盆休明け

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盆休明け

盆明け初日の会社での昼休み、職場のデスクには各々の帰省先から持ち込まれた菓子が雑然と置かれていた。 ランチの時間、食事を済ませてから、いつものように皆でお茶を飲みながらくつろぐ。 「ほら、私の母方の実家は東京の下町でしょ? 墓参りの後、皆でファミレスに入ったんですけどガラガラで、一体どうしちゃったの?って感じだった」 と志田が先陣を切って話すと、志田以外の、いわゆる「故郷」に帰った者達も、地元での逸話を披露した。 退社後、リバティに向かう。 リバティに限らず、英会話教師として来日した外国人達が(こぞ)って訪れる聖地と言えば、渋谷を置いて他はない。 講師歴1年のフレディも大の渋谷好きだが、独自のネットワークを使い、それ以外の場所にも積極的に出かけていた。 グローバリゼーションの到来と一口に言っても、場合によってはトランジットなどもあり、やっとの思いで来日した講師と、生徒達は言わば不思議な縁で引き合わされている。 それならば、彼らに少しでも、手ごたえを感じてもらえるよう、頑張れれば良いのだが、今もってそれが出来ていない。 - 結局、習うより慣れろなんだ - 美里は、その日も不完全燃焼の思いに身を包まれ、教室を後にした。 自宅マンションに戻り、部屋に入ると同時にベルが鳴る。 「はーい」 ドアを開けると、何かが詰まった紙袋を手にした京子がおり 「北海道の親戚から届いた野菜です。食べきれないので、良かったらどうぞ」 と言って、美里に紙袋を差し出した。 「えぇっ、こんなにいっぱい頂いていいの?」 「いいんです。家にまだたくさん残ってるし」 「有り難う、ちょうど野菜不足が気になってた所だったの。 そうだ、京子ちゃん、今度の日曜日、一緒にランチしない?」 「多分、予定はなかったはず、行きます」 日曜日のファミレスでランチという無謀な計画も、時間を少し早めれば何とでもなる。 京子と健斗(けんと)はミックスグリルランチを頼み、美里はボンゴレをチョイスした。 健斗は、食べ終わったあと、見たい番組があると言い、一足先に部屋に帰る。 「どう、司法試験の勉強の方は?はかどってるんでしょうね」 「それが、覚えた先から抜けてっちゃって。 焦る気持ちだけが空回りみたいな」 「法律の専門学校とかに通った方がいいのかな?」 「そうですね。ただ闇雲にやっていっても、範囲が広すぎて結局、何もできないで終わってしまいますから。 それと、今のバイト先での出来事なんですけど…」 京子が(おもむろ)に、職場の勘違い男について話し出す。それは、同僚男性のボタンがとれかかっているのを目にした彼女が、単なる親切心から「直しましょうか?」と申し出た所、彼がいたく感激して、後日食事に誘われたと言うものだった。 「お食事は、せっかくの機会なので出向いたんです。 ただ、そこでバラの花束を渡されて、挟まっていたカードには愛していますって書かれてて…」 「えぇっ、それは引くよね」 「ドン引きですよ」 「例えばの話、そうした服の繕い物を、全く気にも留めない誰かに頼まれた時、どうやって断る?」 「ごめんなさい。私、家庭科1で、雑巾とかも母に縫ってもらってたんです、とか。美里さんは?」 「一回目はタダだけど、次回からは代金頂きますから!」 「えぇー、すごっ。だけどそれは確実にインパクト大ですね」 こうした取るに足らない話で大笑いするのは精神衛生上良い。 しかし、店内が混んで来た事もあり、二人はあたふたと店を出た。 白人が多いリバティの講師の中で、ダニエルは褐色の肌と涼しげな目元でひときわ、目を引く米国人講師だった。 その上、他の講師には見られない親しみやすさがあり、レッスンの前に必ず二言、三言、場がなごむエピソードを盛り込んでくれた。 美里は、授業を通して、彼が筆記を苦手としている事にいち早く気づいたものの、見て見ぬふりで、そのまま受け続けていた。 そんな中、誰の目にも留まらぬよう、ダニエルに代わって正しい表記をし、彼のフォローに回る生徒がいた。 それは沖田さんと言う草食系男子で、ダニエルのミスをささっと直し、自身の手柄にする事もなかった。 - こんなさりげない気遣いの出来る人がまだいたなんて!- 正に目から鱗だった。 沖田さんは同じエレベーターに乗り合わせる時も、ホテルマンのように身を使ってドアを制し「さぁ、どうぞ」と先を譲ってくれる。 -世の中がすべて沖田さんのクローンで埋め尽くされたなら、紛争とか戦争も、皆、過去の遺物になるのに- そんな心の叫びが聞こえるわけもなく、今日も彼は、ダニエルの黒子としての役目を全うしていた。 アイルランド出身のミッシェルは、スクールの講師としてのデビュー当日、借りてきた猫のような佇まいで受付横のソファにちょこんと座っていた。 しかし、今は日本人のガールフレンドも出来、向かう所敵なしと言う(もっぱ)らの噂だ。 そう、昔から、郷に入っては郷に従えと言う。 よって、異国文化になじもうとするならば、現地の人とどんどん接して、その国の言葉を話し、溶け込む、これに尽きると言う事なのだろう。 退社後、部屋に帰り、食事、入浴を終え、後は琥珀色の液体で頭を少々痺れさせるだけ…となった時、ふとゲージの中のインコに目をやる。 連日の猛暑に悲鳴を上げるわけでもなく、そのか細い足先で止まり木を掴み、身を立てている。 - ルミちゃん、ごめんね。人間のエゴでこんなケージの中に閉じ込めて - そして、ルミの本当の飼い主に「早くこの子を迎えにきてくれ」と、心の中で呼びかけた。 早朝、駅に集合をかけられても、これからの旅を思えば何でもない。 オフィス家具メーカー「T&M」の総勢30名の社員は、6時発の北陸新幹線 「かがやき」に乗車し、個々、グループで固まっておしゃべりに興じたり、スマホでゲームをしたり等、思い思いの行動をとっていた。 82分程で長野駅に着くと、そこからはバスで扇沢を目指す。 バスが、ダムの駐車場に着くと、他の観光バスなども無数に駐車しており、これからの一大スペクタクルに否が応でも期待が高まる。 標高1470mと言う地点で、バスから降ろされた一行は、すぐにジャケットを着用し身体が冷えないようにする。 「すごい、こんなに大きいんだ」 「ほんと、この壮大なスケール、言葉を失っちゃうね」 その言葉に噓はなく、この巨大なダムを造る上で、一体どれだけの人が命を落とし、あるいは負傷したのか? それらを想像するだけで、胸が重苦しくなり、その人たちの無念の思いが辺り一面に漂っているような気がした。 関西方面における電力不足を何とか解消したいと、関西電力の太田垣社長が1956年に着工した黒部渓谷に位置する黒部ダム。 大正時代から何度か、この地でのダム建設計画は上がっていたものの、その都度、自然の脅威(きょうい)の壁が立ちふさがり工事を断念するに至っていた。 7年の歳月をかけてやっとの思いで完成した黒部ダムを、寝食忘れて工事に従事した人々が見られず、今どきの若者がさも退屈と言った面持ちで見ている。 美里自身、工事従事者が想像を絶するような極寒の中、どのような思いで切削工事を推し進めていったのかを考えると、自分達がスイッチ一つで当たり前に電気が点く生活を享受(きょうじゅ)している事に少なからず、申し訳なさを感じる。 二時間余りをダムで過ごした後は、バスで大町市にある宿泊先のホテルへと向かう。 部屋に荷物を入れると夕食までは個人で過ごすように言われたので、美里は志田を誘って、大町市街を回ってみる事にする。 ホテルのフロントで待ち合わせると(じき)に彼女も現れ 「美里さん、さっきネットで見たんですけど、市内から五分位で行ける博物館があるらしいんです。もし良かったら行ってみませんか?」 と言う。無論、美里にも異存はなく、二人は、ホテルの正面玄関に横付けされたタクシーで大町山岳博物館に向かった。 博物館内は登山愛好家でなくても、十分に興味をそそられるような展示物で埋め尽くされ、山岳信仰の歴史などについて触れているコーナーもあった。 三階からは北アルプス連峰の神々しい景色を堪能する事が出来、老若男女問わず、山に魅せられる人が多い理由が自ずとわかるような気がした。 「よかったね。見る所満載で。北アルプスの東の玄関口としては、こうした山について紐解く博物館が必要でしょうし」 「ホントに。山に生息する動物達の事も詳しく紹介されていて、勉強になりますね。