クリスマスシーズン

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クリスマスシーズン

12月ともなると、朝晩の冷え込みもきついものとなり、美里は、ふと大好物のグラタンを作ってみたい衝動に駆られる。 小学生の頃、祝いの席で出された伊勢海老のテルミドールの味に感動し、母に 「あれを作って」とリクエストしたまでは良かったが、実際、出されたものはチキングラタンだった。 そして幼かったと言う事もあり 「これじゃない!」と抗議することもなく、パクパク食べた。 ホワイトソースから手作りの母のグラタンは、バターの味が効いていて一度食べると、身体が芯から温まるだけでなく、心も満たされるような代物だった。 ホワイトソースは、小麦粉を弱火で炒めて、さらにそれに牛乳を少しずつ継ぎ足していくという、実に難易度が高い調理方法にて作製される。 美里は、何とかホワイトソースを作り終えると、コンソメ顆粒などで味を調え、炒めた具材を混入した。それから100均で調達したアルミホイルのグラタン皿にグラタンを盛り、京子の部屋に向かった。 「ごめんね、突然。グラタン作ったから、良かったら食べて」 「うわぁ、すごい。グラタン手作りしようにも、私にはハードル高くて。 ぱぱっと作れる人、尊敬します」 「この寒さでしょ。温かいもので一瞬でも身体を温めたいと思って。オーブンで加熱する時は焦げない様にホイルを上に被せてね」 「わかりました」 部屋に戻るとテレビではひな鳥が親鳥の(くちばし)から餌をついばむ様子が映し出されていた。 人間でも生まれたての新生児が母のおっぱいを飲み、少し大きくなれば離乳食を一さじずつスプーンで口に運んでもらう。 つまり、母親とは命がこと切れない様、見ていてくれる存在なのだ。 母親の手を介して、食事が供給されなければ、子供は自分の命を見限られたと思ってしまうのではないか? 画面の中では、言葉で意思疎通が出来る訳でもないのに、親鳥が懸命にえさを分け与えている。 いつの頃からか、子供は宝物の時代から、再婚相手の腹いせの対象になり(なぶ)り殺される対象になってしまった。 「もう、嫌」 子供が悲惨な目に合うニュースが流れる度、美里はその容疑者を極刑に処したくなる。 だが、信じようという気持ちもある。例え、ひどい目にあわされた子供でも、必ず立ち直って素晴らしい人生を歩んでくれると… クリスマス一色に街が染まる頃、かつての着付け講師の河野から、クリスマスパーティーへの誘いが入る。 「他の皆さんもね、かつて(うち)で習ってた人達なの。だから気兼ねなく参加してもらえれば」 という河野の言葉を信じ、当日、美里は手土産を持って河野宅を訪れた。 「まぁ、レオニダスのチョコレート! うれしい、これ大好きなの。皆さん、もういらしてるわよ。どうぞ入って」 教え子が8人だけ招かれたささやかな会ではあったが、ケータリングと見まがうばかりの料理が並び、河野の人をもてなす気持の度合いがストレートに伝わってくる。 そんな中、教え子の中でも古株に入る有栖川(ありすがわ)が 「こんな素敵なお嬢さん達が、クリスマスを彼氏と過ごさないなんて、私には勿体ないと(うつ)るんだけど。世の男性達の目は節穴なのかしら?」 と言う。美里は、この人わかってないなーと思い 「今は、女性側からもばんばん告白していくのが普通ですけど、素敵な人には当然決まった人がいる。そうなると、告白して断られたらカッコ悪いなという考えが先に立ってしまって…」 と実情をさらす。 「ダメよ。そんなんでは。若いんだからもっとグイグイいかなきゃ」 有栖川は部活を束ねる鬼コーチのように吐き捨てると、偶々目が合った美里に 「そうだ、あなた、私の知り合いで船舶関係の会社に勤めている男性がいるんだけど、会ってみない?なかなか、感じがいい人よ。会ってみてピンと来なかったらパスしちゃえばいいんだから」 と話す。