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新生活
「おめでとう」
故郷の新潟で挙げた結婚式は、両者の親族だけを呼んだ小規模なものだったが、姉が母の遺影を胸に掲げて出席してくれた事もあり、美里にとっては、そこに母がいるような錯覚におちいる、忘れられない式となった。
参列してくれた人々は、皆、美里の幼少期から付き合いがある人達で、式は、最初から最後まで和やかな雰囲気の中、進行していった。
式を終え、晴れて守安姓となった美里は、夫、守安浩二のマンションで新生活を開始した。
守安の実家は不動産業を営んでおり、社長の父親と共に長男が経営に携わっていた。守安の11歳下の妹は、福岡に嫁いでおり、実質、実家にいるのは守安の両親だけだった。
美里は近所住まいという事もあり、何回か守安の実家に足を運んだ。義母は
「孫はもう福岡と東京にいるからね。そんなに真剣に考えなくても大丈夫よ。
こればっかりは、お店で買えるものでもないし」と言ってくれるような気さくな人柄で、義母に対して戦々恐々としていた美里はすぐにその考えを改めた。
吉祥寺という街も、買い物に便利な商店街が充実しているだけでなく、井の頭公園という憩いの場もあり、美里の新生活は快適、且つ和やかに過ぎて行った。
しかし、新生活から一ヶ月後、夫から衝撃の事実が明かされる。
それは休日、守安の両親の下でブランチを取り、マンションに帰ってきた時だった。「ちょっと掛けてくれるかな?」と守安に言われた美里は、そのままリビングのソファに座った。
守安は、苦渋の決断でも下すように
「君も何かしら感じてたかも知れないけど僕、EDなんだ」
と、吐露した。
「えっ、EDって、いわゆるあのED?」
「うん」
守安は、居たたまれないように視線を下に落とし、その事のあらましを語り始めた。
守安はかつて、商船にのっており、乗組員達を束ねる役職についていたのだという。
あくまで商船は商船で、クルーズ目的ではないとしても、規模は大きく、乗組員が食事をとるレストランなどもあったと言う。
他にも売店、スポーツジムなどがあり、船内は長い航海の間、不自由の無いよう工夫が凝らされていた。
ある日、同室の女性が部屋に帰ってこないので心配だと、レストランで働く若い女性が1人、守安の部屋を訪ねてきた。
守安は、夜、遅かった事もあり、女性を部屋に帰らせて、一人で捜索を始める。
1時間ほどかけて、船内を隈なく探した守安は最後に「まさか、ここにはいまい」としたボイラー室に足を踏み入れる。
そこには、高い位置に設えてあるパイプにロープを括り付け、首を吊って絶命した女性の遺体があり、その異様な光景に、守安は身体が金縛りになって動けなくなってしまったのだと言う。
しかし、その後、何とか正気を取り戻し、本部への連絡を取って「事態の収拾にあたった」と言う事だった。
女性は、自室のベッドカバーの下に遺書をしたためており、自殺である事が確定した後は、最寄りの国に寄港し、遺体を埋葬する手続きに入ったと言う。
「恋愛関連で上手くいかなくて…と言う事だったらしいが、まだまだ人生これからなのにどうして死ぬんだよ!と2週間位は引きずってた」
彼女の最期を見ている守安は、それを思い出してしまったかの様に苦々しい表情になる。
「それを機に、全くダメになってしまってね。早く、君に打ち明けなければ…と何度も思いながら、ずるずるとここまできてしまった。済まない」
がっくりと肩を落としたその姿は、普段美里の前で見せる快活な姿とは結びつかないもので、美里としても何と言っていいか分からなくなっていた。
「提案なんだけど、自然に任せるかたちでいいと思う。
二人で人生を楽しく生きていければいい訳でしょ。
going our way ってことで」
最後に美里が英語を盛り入れたことで、何か、すべった感が周囲を支配したが、その時はそれで完結したのだった。
そうして、時は静かに流れ、新天地での暮らしも板についてきた頃、美里は、朝刊に挟まれたチラシの中に、大手外食チェーン店のスタッフ募集の物を見つける。
帰宅した夫に、働きたい事を告げると
「うん、家にいたって退屈するだけだし、いいと思うよ」
と、了解を得たので、早速面接のアポイントをとり、当日、自転車で7,8分の距離のレストランに出向いた。
面接してくれた店長は、ざっと仕事内容を説明したかと思うと
「早速ですが明日の昼から来てもらえますか?」
と言い、美里は、運よく中華レストラン「九龍城」での職を得たのだった。
平日の11時から14時半までの勤務はランチタイムという事もあって、時間の経過を忘れる程の忙しさだった。
提供する料理は全て完成一歩前の状態で、提携センターから届けられる。
例えば”油琳鶏”は揚げるだけで済むように下味がつけられその下に敷くレタスもカットされて届くので、調理時間が短くて済む。
美里は、昔の、オーダーを覚えて厨房に伝えるという古いスタイルから、色々な面で進化したレストランの形式に驚かされるも、数週間の勤務で大体の流れを掴む。
その日も「九龍城」の仕事を終え、帰り支度をしていると、同じホール係の唐沢翔子からお茶に誘われる。
