出会い

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出会い

10月に入るとにわかにオフィス家具業界は忙しさに追われるようになる。というのも、事業所の多くが12月の下旬にかけてオフィスの移転、改装などを行う為、会社としてはそれらの見積もりを出し、図面起こしに着手したり、クライアントの打ち合わせに時間を割かなくてはならないからだ。 昼食中、後輩の志田が 「去年は私のミスで会社にも代理店にも迷惑をかけてしまって。 今年はいつも以上に気を引き締めていかなきゃ」 といつになく弱気な面を見せる。 誰かが「いっそAIだけで、会社を回していけば、ミスなんて一つもなくなるんでしょうけど。そうなった時、人間達は何をして過ごしていればいいんでしょうね?」と問いかけた。そうした途端、皆一斉に用無しになって自宅待機を命じられた時のような気分になり、どこか遠い所を見る目つきになった。 「そうだ、その後、英会話の方、どうですか?」 「相変わらずの停滞状態。でも、お友達もいるしね。励まし合って何とか続けているようなもん」 「私も追って入学するから、在籍しててくださいね」 「オッケー」 10月最後の週、美里は英会話スクール「リバティ」で類まれな講師に遭遇した。 彼は、当校の講師と言う訳ではなく、他の講師の穴を埋める為の代行講師だった。 見た目の「ごつさ」とは裏腹の甘い声で 「私はここの専属ではありませんが、一時期、こちらで教える事になりました」と話した彼は、リチャードと名乗り、東洋系の風貌をしていた。 しかし、いざ、授業が始まるとリチャードはそれまで隠していた本性をさらけ出すかのように弾けた。 彼には、凡そ、自分をカッコよく見せたいという見栄はなく、逆に自らを(おとしめ)めるかのような言動を次から次へと繰り出し続けた。 例えるなら、夜祭りで、天下一品の口上と共にまがい物を売りつけているような人物、それがリチャードだった。 アメフトでもやっていたような肩をスーツの下にかくし、机の下で長い足を持て余しながら、彼は、他の講師とは一線を画した授業を始める。 例えば、テキストに出てくる設問に答えられずにいる生徒には、容赦なく侮蔑の表情を向け、けっして助け舟など出さない。 普段は英国紳士風のお行儀の良い講師のやり方に慣れ親しんでいる生徒達は、そのギャップに翻弄されながらも 「これ位厳しい指導の方が身につくかも?」 と、心なしか皆、彼を受け入れているようだった。 授業が終わり、リチャードが退出すると、柴崎澄香が 「はーっ、疲れた。なんで、あんなにテンション高いわけ?」 美里は「そうだよねー」と言いながらも、すでに彼に心の端っこをギュッと掴まれたような感覚を覚えていた事もあり、次の授業に向けてすでに気持ちが先走っていた。 リチャードの二回目のレッスンもご多分にもれず、アクセル全開のもので、生徒は皆、必死の思いで彼に食らいついていく。 終了後、柴崎澄香が 「今日もあの先生、突っ走ってたね」 と振り回された子犬のように言い、すかさず美里は 「澄香さんは、リチャード、苦手?」と聞いてみた。 「うーん。私はどちらかと言えば、マークの方が落ち着いていて良かったかな」 現在、スクールにはいないマークは、コロンの使い方が実に秀逸な講師だった。 正直、コロンはつけすぎたら最後、途端に生徒からクレームが出るというリスクが伴うアイテムである。 しかしマークに限っては、横を通り過ぎた時にふわっと香り立つような、ごく自然な感じで、違和感を唱える者もいなかった。 レッスン後、柴崎らと別れ、マンションに着くと、ちょうどエレベーターを待っていた京子と一緒になる。 京子は「どうも」と言い会釈すると 「美里さん。良かったら、家にきて押し寿司食べませんか?健斗は校外学習に出かけていていませんし」 「行く、行く」 好意に甘え、数分後、京子の部屋を訪ねる。 すでにダイニングテーブル上に載っている、 押し寿司は、まだ手つかずで残っており、その造形美を崩してしまうのがもったいないような気がした。 「どうぞ、ご遠慮なく。今、お茶入れますね」 その言葉に押されるようにして、長方形の塊を口に入れる。 薄い魚の切り身とシャリのバランスが絶妙で、圧を加えられている酢飯も凝り固まった感じがしない。 中途半端に残してはかえって失礼かと考えた美里は、あっという間に完食し、京子の試験勉強の邪魔をしては悪いと思い、早々に引き揚げた。 