美里も「これも何かの縁」と思い「よろしくお願いします」と言ってバッグから取り出した名刺を有栖川に渡した。 暮れに入ると社内では新年の挨拶回り先のリストアップもさることながら、この時期限定で事業所の移転を考えている会社との打ち合わせにも時間を割かなくてはならず、大晦日ぎりぎりまで、騒然とした光景が見られた。 実質四日間の正月休み、故郷の新潟に帰省した美里は、長年美術教師としてやってきた父の所蔵品の整理に明け暮れた。 父がもう見ることも無い美術関係の書籍と倉庫に入れられたままとなっている絵画の一つ一つを、父の了解を得ながら処分していく。 一日がかりで倉庫をすっきり片づけると、自分の物を処分したわけではないのに、爽快な気分を味わえ、夜は近所に住む姉夫婦の下に行き、歓待を受けた。 「良かった!前に私が片づけようって言った時には、先延ばしにしたくせに、美里が言ったら、ほいほいやっちゃうんだから…」 「心境の変化だよ。その内ボケて何もわからなくなってからでは、いよいよ皆に迷惑をかけてしまうからな」 そう言う父に、周囲も「もっともだ」というような表情で頷いた。 翌日、美里は家族に礼を言い、東京に戻るべく新潟を後にした。 新年早々、有栖川から封書で身上書が届く。 封筒の中の便せんには氏名、年齢、家族構成と共に、業界では大手の商船会社の名が記されていた。 その身上書を受け取ってから二週間後、美里は紹介された男性と、とあるフルーツパーラーで会っていた。 藤田浩二は、最初こそ言葉数が少なかったが、諸外国の事に話が及ぶと途端に饒舌になる。 「インドはね、いい意味でも悪い意味でも強烈。並々ならぬ信仰心を持っている反面、自分の欲望むき出しというか。置いた荷物は20秒で置き引きに合うし。 英国は、大昔、世界中の国々を統治下においてた割には、控えめな性格の人達が多いかな。あっ、これは誰でも知ってるよね」 「えぇ、でも実際、地球の歩き方みたいなガイドブックだけでは決してその国の本質のようなものは見えてきませんものね」 1時間余りが過ぎ、美里がそわそわしだすと、藤田は 「美里さん、初回でこんな事言うのも性急かも知れませんが、一緒にいて、僕はあなたに不思議な縁を感じました。良かったら、次も会ってくださいませんか?」 美里は、初回という言葉づかいに違和感を覚えたが、彼の温厚そのものの性格に 「人生のパートナーにするなら正にこういう人だな」と思い、次に会う約束を取り付けた。 藤田は接待で利用しているのか、和食、フレンチ、中華、懐石料理といった各分野における名店を知っており、デートの度、大枚をはたいて美里にご馳走してくれた。 ドラマチックな展開など何もなかったが、藤田が美里を大切に思っている事には変わりなく、出会いから三か月後、美里は藤田からのプロポーズを受け入れた。 「おめでとう。川辺さん。これ、私達から… 長い間の職務お疲れ様でした」 会社近くのスパニッシュバルで開かれた送別会で、しめっぽくならないよう自らを律していた美里ではあったが、最後に志田千鶴から花束を渡された瞬間、(せき)を切ったように涙があふれ出た。 会社でどんな理不尽な事が降りかかってきても、泣く事は恥としてきた美里が泣いた事で、周囲の何人かもつられて泣き出す。 それを見て美里は「ダメだ、最後位しゃきっとしなきゃ」と、我に返った。 「皆さん、この15年、こんな私にお付き合い頂き、有難うございました。 引っ越し先は吉祥寺なんですが、お近くにお越しの際は是非お寄りください」 視線の先に、何人もの見知った顔があった。 キラキラ輝いている目。 これにどれだけ助けられた事か… -だから、この先も私は、何かで壁にぶつかったら、その都度このキラキラした目を思い出し、自分を奮い立たせて生きていこう- 皆を順に送り出し一人になった美里は、花束を胸に抱え、そう決意した。
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