二人で、近場のドトールに入ると、注文したカプチーノに口をつけるより早く
「守安さんって、奥様なんですよね?」
と聞かれる。
「えぇ、夫の給料だけでやっていけない事もないんですが、偶々あの店のスタッフ募集のチラシを目にして、面白そうだな…と思いまして」
「わかります。家にいたってやる事限られてますものね。社会との関わりも持ちたいし」
美里が何かの拍子で英会話を習っていた事を告げると、翔子は、義母が市主催のカルチャーセンターで英会話を習っている最中だと教えてくれた。
「そうだ、守安さんも興味あったら、教室覗いてみてくださいよ。
入会するかしないかは、後から決める事にして…」
「試しに一度、行ってみます。有難う」
夫の守安浩二は商船会社の広報部に所属しており、新聞各社、TVなどを始めとしたメディアへの対応をメインに、プレスリリースの作成と配信、一般向けの広告宣伝活動をやっていた。
それとは別に、その都度生じる案件などにも向き合う為、平日の帰宅は終電ぎりぎりになる事も珍しくなかった。
新婚早々、そうした状況を申し訳なく思っている守安は、週末、美里を連れて色々な場所へと繰り出してくれた。
例えば、箱根にまで足を運んだ場合には、彫刻の森美術館を見てから仙石原のオーベルジュでランチを取り、山梨に行った場合はブドウ狩りの後、その近辺のワイナリー巡りをするといった具合だ。
地方特有という訳でもないのだろうが、行く先々で、自然酵母のパンを作って販売しているブーランジェリーを見つけたりすると、パンに目がない二人はつい多く買い込み、結果、守安の実家に届ける事になる。
守安は、早朝家を出ていく為、6時には朝食を用意しておく必要がある。
一口に朝食と言っても、その家のカラーがあり、バタートーストとハムエッグ、野菜サラダといったようなポピュラー型から、グラノラにミルクをかけただけのお手軽派、夕食のおかずの残りを朝も流用するというちゃっかり派と様々なタイプに分けられる。
一方、一人暮らしの朝食には制約はなく、ホイップクリームてんこ盛りのパンケーキであろうが、油ギトギトのフライドチキンであろうが、咎める人間がいなければ一向に構わない。
以前、美里は、守安に子どもの頃、どんな朝食を取っていたか聞いてみた事があった。
「ほら、うちは母が美容院をやっていたからさ、遅く生まれた妹の世話をしてくれるベビーシッター兼、家政婦さんをお願いしてて。
で、その市田さんって人がとにかく礼儀作法とかにうるさい人だったから、俺と兄貴にとっては有難迷惑だったんだけど、料理のレベルは高くて、何でも作ってくれたな。もちろん、朝食も和だったり、洋だったり毎回手を変え品を変え、飽きさせなかったね」
「へーぇ。聞いてると、何か朝ドラのストーリーみたい」
「妹の舞は、お咎めなしなのに、俺と兄貴はしょっちゅう怒られる。
子供心に不平等じゃねーかと思ったこともあった」
「中学生と言えば、反抗期の真っ只中でしょ。激しいバトルとかはなかった?」
「うん、兄貴なんかはすごくて、うるせぇばばぁ!とか平気で言ってたな。
でも市田さんもそれに怯む事なく、淡々と応対してたね」
妹が手のかかる年齢を過ぎた頃、市田は暇をもらって、守安家を後にしたという事だったが、その時に号泣したのは兄と自分だけで、かなり恥ずかしい記憶として鮮明に残っていると、守安は告げた。
勤務先の中華レストランは曜日によって、多少客層が変わるものの、人気メニューというのは自ずと決まってくる。
ファミレスを訪れる多くの人々は、まず大きな写真入りのメニューを見て、そこで何にしようか決める楽しさを味わう。
4人で来ていれば、メニューを見て悩む時間も長くなり、さらに
「お前、こないだもそれ頼んで、今回も同じやつ?他のにしろよ」と他人のオーダーにケチをつける者も出てくる。
店側も、客から飽きられない様、季節ごとに新メニューを打ち出していかねばならない。
コンピューターシステムで各店舗の提供した料理の集計を出し、何が人気でその反対は何なのかを割り出す。
高めの料金設定でもないのに、オーダーがかからなかった物はメニューから消え、代わりに会議で選出された新しい料理が、お目見えする事になる。
デザートにしても然りで
「ちょっと、先月まであったマンゴープリン、何でメニューから消えちゃったの?えっ、タピオカに変更した?なに、それ」
と、少数派の怒りを買う事も当然、出てくるのだが、時代の流れに沿って行く為にも、斬新な切り替えはどうしても必要となる。
ある日の土曜、珍しく会社からの呼び出しもなかった守安は、テレビの情報番組を見つつ、美里の用意した朝食をとっていた。
「今日、カルチャーセンターに行ってくるね。お昼までには帰ってこられるから」
「あぁ、そうだったね。僕は髪切りに行ってくる」
「じゃぁ、二人共、午後一時くらいには帰ってこられるはずだから、何かお惣菜買って来る。それでお昼にしましょう」
「了解」
市民センターはマンションから吉祥寺駅に向かう途中にあり、市民に文化交流の場を提供する趣旨で、様々な活動を行っている団体などに開放されていた。
美里は、正面玄関から中に入ると、表示板で英会話が行われている部屋を確かめ、半ば転校生のような気持ちで、階段を上がっていった。
