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「あん、ああっ! はっ、あぁっ! …アァッ!」
――……何? 誰……?
嬌声が聞こえる。娼館に呼ばれて、寝てしまったんだっけ?
考えようにも頭がずきりと痛み、ぐらぐらと揺れて、思考が散り散りに溶けていった。
不意に、唇に柔らかな感触を感じた。同時に今まで聞こえた嬌声が、くぐもった声になる。
ぬるりともざらりともする何かが、唇をこじ開け捩じ込まれた。その直後に液体が流し込まれ、弛緩した喉を通っていく。
甘い果物の香りを感じた後に、喉を焼くような強いアルコール。
「うっ、ゴホッゲホッ!」
思わず咳き込んで、苦しんでいると視界がクリアになっていく。焦点が定まっていく。
「あ、気付いた?」
「……え?」
希望は目を見開き、言葉を失った。ライは楽しそうに笑いながら、希望に覆い被さっている。大丈夫? などと首を傾げて希望の汗ばんだ額を撫でた。
「…ッは、離せ…ッあぁんぅっ…!」
逃れようと身をよじるが、甘く激しい刺激が全身を駆け巡って、力が抜けてしまった。
よく見れば、希望のそこは、彼の欲望をぐぷりと奥深くまで受け入れていた。
――な、なんで、また……?!
押し返そうにも、両手は拉致された時から後ろ手に拘束されている。ショックのあまり硬直していたが、すぐに我に返ってライを蹴り飛ばそうと足掻く。
けれど、中が擦れて「んあっ」と情けない声が零れてしまった。ぞくぞくっと背筋は震え、さらに締め付ける。
「アハハ、すげえ締まる」
揶揄うように笑われて、恥ずかしさと悔しさで唇を噛み、睨み付ける。
「…っなんっで…っあんたがここに…っあいつらは…?!」
「あいつら? …ああ、あれのこと?」
「…? …え…?」
希望は彼の視線の先に目を向け、目を見開いた。
「ひっ…!」
埃っぽくて、古い血の跡や傷で汚れていた床には真っ赤な血だまりが広がっている。一つや二つではない。その周りには飛び散った血痕や引き摺った跡が残っていて、凄惨な悲劇を物語っていた。
その中央にはポツンと椅子が一つ置かれていて、希望に付き纏っていた男が座っていた。彼もまた無傷であるはずもなく、恐怖で引き攣った顔は酷く腫れ上がっている。猿轡を噛まされているせいか、それとも傷が痛むのか、ふーっふーっと息苦しそうな吐息が聞こえる。
けれど、希望が恐怖を感じた理由は別にある。
ここで息をしているのは、希望とライと椅子に拘束された男、…だけではない。その奥にはスーツ姿の男が数名が佇んでいた。
「…な、なに…だれ…あぁッ! んぅっ…!」
突然、深く突き刺さっていたものを、乱暴に引き抜かれて堪らず声を上げた。倉庫にぽつんと置かれていたソファの上から、床に投げ捨てられて、小さく身体を震わせて刺激に耐える。
「そんな声出すなよ。あとで続きしてあげるから、な?」
「…は? え、なに…アァッ!」
ライは希望の髪を無造作に掴み、男の前へ引きずっていった。
「やっ痛い離し…! あうっ…!」
ライは男の股間に希望の顔を押し付けた。
「うぅっ……?」
血はもちろん、恐怖のあまり漏らしたのかじっとりと濡れていて、不快な匂いもある。しかし、押し付けられた箇所に感じる熱と固さに、希望は目を見開いた。
「…はっ…?」
「ほら、わかるだろ? お前の声だけで興奮してんの。可哀想に。もう死ぬのに」
男がうぐぅと呻いて震えているが、それでもそこが萎えることはなかった。
「咥えてやったら?」
「は?! なんで俺が、そんなこと!」
「お楽しみ中だったんだろ?」
「…はあ…?!」
「俺から逃げておいて、こんな雑魚共と乱交なんてなぁ」
ライは笑っているが、その声は冷たく、どこか苛立ちを帯びている。
「あ、あれは無理矢理ッ、…ぅあっ…!」
「もうどうでもいいんだ、そんなこと。わかるだろ?」
「…ッ」
ライは希望の項を掴んで力を込める。
冷たい声に希望はきゅっと唇を結んだ。
「上手に出来たら、俺から逃げたのは許してあげる。これからも仲良くしよ?」
「な、なに、何言って…」
「お前は頑丈で賢いし、顔もいい。殺すには惜しい」
ここも締まりがいいし、などと囁いて、困惑してる希望の腰をじっくり撫でる。腹の奥からぞくぞくっと這い上がる感覚に背筋を震わせた。
「なあ、お前もそう思うだろ?」
ライが続けて話しかけた相手は、椅子に縛られた男だった。男は憐れになるくらい大袈裟に身体を震わせた。
「マフィアを使ってまで、こいつが欲しかったんだろ? よかったじゃん、最期に願いが叶って。これで心置きなく死ねるよな?」
ライの言葉に、男の震えは大きくなっていく。うぐぅうぐぅ、と呻いて許しを乞うているように聞こえるが、ライに届くとは思えなかった。
「ほら」
ライが希望を抑え込んでいた手を離したことで、希望はようやく顔を上げることを許された。ライを見上げると、笑みを浮かべている。
「最期に夢、見せてやれよ」
暗く冷たい瞳が希望を捕らえていた。
――なんでこんなことに……。
逃げ場のない絶望的な状況に、希望は心が沈んでいくの感じた。冷たく暗く澱んで、何も感じなくなっていく。澱んだ感情が心を覆い尽くすようだった。
――……咥えろ、ってこいつの…アレを?
