第一章 出会い

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「こんばんは」 「ああ! 希望!」    希望に気付くと、彼女たちはすぐに集まってきた。  希望はいつものように娼館の裏口から、娼婦たちの待機してる広間へ案内された。高級娼婦になるまでは外に出れない彼女たちを歌で慰めるのが希望の仕事の一つだった。   「やっと来てくれたのね、嬉しいわ」 「会いたかった」 「ねぇ、こっちにおいでよ」 「こっちが先よ」 「ちょっと、私が先だってば!」    気だるげだった娼婦たちが我先にと集まり、希望の手を撫で、腕を絡ませる。細くて柔らかくて良い香りがする。夜の花たちは妖艶な姿を一変させて、少女のように明るくはしゃいでいた。    ――……夜は怖いけど、喜んでくれて嬉しい。頑張って来てよかった。    酔っ払いに絡まれ、若い男の誘いを断った後も大変だった。声をかけられるならまだしも、強引に連れ去ろうとする男や宿へ連れ込もうとする女もいて、ここにたどり着くのも一苦労だ。  それでも外に出たのは、こうして自分の歌を待っている人がいるからだ。    彼女たちは優しく、無理矢理触ってはこない。おいしいものも食べさせてくれる。  希望が仕事で通っていたいくつかの娼館やバーでは、喧嘩や乱闘が起きて、酷い時はそれが原因で潰れてしまうこともあった。何があったのか不思議だが、きっとそれもマフィアのせいなんだろう。  ここはそうならないでほしいと思う。    ――……でも、もうここにも、何回来れるかわからないな……。    どんよりと気持ちが重くなって、希望は小さくため息をついた。   「元気ないじゃない?」    心配そうに覗き込む娼婦たちに気付いて、ハッとして笑顔を作る。   「ううん! 元気だよ! 考え事してただけ」 「そう? 大丈夫? ぜんぶ忘れるくらいイイコトしてあげようか?」    ふわあ、えっちだ!    ふふ、とからかうような微笑みを浮かべる娼婦に、重く沈んだ心がときめいた。   「……ちょっと、抜け駆けしてんじゃないわよ」 「えー? やだぁ、こわーい」 「はあ?」 「?」    希望が首を傾げていると、希望の左右を陣取っていた娼婦二人は、他の人たちに連れられて向こうに行ってしまった。   「ねえ希望ちゃん、●●にはまだ行ってるの?」    若い娼婦二人の代わりに希望の隣に座ったのはここで皆をまとめてる世話役の娼婦だ。  彼女の口から出た名前を聞いて、ひやりととする。    ●●は街の反対側にある娼館だ。何度か呼ばれて歌いにいったけど、とある事件が起きてからは行っていない。    ――1か月前、娼婦と客、合わせて数人が殺される事件があった。  犯人は今も捕まっていない。マフィア絡みじゃないかという話もあったが、詳しくは聞いてない。というより、皆あまり話したがらない。   「……ううん、行ってない」 「そう良かった。……実は、生き残った目撃者がおかしなことを言ってるらしいの」    娼婦はひっそりと声を潜めて続けた。   「犯人は女みたいに細くて、肌も青白くて、まるで幽霊みたいだったんだって」 「え? お、女の人だったの?」 「実際はわからないけど、そう見えたみたい。だから門番も入れちゃったんだけど…そしたらいきなり心臓をナイフで一突き!」 「ひっ!」 「信じられる? 娼婦だけならまだしも、門番の男も用心棒の男もみんな滅多刺しで誰も止められずに殺されたのよ? だから、その犯人の女は悪魔にでも取りつかれてたんじゃないかって話」 「ひ、ひぇ……!」    希望は胸の十字架を握り締めて震えているが、娼婦は少し楽し気に声を弾ませた。   「でもね? 私その話聞いて思ったんだけど、その女って、もしかして……」 「何の騒ぎ?」    霞みの向こうから聞こえてくるようなか細い声だった。静かな声なのに、誰もがハッとして息を飲んだ。  希望が振り向くと、奥の階段から静かに降りてくる女性が見えた。  彼女はこの娼館一の娼婦だ。街一番の娼館と謳われるここで、一際美しく、人間離れした妖艶な色香を放っている。  人形のような無表情だったが、希望を見つけて、ふわ、っと微笑む姿は美の精霊と言っても過言ではないだろう。   「ああっ…希望…! 会いたかったわ……!」    