部屋に入ると、一人の長身の男性が窓辺に立ち、外を見ていた。
「こんにちは。私、本日伺う事になっております守安美里です」
「こんにちは。ミサトですね。初めまして。パトリックです」
「すみません。だいぶ、早く来てしまいました」
「その内、皆さんもくるでしょう。掛けてお待ちください」
パトリックはメンズ雑誌から飛び出てきたような素敵な男性だったが、白のワイシャツにえんじ色のネクタイというレトロなファッションに身を包んでおり美里は「惜しい」という言葉を心の中でつぶやいた。
唐沢翔子によれば、パトリックはある宗教の宣教師として数年前に来日したのだと言う。
ただ闇雲に布教をしてもおいそれとは受け入れてもらえない。
ならば、英語を教えて親睦を深めつつ布教をしてはどうだろうとしたのが、パトリックなりに打ち出した策のようだった。
暫くすると、背筋が伸び、年齢を感じさせない女性が教室に入って来て
「あなたが守安さんね。嫁から聞いてますよ。あなたはもう既に余所でやってきてらっしゃるから上達も早いと思うわ」
と言い、誰もが避ける一番前の席に行く。
やがて60前後の男性、20代の女性に40代の主婦らしき2人も加わる。
全員が揃ったところで、パトリックが美里を呼ぶ。
「今日から新しいメンバーが加わります。ミサトです。
では、簡単な自己紹介を…どうぞ」
美里が簡単な自己紹介を済ませた途端、60代の男性がすごい勢いで拍手する。
きっと「私はあなたを歓迎します」という意味なのだろうが、その時点でかなり浮いている。
続いて授業に入り、パトリックがボードに例文を書く。
「今日は -何々してくれますか?- という言い方をやります」
「先生、それ、前、やらなかったっけ?」
60代の男性がパトリックに問いかける。
「以前のは同年代に対しての言い方で、今日は、目上の人に対する言い方です」
「あっ、いけねっ。確かに、前のと例文が違う」
「何か気になったらすぐ聞く、いいことですよ、シゲル」
美里は、シゲルの後ろに座っている20代と思われる女性に目をやる。
漆黒のストレートヘアーは、濡れているように艶やかで思わず見とれる。
主婦らしき二人はパトリックの説明に対し、過剰な程に頷いたりし、熱心さのアピールに余念がない。
翔子の義母のレイコは、他の生徒のようにノートを取ったりなどしていない分
授業に集中しているように見えた。
授業が終わると、美里の下にパトリックがやってきて
「どうですか?続けられそうですか?」と聞く。美里は
「はい、宜しくお願いします」と答えたが、既にリバティに比べるとレベルはだいぶ、落ちるという懸念が心の中に芽生えていた。
市民センターを出て、美里は、夫との約束通り、駅ビルの食料品を取り扱っている階に出向き、海鮮丼を二個購入した。
家に帰って、買い物袋から出すと
「うわっ、海鮮丼だ!ちょうど寿司屋の店先で海鮮丼の写真見てさ。
うまそう、食いたいなって思ってたんだよ。ラッキー」
と喜んで、箸を動かしてくれた。
美里も後を追うように箸を入れると、値段の割にネタが良く、酢飯も魚介類と程よくマッチしている。
-こうした手抜きなら、相手に喜んでもらえるし、こちらとしても負い目を感じなくて済む、これからはこの手で行くか!-
美里は中トロの脂が口腔内で、溶けていく感触を味わいながらそっとほくそ笑んだ。
翌日の日曜は、会社で広報課所属の夫が入手したチケットを持って、上野で開催されている北斎展に行く。
改札を出て、広い敷地内に足を踏み入れると、至る所に木々が生い茂り、向かっている最中、自然に森林浴が出来ているような気持ちになる。
美術館の中に入ると、あさイチという事もあり、まだ本格的な混み具合は呈していなかった。
守安は、早速、イヤホンを付けて説明に耳を傾けながら、北斎の絵画に見入っている。
「これがセザンヌが多大な影響を受けたと言う富獄三十六景か、すごいな」
「セザンヌ以外にもエドガー・ドガやクロードモネといった大御所達にも尊敬の目で見られてたみたいね」
「19世紀に、その名が海外で広く知れ渡っていた事自体、驚くべき事実だよな」
続く北斎の「筑間祭図屛風」は163x167cm四方の大作で、米原市の奇祭をモチーフに描かれている。
-女達が付き合った男の数に相当する鍋をかぶる-
という祭りが何を言わんとしているのかは不明だが「現実からの逃避」を目的としているのならば、確かにここまで思い切った格好もあり得る。
「こうして見てると、海外の美術館所蔵のものが結構あるね」
北斎と言う世界にとどろく芸術家の作品が余所の国に渡っているというのも、腑に落ちない点ではあるが、裏を返せば世界に流出しているからこそより多くの人の目に留まるとも言える。
そう考えると、日本に閉じ込めておくよりはいいのか?とも思え、細部にまでこだわった北斎の絵画を堪能した。
美術館を出ると、昼にはまだ早かったが、予てから行きたかった精養軒へ向かう。
この稀代の作家達に愛された洋食店でも、リーズナブルな価格の食堂から、使い込まれたカトラリーがずらりと並ぶ本格的な仏料理店まで、ランク付けがなされており、各レストランに集う客層の違いも浮き彫りとなっていた。
