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「――……?」
希望が目を覚ますと、頭上には天蓋が広がり、そこから漏れる柔らかく幻想的な光が部屋を包み込んでいた。
天蓋から垂れるカーテンは縁に金色の刺繍が施されて、揺れるたびにキラキラと煌めいている。
ゆっくり起き上がって部屋を見渡すと、見たことないような豪華な調度品が惜しげもなく並んでいた。
壁にかかる絵画、シックな家具、そして天蓋付きベッド。
見覚えのあるものは何一つない。
――ここどこ……? 俺、どうしてこんなとこに……?
怖い夢を見た気がして、ここに来るまでのことを思い出そうとしたが、ずきん、と鋭い痛みに阻まれる。
頭には包帯、顔や身体にもガーゼ等の手当を受けている。
認識してしまうと、思い出したように全身の至る所がずきずきと痛んできた。
――怪我……? ……そうか、路地裏で頭を殴られて、それで……
――……それで?
「ああ、起きた?」
声に驚いて顔を上げる。
カーテン越しに響く声は低く落ち着いていた。カーテンを広げて、男が姿を見せる。
緩やかなウェーブがかかった黒髪、緑の瞳。
ぼんやりと見つめて、誰だっけ、と心の隅で考える。こんなにかっこいい人、一度見たら忘れるはずないのに、とじっと見つめる。
「どうした? どこか痛む?」
その間に、男が伸ばした手は躊躇なく希望の頬に触れていた。顔色を伺うように覗き込む。希望が目を見開くと、男は首を傾げた。
まるで何事もなかったかのように気遣いを見せて、話し掛けてくる。
表情や声には希望を労るような柔らかさがある。
しかし、ライが触れたことで、すべての出来事が脳裏を駆け巡った。
この男が、何をしたのか、全て思い出した。
この男が、ライが、自分に、男たちに、何をしたのか。
次の瞬間、希望はライの手を振り払い、ベッドを飛び出していた。
ライは「あ」と声を上げたが、追ってくる様子はない。
希望はそのことに疑問を抱く前に答えを知った。
真っ直ぐに扉に向かったが、何度ドアノブを回しても、ガチャガチャッと音を立てるだけで開くことはなかった。
「…ッ出して! あけて!!」
重厚そうな扉を何度も殴る。拳が痛むが気にかける余裕などない。けれど、頭にずきん、と鋭い痛みが襲った。
眩暈がして、足がもつれ、身体が傾いていく。
床に倒れる衝撃を覚悟したが、逞しい身体に抱きとめられた。
「大丈夫?」
希望の逃亡などなかったように、ライは首を傾げ、希望の肩を抱いて支えている。
「酷いことするよなぁ。結構キツイ薬なのに、何本も打っちゃって。下手すりゃ死んでたよ?」
気の毒そうに呟き、「でも」と希望に微笑んだ。
「正気に戻ってよかった。疲れたろ? ゆっくり休みな。……それとも、」
「…んっ…!」
ぐ、と腰を抱き寄せ、手のひら全体でゆっくり撫でられて、不意の刺激に希望は身体を震わせた。
「薬抜けるまで、〝また〟相手してあげようか?」
「――ッ?!」
耳元で低い声が甘く、楽しげに囁いた。
怒りとは別の熱が込み上げた気がして、咄嗟にライの身体を押し退けた。
「…ッは、離せ!!」
反動でふらりとよろめくが、扉を背にして身体を支え、ライを睨みつける。
「ここから出せ!!」
「急ぐなよ。ゆっくりしていけば? 何か食べる?」
「…ひっ…人殺し‼」
「えー? 助けてやったのに、傷つくなぁ」
ライは困ったように笑う。言葉とは裏腹に、希望の罵倒も態度も、何一つ意に介さないようだった。
無力さに心が折れそうになるが、それでも希望はライを睨む。
「……な、なんであんな、ひどいこと…!」
「酷い? あいつらに自分がされたこと覚えてないの?」
「…ッ…」
「それに、しつこく付き纏わられてたらしいじゃん」
「…は…?」
「相手にしてなかったらしいけど、十分迷惑だっただろ? 金とコネのある馬鹿は厄介だよなぁ」
――…なんで知ってるんだ?
ゾッとするものを感じながらも、恐怖に押し負けたくなくて言葉を探す。
「……で、でも、こ、殺しちゃうなんて…!」
「アハハッ!」
一瞬目を丸くしたライが急に笑い出し、希望はビクッと身体を震わせ小さくなる。
しばらく笑った後、ライは呆れたような笑みを向けた。
「もう死んだ男なのに、まだ庇うのか? 実は満更でもなかった?」
「はあ?! そういうわけじゃ…」
「あーあ、やだなぁ」
希望の言葉を遮って、ライは希望をじっと見つめる。
「……嫉妬で狂いそう」
ぽつりと零れ落ちた呟きに、希望は背筋を凍らせた。
表情が形作っているのは微笑みに近い。だけど、暗くて深い瞳は少しも笑っていなくて、希望は言葉を失った。
「…ああ、でも、俺がやらなくても長くなかったと思うよ」
「……?」
「あの薬、〝上〟から預かってたもんだから。お前が売りやってるって、あの馬鹿に騙されて使っちゃったみたいだけど。……意味わかる?」
「……!」
ハッとして息を飲む。希望が理解したことを察して、ライは続けた。
「マフィア騙すなんてヤバイってことくらいは分かりそうなもんだけど……それでも欲しく欲しくて仕方なかったんだろうなぁ」
「…何が言いたいの?」
含みのある視線と言い方に、希望は眉を寄せてライを睨む。ライはゆったりと目を細めて笑みを深めた。
「…お前が男を破滅させるほど魅力的って話」
「……どういう…」
「俺も」
希望の疑問を遮ってライはゆっくりと近づいてくる。
「俺も欲しいなぁ」
「は、」
ライが目の前のまで近づいても、希望はまだ、足が竦んで動けなかった。
「この金眼に、柔らかい唇、白い肌、頑丈でしなやかな身体」
ライの両手が頬を包み、そっと上を向かせられる。強い力ではないのに、抗うことが出来ず、ライの視線をまともに受け止めるしかない。
目を背けることを許されず、動けない希望の瞳をライが覗き込む。
「欲しいなぁ。……何人殺しても」
暗い瞳は深い穴のように底知れず、思わずぎゅっと目を閉じた。
「…っ…?」
けれど、ライの手は希望からあっさり離れていき、扉を数回叩いた。
扉からガチャン、と音がする。何かの合図だったらしい。
「外、出たいんだっけ? どーぞ」
ライの言葉と共に、重厚な扉がゆっくりと開いていった。完全に開ききってから、はっ、として我に返る。
――……出てもいいの?
ライは扉に寄りかかり、腕を組んでいる。
手出しするつもりはないということだろうか。
希望は少しの間悩んだが、彼の前を横切る形で恐る恐る外に出た。
廊下には、光沢のある赤絨毯が真っ直ぐ広がっていた。
壁側には天使の彫刻、女神の銅像、英雄の絵画等の美術品が並ぶが、鋭い眼差しのスーツ姿の男達も並んでいる。
異様な光景だった。
視線は感じるが、希望が廊下を進んでも、彼らはピクリとも動かない。
廊下の突き当たりの角を曲がった先に階段が見える。下に行けばいいのか上に行けばいいのかもわからないが、とにかくこの場から離れたかった。
最後に、ちら、と少しだけ振り返る。
ライは部屋から出ていて、希望が振り向いたことに気づくと、笑った。
楽しそうに軽く手を振って見送る姿にぞっとして、希望は走り出した。
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