やまガール、めざしちゃおうかな!」 「うーん。あなたには、都会のネオンの方がしっくりくると思うけどね」 ホテルに戻ると、やがて夕食の時間となり、会場となっている宴会場に出かける。美里も同じ所属の三人とテーブルに着き、四人は交代で、ビュッフェ形式の食事を取りに、中央の料理が並べられた長テーブルへと向かった。 「川辺さんのその真ん中のお肉何ですか?」と、後輩の瀬川が言う。 「ホロホロ鳥のグリルって書いてあった。珍しいなと思ってつい手が伸びちゃった」 「美味しそう。私も次、それ行こうっと!」 それを聞いた美里は、今、お皿に載った料理を平らげたら、お腹いっぱいになり、その時点でもう何も入らないのでは?と案じる。 「バイキング料理って女子にとっては危険極まりないですよね。 お料理はバラエティーに富んでるし、デザートも皆、美味しそうで、どれにしようか迷った挙句、結局、お皿にてんこ盛り、みたいな」と新入社員の佐藤が言うと ベテランの倉田が 「そうは言っても、あなたみたいな若い人が率先して、お料理を取ってきて食べなきゃ。これだけあるんだもの。 余っちゃったら、勿体ないじゃない?」と、促す。 大量に作って、余ったら廃棄という世間の常識もいい加減考え直す時期に来ているのではないか?という意見も出たが、結局、コーヒーと、スイーツの段階に入れば - それはそれ、これはこれ -となり、互いのケーキを味見し合って、女子ならではの醍醐味に浸った。 美里は同室の倉田と大浴場で入浴後、最初の計画通り、部屋で女子だけの飲み会を始める。 メンバーは食事を共にした瀬川、佐藤、倉田で、そこに営業の志田も加わった。 倉田が持参した鏡月で、社員しか通じない噂話の応酬がしばらく続くが、途中、佐藤が推しの男子アナウンサーについての話を振り、皆もそれに便乗する。 「NHKのアナウンサーってわりと画面いっぱいに映るせいか、インパクト大なんだよね」と言う倉田に、誰かが、ちなみにそれは誰なのかを問う。 「佐藤龍文(りゅうぶん)さん。かっこ良くてね。クールで」 「クールはNHKのお家芸かと」 「とにかく、当時、そのびくともしない佇まいにちょっと人間離れしているようにも見えた」 「私はTBSの山本匠晃(たかあき)さん、性格の良さが滲み出ているというか」 「うーん。そりゃ、すてきだけどね。TBSなら、国山ハセンでしょ。 どう考えても」 「フジの榎並(えなみ)大二郎もいいわよ。 熱血体育教師みたいでね」 「テレ東の豊島(とよしま)晋作はとにかく知的で、何か、無性に叱られたくなってくるの」 「倉田さんのタイプ何となく、わかりました」 「ハハ、ばれた?」 鏡月の力による作用なのか、忌憚(きたん)のない意見が飛び交う。 2時間が経過した頃、美里は 「そろそろ、お開きにしようか?」と言い、ー皆も言いたい事は全て言ったーと言うような清々しさを(たた)えて、それぞれの部屋へ戻って行った。 翌朝は、朝食を取ってから、バスで善光寺に出向く。 江戸時代以前、統治(とうち)が難しいとされてきた信濃地方ではあったが、およそ1400年前、一光三尊阿弥陀如来が善光寺に安置されると、その地域の飢饉や苛税(かぜい)に苦しむ人々が、救いを求めて大勢訪れた。 善光寺参りが終わると、一行は長野駅に向かい、東京へともどる帰路についた。 京浜東北線で、東京駅から品川に向かい、部屋のドアを開けると、いつになく空気が(よど)んでいるような気がし、美里は、真っ先に窓を開けに中に入った。 ふと鳥かごに目をやると、ケージの隅に体を横たえたルミを見つける。 あわてて、ケージの扉を開け、手のひらに載せると、ルミは既に冷たくなっていた。 「あぁ、なんて事」 死後硬直も見られ、もう、息を吹き返す事もないだろうと踏む。 こうした場合どうするのかを検索し、それに(のっと)って処置を進めていく。 せめて、飼い主の下で、最期を迎えさせてやりたかった…とも考えたが、薫自身が面倒を見れなかった事を考慮すると ーこれで良かったのだー と言う気もし、早めに、ルミが召された事を知らせなくてはと、携帯を手に取った。
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