しかし、例え庶民的な食堂であったにしても、ウェイター達のきびきびとした所作には変わりはなく、それ故に流行りすたりとは無縁の一流店としての名を欲しいままにしているのだろう。
美里と守安は、その中で、ミドルクラスのレストランに入り、ランチとしては少々高めの3000円の料理を頼む。
初っ端、埋まっていなかったテーブルはいつのまにか人々でいっぱいになっており、二人は食後のコーヒーを飲み切った後、店を出た。
月曜、バイト先の更衣室で、唐沢翔子と一緒になる。
「義母がね。美里さん来たわよって教えてくれて。
どうでした?続けられそうですか」
「えぇ。先生が日本語をまじえて教えてくれるのですごくラク。
いい所を教えてもらって良かったです」
「また、機会があればお茶しましょう!じゃ、お先に」
八月に入ると、連日の暑さが各地で猛威を振るい、熱中症関連のニュースも目に見えて多くなる。美里は、父親の暑中見舞いも兼ねて、新潟に帰省した。
実家では父と共に姉一家も美里を迎えてくれ、墓参りに出かけた後は、寿司の出前を取って、昔話に花を咲かせた。
姉によると、父は囲碁教室で同年代の友人が出来たらしく、ほぼ、毎日通っているという。
「お父さん、囲碁教室でも強いほうらしくてね、皆に一目置かれる存在みたい。私にはそんなに強いイメージは無いんだけど…」
と言う姉の言葉に、義兄が
「いや、ところがどっこい強いんだな、これが!」と応戦するも、父自身は我関せずといった感じで
「どうなんだ。守安さん、仕事の方は順調なのか?」と美里に話を振る。
「うん。広報課所属だから、定時に帰れると思ってたんだけどね。やはり、船は年がら年中運航している訳だし、何か呼び出しがかかったら直ぐに駆けつけなくてはならなくて」
「そうか。忙しいのは何よりだが、身体だけには十分気を付けてやっていってほしいな」
「ありがとう。浩二さんにも伝えておくね」
結局、実家には二泊し、姉が「これでもか」と持たせてくれた大量の土産物を持って、美里は、東京に戻った。
市民センターの英会話教室も盆休を取った為、二週間ぶりとなったレッスンは、美里を始め、他の生徒にも久々に緊張の場を与えた。
講師のパトリックは夏バテの様子など微塵に見せることなく以前と変わらぬ姿を見せたが、生徒のシゲルさんが心なしか静かなようだ。
彼の所に孫達が、訪ねて来て楽しいひと時を過ごし、やがて帰っていく。
シゲルさんの背中に祭りのあとの静けさがそこはかとなく忍びよっているようだった。
生徒の中で一番若い20代の女性は、パトリックに対して、この二週間どんなに会いたかったか!とする熱い視線を送っている。
-レーザービームみたい-
わかりやすいっていえばわかりやすいけどね。
授業が終わると「どうですか?親睦を深める意味でもそこらでお茶飲んで行くってのは」と、シゲルさんが、皆に向かっていう。
「いいですね。駅前のイタリアントマトにしません?お値段の割には、美味しいコーヒー出しますよ」
と主婦の一人が言い、それに異を唱える者もいなかったので、生徒六人で店に向かった。
店に入ると先に何名かが2階の中央に設置されている楕円形のテーブルを押さえ、1階で注文した商品を受け取った者から席に着いていく。
簡単に名前だけでも名乗りましょうか?とシゲルさんが言い
-まずは自分から-
と言うように自己紹介を始める。
「いつもお世話になってます。栗原茂です。数年前に会社を退職した後は、駐車場経営の方でやりくりしてます。市民センターは、自転車で通えて便利なので、行き始めました。ご存知の通り、出来の悪い生徒ですが、何とか続けていきたいと思ってます」
その後を、栗原の隣に座った美里が、引き継ぐ。
「こんにちは。守安美里です。毎回、何か一つでも習得できたらいいなと思ってやってます。宜しくお願い致します」
「唐沢玲子です。ここでは一番年かさかしらね。年々、衰えていく脳細胞を活性化するのに役立つかどうかはわかりませんが、そうなる事を祈って。よろしく」
「土屋美鈴です。隣の橋本さんとは子供のPTAのつながりで仲良くしてて。
ここも二人で偶然、見つけて…
よろしくお願いします」
「今、土屋さんから紹介に預かりました橋本恵梨香です。よろしく」
最後となった20代の女性はその控えめな雰囲気を崩す事なく
「片桐あゆみです。私、赤毛のアンの物語が大好きで、いつの日かプリンスエドワード島を訪れたいと思っています。宜しくお願いします」
と、その世界観を披露した。自己紹介のあと、暫し、飲食に集中する。
栗原は一口残ったクロックムッシュを平らげると、アイスココアを味わい深げに飲み、少し間隔をあけて静かに話し始めた。
「いや、私もね、リタイアしてから妻に”お父さんが外で時間つぶしてきてくれるからホントに助かる”なんて言われまして。
俺って粗大ゴミみたいな扱いなのか?とがっくり来ましたけど、妻にもいい所がある!と、敢えて思うようにして何とか折り合いつけてます」
その言葉の重みに一同、何も返せずにいると
「色々、ご苦労されたんですね」
と土屋が労い、再び、栗原が
「会社員時代、人事部にいましてね。同年代の社員に、引導を渡すというキツイ役目に、本当にメンタルが崩壊しかけました」
と語った。それを一掃するかのように橋本が
「何だかんだ言っても、健康でさえいれば、それに勝るものはないですよ。