なんでそうなるの?
許すって言ってるけど、そもそも俺が何したっていうんだよ。
逃げたから?
だから何だよ。逃げるだろ、お前のような悪魔みたいな男に見つかったら。
……本当に逃してくれるのかな。
こいつは死ぬらしいけど。
ちら、と男を見る。縋るような目を向けていることに気づいて、苛立ちを覚えた。
――どの面下げて俺に助け求めてんの? なんでこの状況で勃ってんだよ。ほんと最低。気持ち悪い。
あー、そういえば、こいつが勝手に勘違いしてマフィアにチクったから、酷い目にあったんだった。
死ねばいいよこんな奴。
――……死ねばいい、って思うけど。
「どうした? やり方わかんない?」
そんなわけないよな? とライは冷たく言い放ち、ぐっ、と背中を足蹴にされ、身体が傾いた。
「咥えろよ、娼婦みたいに。慣れてんだろ? それともこのまま犯り殺されたいのか?」
「…っ…」
何故かライの言葉は心に突き刺さり、声が出なかった。
さっきまで男たちから同じように侮辱的な言葉を散々浴びせられていた時には怒鳴り返せていたのに。
――……慣れてなんかねぇよ馬鹿。
ライには、それだけを心の中で呟くことしかできなかった。
――どいつのこいつも、人をなんだと思ってるんだ。
簡単に殺すって言いやがって。
何が『仲良くしよ』? 何が『殺すには惜しい』?
――……馬鹿みたい。
「…ははっ…」
なんだか可笑しくなってきた。
結局、みんな一緒だ。
俺のことなんて、本当はどうでもいい。
俺の気持ちや言葉なんて必要ない。
歌も身体も、楽しめないなら、いらないんだ。
…だからマフィアなんて、大っ嫌い。
「ッ…!」
強引に髪を引っ張られて首が反る。
「…何?」
ライは冷たい目でうっすら笑みを浮かべて、首を傾げている。目はちっとも笑っていない。
――何って何が? 俺が笑ってる理由? ……教えるもんか。
「……地獄に帰れ、悪魔」
怒りと憎しみを込めて告げた希望の言葉にライは、僅かに目を見開いたが、次の瞬間には笑い出した。
――……は?
これまで落ち着いた口調でしか聞いたことのなかったライの笑い声は倉庫中によく響いた。希望は呆気にとられてライを見つめる。
静かな狂気に満ちた男が、何故唐突に大声で笑いだしたのか理解できなかった。
ライの笑い声が響き渡る中、周囲の空気が緊迫し、椅子に拘束された男と、――何故か彼の仲間だと思われるスーツ姿の男達さえも息を飲んでいる。
「あははは…はー」
ひとしきり笑ってようやく落ち着いたのか、ライは息をついて、希望に目を向けた。
目の前に腕が伸びてきて思わず顔を逸らすが、腕を掴まれる。
「ッいた…」
無理矢理立ち上がらされて、痛みに顔を歪めて睨むと、ライは腕は離し、代わりに腰に手を回して希望を支えた。椅子に縛られた男に背を向けて、ゆっくり離れていく。
「そんなに大事? あの男」
「は?」
希望が訝しげにライを見上げると、ライは少し困ったような顔をして笑っていた。
「焼けちゃうなぁ」
「……な、なに言って」
その言葉は、希望が言い終わらない内に銃声にかき消された。「ア゛」という濁った声と床に飛び散る液体と何かの音もほとんど同時に重なる。
振り返ると、椅子の男は頭をがっくりと落としていた。椅子の下には流れ出た血が広がっていく。
その横には金髪の男が硝煙を燻らす拳銃を構えている。それまで奥の暗がりで控え、気配すら消していた男達の内の一人だ。
銃声がそれが合図のように他の男達も動き出した。希望が何が起きたか理解する前に、手慣れた様子で遺体を移動させていく。
「は…え…?」
希望が呆然としていると、顔をぐいっと掴まれた。
「もう見なくていい」
「な、なんで…ンッ…!?」
急に後頭部に手が回ったと思ったら、ぐっと引き寄せられて、唇を奪われていた。
「ンンッ…? んぅ…ふっ、んんっ…!」
厚い舌が捩じ込まれ、口内を犯される。角度を変えて深くまで舌が侵入し吸い上げる。