彼女が希望のもとに舞い降り、柔らかく包み込むように抱きしめる。  女神のような微笑みを希望に向けていたが、視線だけは希望の隣にいた娼婦へと流した。   「希望が来てるなら教えてくれればいいのに……意地悪ね……?」 「ご、ごめんなさい! お姉様お休みになってらっしゃると思って……」 「そう……ならいいわ……」    彼女の視線が希望に戻っても、娼婦たちは身を固くして怯えているように見えた。  首を傾げていた希望に、娼婦は腕を絡ませ、柔らかく微笑む。   「さあ希望、また歌を聞かせて?」 「あ、はぁい!」    希望が先に階段を上っていくと、後ろで娼婦が「あまり希望を怖がらせちゃだめよ……?」  と、そう囁いたのだけ聞こえた。    ***    高級娼婦にだけ与えられる自室には客からの贈り物が整然と並んでいる。宝石や貴金属は贈った客が来た時に身に着けて、それ以外は部屋の奥で眠っているらしい。  希望がキョロキョロと眺めていると、彼女はふふっと妖艶に頬笑んだ。   「欲しい?」 「え?! い、いえ! 大丈夫です!」 「欲しいなら好きなのあげるわ、何でも」 「あ、ありがとうございます……」    彼女はいつもそう言って、洋服を買ってくれたりご飯と食べさせてくれたりする。娼館での歌の仕事を紹介してくれたのも彼女だった。    ――宝石は綺麗だと思うけど、俺は見てるのが好きだ。この人が身に着けたらもっと綺麗に違いない。もったいないなー。飾ってるだけなんて。  ……あっ! でも俺があげた髪飾りはつけてくれてる! さすがプロだ! あれ? でも、俺が来るの知らなかったんじゃなかったっけ?   「ところで」 「はい!?」    希望がびっくりして飛び上がると、彼女は綺麗な微笑みを浮かべて、ふんわりと隣に座った。ぴったりと寄り添う身体の細さにドキッとしてしまう。他の娼婦のお姉さんと違って、この人はあまりくっついたりしないから、珍しい。   「あの子たちと何を話していたの?」 「え? えーっと……?」    希望は先程の娼館の話を聞いたことを話した。ただの殺人事件ではないこと。悪魔か悪魔に取りつかれた女が犯人なんじゃないか、という噂があること。    ……話していて怖くなってきた。    お姉さんは大丈夫だろうか、と顔を上げたが、微笑みを浮かべたままだった。   「それだけ?」 「…? はい」 「そう」 「……?」    同業に起きた悲劇に関する噂話に、彼女はあまり驚いた様子はなかった。希望が不思議そうに見つめていると、それに気付いてにっこりとまた微笑みを向ける。   「危ないから近づいちゃだめよ?」 「う、うん…」    ――……お姉さんは怖くないのかな? さすがこのあたりで一番の高級娼婦だ。きっと今までいろんな修羅場を乗り越えてきたに違いない。俺は怖いからまだしばらくは近づかないようにしたい。  …でも、心配だなぁ。  確かに怖いけど、店はやってるらしいし、きっとみんなも不安に違いない。  今度会いに行ってみようかなぁ……?   「そういえば」    希望の思考を遮る声にはっとして、顔を上げる。   「次はいつ来てくれるの?」 「え? えーっと、明日はセントルド通りのエリーナさんに呼ばれてて、次はミランダさんのお店とエルジュさんのバー、次が……」    と指を折りながら数えていたが、ふと気づいて隣を見る。微笑んでいたはずの美女が、ぎりぎりと爪を噛んでいた。驚いて見つめるが、彼女がそれに気付いた様子はない。   「ああ……、みんなして邪魔して…私が先に見つけたのに…ドブネズミどもが…」    何のことかわからないが、ぶつぶつと何かを呟いている。何処かを睨み付けて、丹念に手入れされたであろう爪を歪な形に変えている。  希望は思わずその手を奪い取るように、ぎゅっと握った。   「明日また来るよ!」 「……」    虚空を睨み付けていた女は、手に視線を向け、それから希望と目を合わせた。  希望の両手を包み込んで、ぎゅっと握り返すと、ようやく落ち着いたようだった。いつものように、静かに微笑みを浮かべる。   「希望の歌を聞くとよく眠れるの。絶対よ。おねがいね……?」 「う、うん」    ***
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