肝臓がんであっけなく死んでしまった義兄がいるのですが、姉から連絡があって、お見舞いに行かなきゃねって言ってる内に…
その時に、確信したんです。いつ死ぬかわかんないなら、毎日、生きてるだけで丸儲けなんだな、と」と真顔で言い、隣の土屋が
「もう、ふざけないでよ!」と、橋本の脇腹をつついた。
この後、皆の健康についての情報が披露されるも、土屋が、輪に加わらない
あゆみに気づき
「あゆみさんは学生さんなの?」
と尋ねた。
「いえ、図書館で司書をしています」
クラスメイトのプロフィールは大体把握出来た美里だったが、パトリックについての情報は何一つ得られず、もやもやした気持ちを抱えたまま、店を後にした。
九月中旬の土曜、パトリックの授業にあゆみの姿はなく、皆の中に一体どうしたんだろう?という声が上がる。
美里は、土屋達とイタリアントマトに寄り、彼女から
「そうだ、守安さん、知ってる?あゆみさんとパトリックの事」
と問われる。
「えっ、何ですか?」
土屋と橋本は互いの顔を見て暗黙の了解を取った後、二人を代表して土屋が、あゆみとパトリックが恋人同士である事を告げた。そして。あゆみの母は、この事を快く思ってないことも付け加える。
「お母さんとしては当然よ。結婚となって、娘がアメリカに渡っちゃったらさぁ。なんか ”とんびに油揚げさらわれた” みたいじゃん」と言う、橋本に
土屋も
「茂さんもね、バスで移動中、パトリックと女性が肩を並べて歩く姿を目撃したらしいんだけど、その時その時で連れている女性の顔が違ってたって言うのよね」と、疑惑の目をあからさまにする。
パトリックはそのルックスの良さが仇となり、どうしてもジゴロの様に見なされてしまうが -女性達と連れ立って歩いていた- というのも「布教活動を行っていただけに過ぎない」とも考えられる。
土屋も橋本も、パトリックに対する憧れを捨て、幼気なあゆみの方に肩入れしているようだった。
漸く秋の気配も感じられるようになった、10月の休日、夫が接待ゴルフで早朝出ていった事もあり、美里は、一人気ままにブランチを取る。
食パンの中央をマグカップでへこませ、そこにカットしたベーコン、チーズを載せて焼いただけの、他人には出せない一皿料理も「自分に対して」ならば全く問題ない。
これにグレープフルーツジュースを付け、すっぴんでほおばると、独身時代に戻れたような気分になり、お金のかからないリフレッシュ法とも言える。
ふと見るとは無しにテレビをつけると、競馬関連の番組が流れ、チャンネルをそのままにしておく。
夫の守安は、大のギャンブル好きという訳ではないが、大学時代、周囲が皆、馬券を買っているのを見て、少しずつ傾倒していった口らしい。
毎年、三千頭の新馬が競走馬としてデビューする事、生産牧場で生まれ将来サラブレッドとしての素質を見込まれた馬は仔馬の時点で育成牧場に移され競走馬としての研鑽を積む事などの知識は、夫から仕入れた。
そして守安は今でも無謀な購入はせず、すっても痛くない範囲で細々とやっているようだった。
競馬に関して明るくないとは言っても、ナリタブライアン、ディープインパクト等の名前位は知っている。裏を返せば、彼らの存在がいかに偉大であるかの証明にもなる。
吉田善哉という競走馬を知り尽くした男が、ある時、ディープインパクト、ハーツクライの父であるサンデーサイレンスをアメリカから連れてくる。
このサンデーサイレンスと言う馬は、数ある名馬の中でも特に苛酷な一生を送った馬とされる。と言うのも見た目の悪さで買い手がつかなかったり、馬運車にて運ばれる最中、運転手が心臓発作を起こし大変な事故に見舞われたりしたからである。
そうした波乱万丈を地で行く馬が、途轍もない力で他の馬を寄せ付けず優勝を重ねていく。
「確かに自分は大変な目に遭った。
だが、それがどうした。そんな事で愚痴をこぼしていたってしかたがない」
そんな圧倒的な強さの馬を、日本に連れて来た吉田善哉という人こそ、本当の意味でギャンブラーだったのだろう。
明くる月曜、美里は、めずらしく定時に仕事を終えた夫と夕食を取る。
魚にしても肉にしても、塊で買ってきて料理してみたいと憧れる美里ではあったが「切る」という過程を侮ると大変な事になるというのを知ってからは、既にカットされたものを購入している。
今日は鮪の刺身を買い、筑前煮を副菜とした。
夫は、刺身に目がなく「うん、うん」と頷くようにして、わさび醬油をつけた造りを口に運んでいく。
食後は、日本茶をまず出し、その間に食器を片付け、それを終えた後、結婚祝いでもらったペアカップにコーヒーを注ぐ。
美里は、コーヒーを飲みながらつい、通っている英会話教室での講師に良からぬ噂がたっている事を夫に話してしまう。夫は
「それはさぁ。噂レベルで決めつけてしまうのは酷ってもんじゃないかな?」
「そうだよね。尾ひれがついて伝わっているだけかも知れないし」
「機会があれば、講師にそれとなく探りをいれてみればいいんじゃない?」
夫の守安からの助言もあり、美里は、あるレッスンの後、パトリックをお茶に連れ出す。
吉祥寺という街は、飲食店の宝庫とも言え、至る所に喫茶店、洒落たカフェなどが存在する。