忘れていた熱が引き摺り出されて、背筋が震えた。
凌辱に予感に希望は身構えたが、それがあっさり離れていってしまう。
しっとりと濡れた唇がぽかんと半開きで、首を傾げている希望を見て、ライが小さく笑った。はっとして、潤んだままの瞳で睨みつける。
「…な、に…ン、アッ…!」
突然、足から力が抜けて、崩れ落ちそうになる。ライの支えがなくては立っていられなかっただろう。
煽られるように心臓が酷く高鳴って、身体が火照っていく。まるで荒波に呑まれていくようだ。
「ああ、鎮静剤が切れたか」
ライが呟いたのが微かに聞き取れたが、低い声に反応してびくんと身体震えて崩れ落ちる。だが、倒れる前に、ライが抱き抱えて支えた。
腰に回された手が不意に腰を撫でるだけでも、「ああ!」と声を上げる。
支えがなければ立っていられないのに、触れられるだけで腰が震えて、全身に駆け巡る。苦しいほどに感じて、声を抑えられない。
「んッ! …あっ、んぅっ…あぁっ、ンッ…?」
「あはは、すげぇ声。だいじょーぶ?」
ライを見上げるが、視界はぐにゃりと歪んで揺れて、何を聞かれたのかもわからない。
ただ、はは、とライが軽く笑う声さえ、鼓膜の震わせて甘く痺れる。
ライが希望の汗ばむ額にキスを落とした。その柔らかな感触に、あ、ん、とまた声を零してしまった。
――こんなのおかしい。
狂ってる。血と暴力の跡が色濃く残る場所で。
まるで愛しい人にするみたいな優しいキスなんかして。
――こんなの間違ってる。
わかっているのに、燻っていた熱は暴れ出して、じゅくじゅくと溢れていく。
いや、いや、と首を振って情欲を振り払おうとするが、ぞくぞくと背筋が震えて逃げられない。衝動に耐えようとしても、心臓が壊れたように暴れ、身体は痙攣するように震える。
視界が歪んで、不安と恐怖で呼吸もままならかった。
混乱する頭では「なんで」「どうして」「苦しい」「怖い」と戸惑いと恐怖が入り混じっているのに、開きっぱなしの唇から零れるのは意味のない嬌声だけだ。
身体がふわっと宙に浮いて、気付けばライの腕の中だった。ライは自分の纏っていた黒いコートを希望に羽織らせ、包み込んでいた。
後ろ手に拘束されていた腕もいつの間にか解放されている。痺れはあったが、ただ無意識に目の前の厚い胸板に縋りついた。
ライが希望を抱き抱え、出口へと向かう。その間も、希望の身体は僅かな振動にさえ反応してしまっていた。
その度に「んぁッ…あッ、ン、」と自分の嬌声が絶え間なく響くが、思考がぐちゃぐちゃになっていて、視界も定まらない。
「…希望」
やたら甘く低い声に、縋るように見上げれば、あの夜と同じ深い緑の瞳とまた出会えた。
「ンッ…ふっ…んぅっ…!」
ゆっくり重なった唇が、深く交わる。苦しいほどに鋭敏になった感覚がライの全てを逃すまいとしているようだった。
熱い。
甘くて苦い。
熱が広がっていく。
キス、気持ちいい。
離れていく唇が名残惜しくて吸い付いたが、それでも離れていくのが切なくって苦しくって、腕を回して、縋りつく。
やだやだ、もっと、して、怖い、いかないで、と泣いてるような自分の声が何故か遠い。
縋りつく希望をライはコートを深く被せて覆い隠した。
「俺だけ見てろ」
低い声が心地良く響いて、甘くて苦い香りと体温の熱さに包まれ、ぐちゃぐちゃになっていた思考が溶けて消えていく。
外界からの刺激が遮断されて、少しだけ息をついた。今の希望の視界にはライしか見えない。
ライの言葉にひたすら頷いて、暗く深い緑の瞳が迫るのを、大人しく受け入れた。
……どうして?
俺のことなんて、本当はどうでも良くて、楽しめないなら、いらないくせに。
なんで
――なんでそんな目で見るの?
最後に残された理性は、考える前に溶けて流れ落ちていった。
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