その日、リチャードのクラスはキャンセルが続出し、結局、生徒は美里ひとりという異例の事態となった。 何事にも動じない都会的な女を演じてみようと試みた美里ではあったが、瞬く間にその目論見は崩れ落ち、リチャードの設問に答えられない状況に陥ってしまう。 蛇に睨まれた蛙とは、正にこういう事を指すのだなと思いながらも、刻一刻と居たたまれない時間が過ぎていく。 それにしても、彼は、なぜ、他の講師のようにヒントを出してくれないのだろう? 思うに彼は、日系三世としてアメリカで生まれその成長過程において、人知れぬ苦労があったのではないだろうか?例えばエレメンタルスクール時代、皆と同じように列についていても 「イエローは一番後ろにいきな」と腕をつかまれて引きずり出されたり、自身のロッカーには誰かの飲みかけの紙コップが突っ込まれていたりし、少しずつ疎外感でがんじがらめになっていったのではないだろうか? そういう言われなき差別を受けてきた人々は、互いに結束し、励まし合って生きていくしかない。 そしてそのような状況下で生きることを余儀なくされた人々は、ちょっとやそっとでは弱音を吐かない。 だから彼は、概ね日本人が設問に答えられないのにへらへらしているのが許せないのだ。「もっとプライドを持て」という事なのかも? それに加え、自分をまるでキャバレーの呼び込みのように見せるのも 、育ちの良いボンボンでは、他人からなめられてしまう為、あえて予防線を張っているのかもしれない。 終了を告げるチャイムが鳴るとリチャードは「これだけできない奴もめずらしい」とした視線で美里を見、お情けで「シーユー」と言って出ていった。 美里はガックリ肩を落とすも、ふと机の端に、彼のボールペンを見つける。 考えるより先に教室を走り出た美里は、講師達が休憩をとる部屋に入ろうとしているリチャードの背に向かって声をかけた。 「あの、これ忘れ物…」 と差し出す美里に、怪訝そうな顔を向けたリチャードではあったが、結局 「ありがとう」と言ってペンを受け取る。 美里は、一瞬、戸惑い、それでも思い切って 「May I have your phonenumber?」 と言う。 リチャードは特に深く考える事もせず、軽いノリで、自身の名刺の裏に番号を書き入れ美里に渡した。 「すごいじゃないですか!私には絶対無理だな」 「まぁ、一つの火事場のバカぢからみたいな… 三十路女の図々しさというか…ね」 京子に事の顛末を話した美里は、今後どう進むべきかについて彼女の意見を聞く。 「やっぱり、のんびり構えてるのって良くないから、直ぐに連絡取った方がいいですよ。鉄は熱いうちに打て、と言いますし」 「じゃ、早速かけてみようか?」 「わーい」 京子の部屋のリビングで携帯を手にした美里は、既に登録済みのナンバーを押す。 「あっ、何か、メッセージを残せって音声が流れてる」 「美里さん、残して!」 「う、うん」 美里は、ありったけの記憶を総動員して、アポイントを取り付けると、電話を切り、心配そうな表情の京子を見た。 「ねぇ、あたし、ストーカーになりかけてない?」 「大丈夫、彼にとって、こういう事は日常茶飯事だと思う」 「そうだよね」 美里は、数日後の約束の日、予め予約していたスペイン料理店で、憧れの人と向かい合わせでデートを楽しんでいた。 会話は、彼が日系三世と言う事もあり、日本語と英語の両方が入り混じった形で進められた。 ピンチョスから入り、王道のパエリア、アヒージョなどを堪能していった時点では最高のひとときと言えた。 その後、食後のコーヒーが出て、リチャードから 「で、レッスンはどうする?」と聞かれるまでは… 「えっ?」 「君は僕の個人レッスンを希望しているんだよね? 他の生徒さんだと、1時間、3000円なんだ。どう?」 「あぁ、うん。少し時間もらえる?決まり次第連絡するから」 会計はリチャード持ちだった。 品川駅で別れると、美里は、漸く、自身の勘違いに気づいた。 彼は、英会話スクール以外の場で個人レッスンを受け付けており、美里も、その申し込みをした一人と、思われていただけだった。 美里は早とちりを恥じながらも「まっ、人生、こんなもんだよね」と割り切り、早速、事の成り行きを京子に報告せねばと、携帯を取り出した。
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