美里は、見知った顔に敢えて会わないような昭和の匂いがぷんぷんする喫茶店を選び、レッスンの後、パトリックと共に訪れた。
誘い出した手前もあり、パトリックに何でも好きなものを注文するように言うと、パトリックは大好物だというナポリタンを頼んだ。
熱々のナポリタンがウエィトレスによって運ばれてくると、パトリックは
「わぁ」と短く言い放ち、器用にフォークを使って橙色の麵をかき込んでいった。
ふと見ると口元に、ナポリタン特有のギトギトとしたソースが付いており、思わずぎょっとする。それでも、全く変ではなく「ハンサムって得」と、しみじみ思った。
パトリックは10分足らずで完食すると、これまたお気に入りだと言うバナナジュースを味わうようにゆっくり飲んでいく。
「あのね…」
頃合いを見計らって、こちらが気になっている用件について切り出すと、パトリックはそれまでの平和な時間から一転
「それは事実と違う。あゆみの方から僕に対して強烈なアプローチがあった。
僕には使命があるし、そういう気持ちもなかったからすぐに断った。
でも、彼女はあきらめず、僕のアパートまで来てしまって」
と、自身の潔白を証明するかのように思いを吐き出した。
結局、彼はあゆみの対応に困り、あゆみの母に「何とかしてくれ」と頼み込んだのだと言う。
-それで、気まずくなったあゆみが、レッスンに来なくなったのか-
誤解が解けると、美里は、パトリックに、彼が日本に来た経緯について聞く。
米国イリノイ州の都市シカゴで生まれたパトリックは、中古車ディーラーとして店を構える父の下、経済的には恵まれた環境で育ったのだと言う。
彼の父は白人至上主義団体に所属しており、彼も物心つく頃から「黒人こそこの世で一番卑しむべき人種」と刷り込まれて育ってきた。
しかし、高校生ともなると「何か間違っている」と気づき、卒業を待ってボストンバッグ一つで家を出たのだと言う。
そして、世界の人々が人種や宗教の違いに異を唱えることなく、一つにまとまるようにという思いから自然と信仰の道に入っていったらしい。
美里は、以前、その白人至上主義の団体を取り上げた報道番組を見た事があり、パトリックに
「その白人至上主義団体は、黄色人種に対してはどうなの?」と気になる点をぶつけてみる。
「えぇ、有色人種には徹底的に嫌悪感を示していましたからね。
黄色人種にしても、イエローなどといって蔑んでいましたね」
1700年代、奴隷船でアフリカ大陸から一万四千キロも離れたアメリカの地へ連れてこられ、辛酸をなめつくした黒人達の生きざまは本や映画になり、私達にその理不尽さを訴えている。
そして、今もなお、彼らはひどい差別に苦しんでいる。
時に、マーチ ルーサー キングのような偉大な啓蒙活動家が出てきても、一時期のブームだけで終わってしまう事が多い。
パトリックには、間違った見方をしてしまった事を詫び、皆にも誤解だった事を告げると約束して別れた。
10月に入ると、日中の暖かさと夜間の冷え込みの差に着る物を考えなくてはいけなくなり、悩ましい季節の到来ではあったが、秋独特の雰囲気が街全体を包み、皆、ウキウキとした表情で通りを歩いていた。
土曜の市民センターでの英会話レッスンの後、美里達生徒は、栗原の音頭でイタリアントマトに集まった。
美里の口から、事実が明らかにされると、パトリックをプレーボーイと見ていた数名は途端に居心地が悪くなったような表情を浮かべたが、栗原が
「とにかくさ、パトリックが日本に宣教師として派遣されてこの武蔵野市で我々と知り合えたのも何かの縁な訳で、そうした事からもパトリックには日本っていい国だったなぁという思い出をいっぱい作っていってもらいたいと思うんだ」
とこれからのチームとしてのあるべき姿を示した。続いて唐沢が
「私も今の意見に賛成。以前ね、パトリックに生活費の事などどうなっているのか聞いてみたの。
組織の方からお給料は出るけど、生活していく上での最低のラインみたいだし」
と同情心を前面に出す。
橋本は
「土屋さんと二人で、宗教がらみだったらやだね、って話してたんですが、全然そんな事もなくて」
と、土屋の方を見て言う。
そうした中、美里は
「今、思いついたんですけど、今度皆でお好み焼きパーティーをやって、パトリックをもてなしませんか?」
と提案する。
「場所は家で、大きめのホットプレートはネットワークを駆使して、用意するようにしますから…」
と付け足すと、方々から「やろう」と言う声が上がり、とんとん拍子に話がまとまった。
10月下旬、守安の実家にあった大きめのホットプレートと知り合いから借りたホットプレートを揃えた美里は、お好み焼きの具を持って来てくれる仲間をわくわくした気持ちで待つ。
夫の守安はペルシャ湾におけるタンカー航行の安全性に関しての原稿を部署代表として仕上げなければならないらしく、今回は不参加となった。
ホットプレートを用意したから後は、何もしないという訳にもいかず、だし汁2リットルを用意しておく。
これに山芋を擦ったもの少量と粉を混ぜれば、ベースの生地が出来、後は、それぞれの具材を入れて焼いていけばよい。
「よし」美里は今一度、抜かりの無い事を確認する。と、その時、丁度来客を知らせるベルが鳴り
ー 来た ーとばかりに玄関に向かう。
