うさぎのぴょんぴょんレース』はどうですか?」
日下部さんは遊園地のパンフレットを見て言った。
『うさぎのぴょんぴょんレース』は、うさぎの機体の頭の上に乗ったカゴに乗り、うさぎのように機体が飛び回るというアトラクションだ。
でも、そのカゴは2人で1つのカゴに乗らなければいけない。
丸山さんと大翔は一緒に乗るだろう。
ということは、また俺は日下部さんの隣になる。
はあ。なんでよりにも寄って日下部さんなんだよ…
もしかしたら、日下部さんが好きだってバレてるかもしれないのに…!
そんな俺の気も知らずに、丸山さんは「いいね!それ行こう!」と、列に並ぼうとしている。
と言っても、今並んでいる人は少なく、俺たちの順番はもう次だ。
前にいたグループが乗る。こんな声が聞こえた。
「まーくん、怖いよぉ」
「りっちゃん、俺の手を握ってて」
…全く、この遊園地にはバカップルしかいないのか。
俺はため息をついて順番が来るのを待った。
いよいよ、俺たちの番が来た。
俺は恐る恐る日下部さんの隣に腰を下ろす。
日下部さんは俺が隣に座っても表情を変えず、俺は心底安堵した。
「シートベルトをおしめくださ〜い!まもなくぅ、発車しまぁーす!いってらっしゃ〜い!」
担当スタッフの作ったような明るい声を合図に、ウサギの機体がゆっくり動き出した。
ゆっくりだった機体は次第にぴょんぴょんと飛び跳ね始め、このアトラクションのキャラクターである、うさぎのぴょん太の明るい声が流れる。
俺はそのうるさいくらい楽しげな声とは裏腹に、信じられないくらい日下部さんのことだけしか考えられない。
「…桜庭くん、どうしたのですか?」
ふいに、隣に座る日下部さんが不思議そうに聞いてきた。
「もしかして、酔いますか?こういうの」
「いや、違う…」
…俺が酔っているのは、日下部さんだ…!
「そうですか?顔が真っ赤ですけど…」
「いや、これは…なんでもない」
俺はとっさにそう誤魔化した。
顔赤いのバレてたのか…
日下部さん、鋭い…!
そんな俺の気も知らずに呑気にうさぎはぴょんぴょん飛び跳ねる。
…なんか、気持ち悪くなってきた…
「桜庭くん…⁈」
珍しい日下部さんの焦ったような声と共に俺は意識を失った。
「さ………!さく……桜庭くん!」
涼しげな声で目が覚めた。
この声は…日下部さんか?
俺は辺りの喧騒と溢れるほどの光にまだ少し頭痛を覚えながらも身を起こした。
「桜庭くん⁈大丈夫ですか⁈」
「さくっち大丈夫そ?」
「北斗ぉ〜!よかったぁ〜!」
大翔は半泣きしていた。
…いや、ただアトラクションで酔っただけじゃないか。
「桜庭くん、これ」
「お、おお…ありがとう」
日下部さんは俺にミネラルウォータのペットボトルを差し出してきた。
俺はペットボトルに入った水を一気に飲んだ。
「無事でよかったです…」
日下部さんはそう言いながらポケットからハンカチを取り出した。
その時、余計すぎないフリルがついたハンカチと同時に、何かがはらりと落ちたのが見えた。
「日下部さん、なんか落としたーーーー」
そう言おうとした俺は息を呑んだ。
彼女のポケットから出てきたそれはーーーー
「桜…の、花びら…」
ピンクに染まった春の残香、桜の花びらだった。
いつもなら綺麗と思うはずの桜。
それが今の俺には、ずっしりとのしかかる〝失恋〟の証だった。
ただ、どんなに祈っても、事実は変わらない。
…日下部さんには今、おまじないに手を染めるほど恋を叶えたい相手が、いる。
「…?桜…って!桜庭くん!」
日下部さんが言った。
もう俺には聞く気力もなかった。
「だっ…だめです!そ、それは…っ!」
俺は信じられないほど彼女を好きにさせた誰かに嫉妬していた。
「誰?」
「え…桜庭くんおまじない知ってるんですか⁈」
「うん、知ってる。誰?」
俺は淡々と問い詰めた。
ただ、彼女から帰ってきた返事は、俺の予想を盛大に裏切るものだった。
その予想には、大きな絶望と、ほんの少しの期待が混じっていたというのに。
「そ、それは…お、乙女の秘密です!」
彼女は知らない。
その言葉が、俺をこれほど惑わせたことを。
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