「はーい」
ドアを開けると「こんにちはー」と挨拶をしながら皆が入ってくる。
「はいこれ、生ものだからわたしておくね」とビニール袋に入った肉と野菜を栗原から受け取ると、他の生徒達も魚介類、鶏卵、トッピングに使う素材を次々に美里に託した。
「あっ、パトリック。そんなとこにいないで、中に入って。
なんてったって今日の主賓なんですからね」
全員に家に上がってもらった後は、お茶をいれ、出す。
「美里さん、何かやる事あったら、言って」
「有難う。じゃ、二人には出来上がった生地をリビングに持ってってもらおうか」
「オッケー。まずこれね」
土屋が、豚こまとキャベツを混ぜたものが入った器と卵を持っていくと、橋本はイカと海老などが入った生地を美里から受け取る。
美里もコンビーフとチーズを入れた生地を持っていき、既に、じゅうじゅうと豪快な音を立てている場に加わる。
「悪い。もう、勝手に焼いちゃってるよ」
「いいの、いいの。どんどん焼いてって下さい」
見ると、パトリックの皿には切り分けられたお好み焼きがのっており、すかさず、隣の唐沢が青のり、マヨネーズを上からかけてやる。
思いのほか火力が強く、次から次へと、様々な具材を混ぜ込んだお好み焼きが焼かれ、栗原と唐沢、橋本と土屋も食べなきゃ損々とばかりに、あつあつのお好み焼きを口に運んで行った。
「ねぇ、これ、食べてみて」と橋本が蛸ぶつ入りのお好み焼きをパトリックに渡すと、パトリックも躊躇せず口にし
「うん!この嚙んだ感じ、初めて。なんか面白いです」
と率直な感想を述べ、結局、美味しいと言う言葉は出なかった。
「だめだよ。無難な線でいかないと」
と茶々を入れたのは栗原で、豚小間、キャベツ、天かすを入れて焼きあがったものをパトリックに切り分けてやる。
「どう?お好み焼きのお味は?」
と唐沢がパトリックに聞く。
「お店でしか食べた事が無くて。こうして家で出来るなんて知らなかった」
「そうよね。アメリカではパンケーキがポピュラーだと思うけど、こうして各々がテーブル上で焼き上げるって形じゃないだろうし」
土屋が言うと、橋本も
「お寿司とか、焼き肉とか美味しいものは一通り食べてると思うのね。
だから、目先の変わった物がいいんじゃないかな?と思ったわけ」
と便乗する。
どんどん焼き上げられていき、やがて生地の方も底をつくと、皆、満足そうな表情を見せ、同時に満腹状態で体を動かすのが億劫な様に映った。
美里は、一人キッチンに立つと、コーヒーを入れ皆に出す。
「おいしい。コーヒー淹れるの上手ね、美里さん」
「ほんと、美味しいです。お店出せますよ」
「やだ、パトリック。面白い言い回し知ってるのね」
「今度は、手巻き寿司パーティしません?酢飯は私が用意するかたちで」
「さんせーい」
皆の賛同を得られいい気分になった美里だったが、片付けをしなければならないという思いが頭をよぎり
「ホントに近いうちに開催しましょうね。今日はいい具材を持って来てもらって、予想以上に美味しいお好み焼きが出来ました。正直言うと、皆、何を選んでくるか心配だったの」
と閉めの言葉を述べた。
「ガチョーン」
と、美里の言葉におどけて見せる栗原に、皆が大笑いし、それをきっかけにお好み焼きパーティはお開きとなった。
お好み焼きパーティ後の市民センターでのレッスンは、いつも以上に和気あいあいとした雰囲気の中、進められていった。
レッスン後、美里は栗原に呼び止められ
「守安さん、前にご主人が競馬好きって言ってたよね?11月の日曜日に俺とパトリック、守安さんご夫妻の4人で競馬に行かない?」
と誘われる。
きょとんとしていると
「いやね。パトリックが一度、競馬場に行ってみたいなんて言うからさ。
それなら、2人で行くより誰か誘っていった方がいいなと思って」
と説明する。
家に帰って夫の守安に話すと「いいねぇ」と即答した事もあり、11月の日曜、4人は栗原の運転する車で東京競馬場へと繰り出した。
競馬場に着き、場内に一歩足を踏み入れると、重賞レースの開催とだけあって、1階のエントランスには早くも人だかりが見られた。
目当てのレースまで時間があったので、3階のキャフェテリアで食事をとる事にする。
美里は一昔前の競馬場内にある食堂と違い、このキャフェテリアは表参道にあるおしゃれなレストランのようだと驚いた。
セルフサービスで各々の注文した商品を受け取りテーブルに着く。
見ると、しきりにパトリックが栗原さんに礼の言葉を述べている。
「いいんだよ。これっぽっちの金、おごってやったなんて偉そうに言えない額なんだから」
「いつも、すみません。いただきます」
パトリックはそう言い、熱々のホットドッグに食らいついた。
守安はクラブハウスサンドイッチとカフェオレを載せたトレーをテーブルの上に置き、栗原は豪快に牛丼をかき込みながら競馬新聞に目を通す。
一時期、若い女性には、見向きもされなかった領域も、今は、ヨーロッパ風の内装が施され、ちょっとしたラグジェアリーホテルのラウンジのようになっている。
それでも、競馬界を支えているのは中高年男性に変わりなく、彼らにとっても設備が整っていくのはうれしいはずと確信する。
「やはり、出走馬の三分の二を栗東勢が占めてるな」
「うん。西高東低も今に始まったことでもないからね」
守安と栗原は、それぞれの知識をひけらかすように競馬談義を始め、パトリックは1人、その内容についていけないように映った。
「パトリック、腹ごなしもかねて、ちょっと場内探検してみない?」
美里はそう言って、パトリックを誘い、目ぼしい場所で写真を撮っていった。
「自分に自信があるからか、ポーズに照れがない。いい被写体だわ」
美里は名馬のブロンズ像の前などにパトリックを立たせ、ここぞとばかりに写真を撮っていく。
「じゃ、そろそろ戻りましょう」
パトリックを連れて、キャフェテリアに戻ると、丁度、パドック開場のアナウンスが流れてきた所だったので、4人でパドックに移動する。
次々と出走馬がお目見えする中、厩務員と共に興奮する事もなくトラックを巡る馬もいれば、両サイドに2人を従え頭を激しく振って抵抗している馬もいる。
美里は「あの馬を買わなくてよかった」と暴れている馬を見て思ったが、例えパドックで暴れている姿をさらしていても、それがレースに反映されるわけではないらしい。
パドックでの観察後、スタンドに向かう。
場内は、例えようのない熱気と共に、一山当ててやろう、勝たなければ死ぬしかないとしたどろどろとした思いで充満しており、美里はさっきまでいたキャフェテリアとは全く違う雰囲気に面食らった。
そうこうしているうちに、出走馬がゲート付近に寄せられ、すっと、優雅に、それぞれのゲートに滑り込む。
次いで、ファンファーレが鳴り響きゲートが開かれたと同時に各馬、一斉に飛び出していく姿が目に飛び込んでくる。
ー 美しい ー
美里は地を蹴って、飛ぶように駆け抜けていく馬たちの姿を目で追い、その華麗さに打ちのめされた。
どの馬も地表を蹴り上げ、目前の己の道をそれる事もなく突き進んでいく。
同時に、スタンドの地響きを思わせるような歓声は勢いを増す一方でとどまる所を知らない。
レースはラスト600メートルに入った。
美里はもう、夫の落胆も、栗原の焦りも、パトリックの感動も眼中になかった。
大勢の観衆の怒号が吹きすさぶ中、美里はなぜか、周囲から隔離され、たった1人でそこにいるような孤独感に包まれていた。
ふと我に返ると、レースは終了し、観衆も何かに追い立てられるようにしてスタンドから出ていく。
勝敗は、栗原のフォーメンション買いが来ただけで、何ともお寒い状況の結果となった。
「まさか、大外からぶっちぎりで来るとはな」
「やられましたよね」
帰途につく途中で入った甲州街道ぞいのレストランでは、残念会が行われるが、例え払い戻し金を得られなかったとしても、馬達の雄姿を間近で見てストレス解消を図るのはいい!という意見に賛同が集まる。
うどんとかやく御飯のセット定食は、殊の外美味で、興奮冷めやらぬ4人はそれまで封印していた空腹感を解き放つように、うどんをすすった。
会計は美里の夫が
「車まで出してもらって、これ位、出させて下さいよ」と提案し、最初のうち抵抗していた栗原も、ほどほどの所で折れた。
以前、通っていたリバティからの案内状が届いたのは週明けの月曜だった。
開封してみると休学期間が半年を経過したので転居先近くのスクールを紹介するという内容だった。
パトリックの下で、緩やかに趣味の一環といった感じでレッスンを受けていくのもいいのだが、かつての切磋琢磨する、自分を追い立てていくようなレッスンも捨てがたい。
そう考えると、善は急げとばかりに美里は、最寄りの吉祥寺校に予約の電話を入れた。
レッスン当日の朝、早めの朝食を取って、万全の状態で家を出る。
スクールは、吉祥寺駅近くのメインストリートを抜けたあたりにあり、ビルの窓に「リバティ」の文字を見つけた美里は「間違いない」と、エレベーターに載った。
教室に入り、一人講師を待つ間、美里は最初の頃、教わっていた講師のフランドルを思い出していた。
イギリス人の彼には凡そ親しみやすさというものがなく、根っから明るいアメリカンの陰にかくれて「存在感のかけらも無い」というのが美里が彼に抱いていた印象だった。
人気講師は予約がすぐ埋まり、バレンタインディには義理ではないチョコレートの包みをどっさり受け取って教室を後にする。
陽気さを振りまく事にかけては随一のアメリカンに比べ、我が道を行くタイプのフランドルは人気と言う点では遠く彼らに及ばなかった。
それでも彼は終業を知らせるチャイムが鳴った後でも早々に引き揚げず、今日の授業のポイントなどを、生徒に教え込んでいた。
その後、彼は別の学校に移動となり、二度と会う事もなくなってしまった。
美里は、あれ程親身になって教えてくれたフランドルに対して、もう少し、やる気のある所を見せられたら良かったのに…と、今になって自責の念に駆られた。
数分後、ノックの音がして「ハロー」の声と共に、女性講師が姿を見せた。
冒頭、こちらの緊張を解きほぐす目的で、自らの失敗談などを語り始めた彼女は、それが終わると、一仕事終えたかのように、授業に入る。
美里は、その時、英会話はテクニックではなく、人の懐に上手く入れるかどうかが「鍵」なのだと言う事にやっと気づいた気がした。
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